あきらめさせる、ということ。

b0037269_2391598.jpg学校と言えばもっぱら学生を勇気づける場で、教員も叱咤激励して学生を勇気づけることに専従するスタッフのように考えている人もいるかもしれない。だが少なくともぼくの場合、いったいどうすれば上手に人をあきらめるように仕向けることができるのか、と頭を抱えることの方が多い。

可能性を信じなければならないことは百も承知だが、その人のためにも周りの人のためにも、現実と資質を見比べてきっぱりあきらめてもらわざるをえない場合があるのだ。英語のできない者が研究者をめざすのは時間の無駄だし、自分にしか関心のない、他人(ひと)の心を汲む気のない者を教職に就かせるような無責任なことはできない。

勇気づけることがむずかしいのはもちろんだ。自分が人を勇気づけたことがあるかどうかは知らないが、そのためには勇気づけようとする者と勇気づけられる者とのあいだに相応の信頼関係が必要なのだろう。だが、考えるのだ。あきらめさせることは、たとえ信頼関係があっても不可能なのではないか、と。とすれば、あえて恨みを買うことがわが仕事ということになる。

by enzian | 2009-01-30 22:45 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(18)

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Commented at 2009-02-01 23:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hiruu at 2009-02-01 23:56
小学生には夢を抱かせ
中学生には希望をもたせ
高校生になったら自分の適性を考えさせる。夢は夢。人生は辛い。
そんでもって大学生になったら、しぶとくあきらめない生徒をさらに指導してあきらめさせる。enzianさんは辛い。
‘諦らめる’ は ‘明らかにする’ という意味だそうですね。辛い~。
Commented by 座敷童 at 2009-02-02 02:28 x
諦めるというのはマイナスイメージが強いのですが、
「自分の考えを偽る卒論を提出させるのを」とか、
「妥協してネット上から魚拓を押しまくるのを」とか、
いろいろ使えますよね。
諦めるというのは、本人が逆方向に納得しなくちゃいけない、
決断しなくちゃいけない、
青春期の最後の難関のようにも思えます。(笑)
かといってコテンパンに否定するのも
センセイとしてはダメですよねー。

私は諦めるの第一段階を経て、今
「でもちょっと気になる」のとこにいますよ。
早く成長せねば。
Commented by こんぺいとう at 2009-02-02 13:19 x
「自分の可能性にかけたいんです」

就職の相談でよくきく言葉・・・。
でも 現実は厳しく あきらめさせるのはホントに難しい←難しいことだらけですね

逆ギレしちゃう生徒もいます。

説得ではなく 納得させなければ 社会にでても
こんなはずではなかったと 思うだろうと考えます。

今の日本経済
自分の身も危険な毎日の中 生徒にどう話したら 納得してもらえるのだろうと 日々 悩みます。
Commented by enzian at 2009-02-03 22:18
鍵コメさん

こんばんは。
むずかしい問題に直面しておられるのですね。
(それは記事にも書いておられたことのように
思えるのですが、ちがうでしょうか。)

押してもダメなら引いてみな、という言葉がありますが、
事はそれほど単純なのではなく、
万策尽きて、だからこそお困りなのでしょう。
むずかしいこととは思いますが、
よい方向に事が進みますように。
Commented by enzian at 2009-02-03 22:41
ひるさん

>小学生には夢を抱かせ
中学生には希望をもたせ
高校生になったら自分の適性を考えさせる。夢は夢。人生は辛い。
そんでもって大学生になったら、しぶとくあきらめない生徒をさらに指導してあきらめさせる。

やはり仕事柄、よくご存知ですね。

>‘諦らめる’ は ‘明らかにする’ という意味だそうですね。辛い~。

明らかにして諦めてもらわねばならないのは、
自分は有能であるという思い込みであったり、
自分は無能であるという思い込みであったりします。
周りからやんや言ってもどうにもなること
ではありませんし‥‥(´_`。)グスン
Commented by enzian at 2009-02-03 22:50
こんぺいとうさん

>「自分の可能性にかけたいんです」
就職の相談でよくきく言葉・・・。
でも 現実は厳しく あきらめさせるのはホントに難しい←難しいことだらけですね

それはムリですね。^^;
説得を諦めましょう。

>逆ギレしちゃう生徒もいます。

でしょうね。

>説得ではなく 納得させなければ 社会にでても
こんなはずではなかったと 思うだろうと考えます。

そうですね。
学生がどうなろうと法的責任はないわけですが、
道徳的な責任を(自分自身から)問われますからね。

>今の日本経済
自分の身も危険な毎日の中 生徒にどう話したら 納得してもらえるのだろうと 日々 悩みます。

どんどんむずかしくなってきました。
Commented by enzian at 2009-02-03 22:54
座敷童さま

>諦めるというのはマイナスイメージが強いのですが、
「自分の考えを偽る卒論を提出させるのを」とか、
「妥協してネット上から魚拓を押しまくるのを」とか、
いろいろ使えますよね。

その通りです。

>かといってコテンパンに否定するのも
センセイとしてはダメですよねー。

ますますその通り。
ぼくの代わりにセンセイになるべし。^^

>私は諦めるの第一段階を経て、今
「でもちょっと気になる」のとこにいますよ。
早く成長せねば。

諦める必要のないところもあると思いますよ。
Commented by こんぺいとう at 2009-03-02 14:30 x
自分自身の想いだけではダメなこともあり
それを あきらめさせることも大変ですよね。

