人に会わなければいい、というわけでもない。

通路を隔ててぼくの研究室の向かいにはやはり研究室があって、そこには大学でもかなり若手の教員がいる。学生たちに好かれているようで、ぼくのような春から夏の期間限定の波状攻撃ならまだいいが、一年中学生の波状攻撃を受けている。あの様子では本を開く間もないだろう。先日などは早朝から、いかにも怒った!という感じで学生がどかどかと歩いてきて、ドアを開けたとたんに大きな声で「なぁ先生聞いてぇな」などと怒っておった。ドアを閉めるまでがまんできないほどの何事かがあったのだろうか。

今朝。降りしきる雨のなか学校に着いたら、27日まで全学一斉休校の掲示板が門前に居座っていた。長く生きているとこういうこともあるのだな、今日は仕事をさばく日にしよう、などと考えながら学内に入っていくが、学生たちの雨傘は門前でUターンしている。人に会って病を蔓延させないことが目的とはいえ、しとしと降る雨のなか、遠方から1限目に来た学生たちだけが門前払いを喰らっている光景なのであった。休校の判断は朝8時。彼らが朝早く起きられない人であったなら、授業を平気でさぼれる人なら、こんなことにはならなかっただろう。住んでいるのが大学のそばであったなら、こんなことにはならなかっただろう。

生きていればいくらでも不条理に出くわさねばならない。しかも今日は、いや28日までは、愚痴を聞いてくれる人に会うことさえできないのだ。人に会わないでおくことが、家で休んでおくことが必ずしも健康を運んでくれるわけではないことがまた、悩ましい。

by enzian | 2009-05-22 22:40 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(26)

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Commented at 2009-05-22 23:50
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yuta at 2009-05-23 00:47 x
enzianさん、こんばんわ。
インフルエンザ休校にならないかなぁ~と不謹慎にも密かに思っている自分が・・・。^^;
なったところで今の切なさが倍返しになるだけだとは思いつつです。

>生きていればいくらでも不条理に出くわさねばならない。しかも今日は、いや28日までは、愚痴を聞いてくれる人に会うことさえできないのだ。人に会わないでおくことが、家で休んでおくことが必ずしも健康を運んでくれるわけではないことがまた、悩ましい。

 「なんでだー!」と天に向かって叫びたくなるような瞬間を、そういえば何度となく過ごして来たような気がしています。本当につらいことは、口に出さずに生きてきたようにも思います。本当につらいことを誰かに話してしまうと、自分が保てないかも・・と。そういうふうに自己暗示をかけては、頑なさを強さだと言い聞かせるようにして。
 話せる人がいることのありがたさを身にしみて感じるようになったのはやっと今頃になってかもしれません。それは,裏を返せば,自分ばかりでいっぱいだった自分ということかもしれません。うまくいえませんが。
 

 
Commented by yuta at 2009-05-23 00:50 x
続きです。
 ここからはちょっとだけ報告です。先週、寂しく帰っていった学生が、今日また姿を見せました。迷っている悩んでいる自分の今を語っていきました。真剣に迷い悩むことができることが、尊いことなんだろうと、そんな姿をみて思う自分がいます。毅然とは、今だ課題です・・。必要な時に必要な場所で、毅然と!!できるのか?わたし。
Commented by non at 2009-05-23 09:45 x
大阪~神戸の真ん中に住んでいる私ですが~
休校や行事・イベントを中止するや否やと言う問題は
それぞれの視点で 捉え方も違うので なんともいえませんが~
私は 気休めであってもマスクを常用しています。
震災の時実感した 「普通の日常が 突然くずれることもある」という事態の やや弱めのバージョンだったように思います。

修学旅行やイベントが中止になって 悔しい思いをされてる方は多いと思いますが この不条理を乗り越えていくしかないのでしょうね。
Commented by enzian at 2009-05-23 20:51
鍵コメさん

こんばんは。
ざわついてますね。
自分の学校だけはそっとしておいて欲しい、
などと勝手なことを願っていたのですが、
そうもいかないようです。
28日に学生たちが元気に戻ってくることを
願っています。

>メロディー

ふだんそういうことを言わない学生が
そういうことを書いていましたので、
しみじみと感じることがありました。
ぼくも早く母に他界されていますので、
若い学生のさみしい気持ちが少しわかる
ような気がした日でした。

>夢の中で編曲

そうだったのですか。
夢の中での編曲もいいですね。^^
Commented by enzian at 2009-05-23 21:19
yutaさん

こんばんは。

>インフルエンザ休校にならないかなぁ~と不謹慎にも密かに思っている自分が・・・。^^;

大変なことになってしまいました。
この数日でたしかに仕事はいくつかさばけるのですが、
この間の授業が休講になるばかりでなく、
あらゆる会議とあらゆる学内学会が順延になりました。
6月・7月のスケジュールへのしわ寄せを考えると、
泡を吹いて倒れそうになります。(´_`。)グスン

>「なんでだー!」と天に向かって叫びたくなるような瞬間を、そういえば何度となく過ごして来たような気がしています。

そうですね。
その原因はyutaさんとぼくでは同じではないかもしれませんが、
ぼくにもそのような瞬間が度々ありました。
ぼくの場合は、記憶にある限りの最初の思いが、
不条理への思いであり、それが哲学するきっかけになりました。
若い人たちは、yutaさんともぼくともまたちがう理由で、
そのような瞬間を迎えているのでしょうか。
Commented by enzian at 2009-05-23 21:34
yutaさん、続き

>本当につらいことは、口に出さずに生きてきたようにも思います。本当につらいことを誰かに話してしまうと、自分が保てないかも・・と。そういうふうに自己暗示をかけては、頑なさを強さだと言い聞かせるようにして。