Commented by enzian at 2009-03-03 23:24
こんぺいとうさん

自分の思いでさえどうしようもないのに、
人の思いなど、どうしようもない、
と諦めたくなりますが、
がまん、がまん。(^^ヾ
Commented by こんぺいとう at 2009-03-06 15:33 x
自分自身にも がまん、がまんと言い聞かせなくては・・・(^^;
Commented by enzian at 2009-03-06 21:00
こんぺいとうさん

そう、まず自分から。^^
Commented by tamafuji770512 at 2011-01-16 17:36
神奈川で大学受験予備校に勤務している窪田と申します。

「あきらめさせる」必要性について、強い違和感を覚えましたので、私自身の考えを述べさせていただきます。

文章が長くなったため、以下にまとめさせていただきました。拝見いただけたら幸いです。

http://tamafuji.exblog.jp/11929238/

哲学の専門家の方の日々の雑感を知ることができるということは、私にとって非常に貴重な時間となっております。

今回コメントをさせていただいたの以下の理由からです。それは、誠実で、かつ高い教養をもっている方に、私自身の考えを批判していただく機会をいただきたいという、まことに勝手な考えであります。

上記のような私の考えから述べられたコメントが、先生にとって語るに落ちると感じられる場合には、今回の私のコメントをぜひ、無視していただきたく思います。
(もし私が先生の立場でしたら、勝手に、「時間を割いてほしい」と面識もないのに申し上げている私の要求は、非常に身勝手で、貴重な時間をわざわざ割く義理もなく、取るに足りない、と判断する可能性は十分にあると思います。)
Commented by enzian at 2011-01-17 10:37
窪田さん

はじめまして。
そう簡単には答えられる問いかけでもない気がしますが、
貴記事も拝読したうえで、
なるべく簡潔に私の感じたところを述べます。

岐路に立った者の生き方に関して、
「批判すること」、「アドバイスすること」を認めたうえで、
「変えること」を認めない、根拠がないということですね?

結論から言いますと、
私のしているのは窪田さんとあまり変わらないアドバイス
とか助言とかいったものです。
(ただし、その表現は同じではない。)

窪田さんも仕事柄、
何年努力したところでその学生にとっては
学力的に無理な目標があることはご存じのはずです。
そのような、例えば大学院に行きたいといった目標に向かって、
22歳をすぎて、何年も努力したい、
という学生に向かって、別の目標を設定した方がよいのでは?
といったことは当然言います。それは私の仕事ですから。

が、自分の人生を決めるのは当然ながら
学生自身ですから、それでもやる、と言えば、
もうなにも言いません。それは当人の問題です。
Commented by enzian at 2011-01-17 11:04
次に、例えば、目標として教職を設定するような場合にも、
学力的に、そして資質的に不可能だと判断できる
場合はあります。この場合は、当人の問題に限定できず、
この学生からの授業を受ける生徒たちのこと、
その学生を受け入れる学校についても配慮する必要
があるでしょう。このような学生に向かっても、
別の目標を設定した方がいいのではないかと言います。
これは私の仕事であり、大学の社会的責任でもあります。

が、ほとんど聞き入れてはくれません。
教職につく権利は学生に認められているのですから、
こうなれば、私はもうなにも言いません。
30歳になっても40歳になっても
教職の採用試験は受けられるわけですから。

――――
「君には才能がない気もする」
「生きるための手段を、別に探しておきなさい」
という表現のもとになった判断はいかにしてなされる
ものなのでしょうか?
それは窪田さんの価値観からの判断ではありませんか?

つまりあなたの根拠を厳密に適用すれば、
あなた自身が行っている「アドバイス」でさえも
根拠を失うのです。
Commented by enzian at 2011-01-17 14:32
私は(より客観的であろうとする努力を伴う、
という条件の下ですが)、特定の条件下で、
表現に制限をもたせたうえで、
主観的な判断を下し、伝えることを否定的にはとりません。

私のこの記事にコメントいただけるということは、
生徒指導に対して、よほど心を砕いておられる方
なのだろうと推測します。
コメントいただいたことに感謝します。

もっと細部にわたること、私の思い描いているような実例、
大学教育の特質などもお伝えせねばならないのでしょうが、
それはこのような場では難しいのです。
お許しください。
Commented by 窪田 at 2011-01-24 13:59 x
お忙しいところを、丁寧なご返答をいただきありがとうございます。先生のコメントに対する返信が遅くなってしまい、失礼いたしました。

先生のご指摘いただき、私の言葉に私の個人的価値判断が混入しており、私の論理からは根拠を得られていないことが、はっきりと自覚できました。

先生のご指摘で、私が気付いていなかった問題点がいくつか明らかになりそうなので、それらについて改めてじっくりと考え直してみます。

せっかく先生が詳細な回答をくださったのですが、今回の明らかになりそうなその問題点の輪郭を、まだはっきりとつかむことができておらず、このようなあいまいな返信になってしまい申し訳ありません。

なんとか明確に問題の所在をつかみ、私自身の考えを前進させたいと思っています。

その際には、厚かましいのですが、再度コメントさせていただければと思います。
先生の返信の内容は非常に貴重なもので、重ね重ね、ありがたく思います。
Commented by enzian at 2011-01-24 21:11
窪田さん

どういたしまして。

窪田さんがひっかかられた理由の一端は、
おそらく、私の記事の表現なのでしょう。

この記事やこの記事のタイトルでは、
「やめろ」という強い強制のニュアンスがあって、
私が普段していることが「アドバイス」とか「助言」
であるとはとれないと思います。

だから、おそらく窪田さんは、
自分は「アドバイス」する、とおっしゃった
のではないでしょうか。

今後ともよろしくお願いします。

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