つらいことを口にできる条件とはなんでしょうか。
それは、自分の弱さを認められることでしょうか、
他人のありがたさを認められることでしょうか、
それとも、辛さが一定の程度に達すると
自然と口に出してしまうものなのでしょうか。

よくはわかりませんが、
ぼくもまた(いつも「ぼくもまた」ですよね。^^;)、
辛すぎることは黙ってこれまできたように思います。
まだ口にしていない部分がまだ人知れぬ秘密として残っている、
そういうことが、ある意味、ぼくの自尊心を保ってきた、
という面があるような気がします。
Commented by enzian at 2009-05-23 21:34
yutaさん、さらに続き

でも、口に出さずにいることに頑なでいるのにも、
だんだんとバカバカしく思うようになってきた、というのも事実です。
その結果が、年々、ブログの記事にも滲み出てきた
ように思っています。

バカバカしく思うようになってきた理由はなにかと
(哲学者なので^^;)考えはじめましたら、
やはり学生との関係を無視することはできないと思います。
悩みを相談できる学生たちの姿が、
じょじょに氷を溶かしてくれているのかもしれません。
そういう意味で学生にはいろいろ教えられているのでしょう。
感謝しようと思います。

学生、また来てくれたのですね。
もう一度チャンスがあってよかったです。^^
Commented by enzian at 2009-05-23 21:42
nonさん

nonさんのところは京都よりも一足先に
いろんな行事などが中止になったりしていますよね。

>震災の時実感した 「普通の日常が 突然くずれることもある」という事態の やや弱めのバージョンだったように思います。

たしかにそうだと思います。
今回のインフルエンザはくずれるはずのない日常、
という考え方をゆさぶってくれました。

>修学旅行やイベントが中止になって 悔しい思いをされてる方は多いと思いますが この不条理を乗り越えていくしかないのでしょうね。

大阪駅まで来て、ディズニーランドに行けずに
引き返した修学旅行の生徒たち、気の毒でした。
Commented by 毒きのこ at 2009-05-24 00:04 x
>コメントの総数が10,000を越えました。


す、すごいですね(^^;)

ということは、 enzianさんのレスも

5,000は超えているという・・・

ご長寿ブログでございますぅ~(@@)

末永く、楽しく・真面目に(?)

拝読させていただきたいですぅ~☆
Commented by enzian at 2009-05-24 10:24
毒きのこさん

>ということは、 enzianさんのレスも
5,000は超えているという・・・

超えているでしょう。
半分以上はぼくのものです。

ぼく以外のコメントでは、
ひょっとすると毒きのこさんのコメントが
いちばん多いのではないかと思います。
ありがとうございます。^^v
Commented by yuta at 2009-05-24 22:47 x
enzianさん、こんばんわ
>つらいことを口にできる条件とはなんでしょうか。
それは、自分の弱さを認められることでしょうか、
他人のありがたさを認められることでしょうか、
それとも、辛さが一定の程度に達すると
自然と口に出してしまうものなのでしょうか。
 
 なんででしょうか。
 思いがけないきっかけで、「生きるかたち」というキーワドで行われているシンポジウムのビデオ起こし原稿を読む機会を与えられました。なぜ「生きるかたち」なのかからはじまって、いろいろ考えます。
 一定期間、自分を演じ続け、振り返えるのには十分な過去を蓄えた時に、自分でありながらもある程度客観的に自分の生きてきたかたちが見えるようになる。その刻んだ轍が、あまりにも頑なでいびつであることが、滑稽であるようにも思え、ふっ、て力が抜けるような・・。
 そこに素直で純粋に語りかけてくるまなざしと出会うと、頑なでいびつな人生も、ユーモアに転換することが可能かもしれないと思ったり・・,きっと未来に生かされるかたちになるのかもと思ったりする・・のかな・・・と。
 

Commented by yuta at 2009-05-24 22:47 x
つづきです。
私自身はまだ,口を開いたら、自分からどんなものが出てくるか分からない怖さや,そのことで大切に思いながらも大切な人たちを傷つけるのではないかという怖さを心の中に潜ませているので、ユーモアとして自分を語ることは、当分、無理でしょうが、それでもenzianさんのおっしゃる、
>学生との関係を無視することはできないと思います。
悩みを相談できる学生たちの姿が、
じょじょに氷を溶かしてくれているのかもしれません。
・・というのは,分かるような気がします。
うまく書けませんが、何か、書いておかないといけないような気がしたので,再び書き残して去ります。
こういうときには、感想でした!!と書きたくなるんですよね。
ふ~ぅ。
Commented by enzian at 2009-05-25 00:15
yutaさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

>「生きるかたち」

意味深なキーワードですね。yutaさんがおっしゃるように、
客観的に見えるようになるというのは、ある「かたち」をとって
見えるようになるということだと思いますが、そのためには、
まず一定量の過去を蓄える必要があるのでしょうね。

一定量という量的条件が整ったあとで、
その一定量を任意の法則性(質的条件?)でまとめあげて
「一つの全体」(かたち)とするというような
ことができるのでしょうか。

その「かたち」をふっと笑うことができるというのは、
量的条件に自分が付け加えた法則性の種類によるのでしょうか。。
であれば、法則性によって、滑稽な物語にも悲劇的な物語にも
することができそうですね。
Commented by enzian at 2009-05-25 00:24
yutaさん、続き

>そこに素直で純粋に語りかけてくるまなざしと出会うと、頑なでいびつな人生も、ユーモアに転換することが可能かもしれないと思ったり・・,きっと未来に生かされるかたちになるのかもと思ったりする・・のかな・・・と。

そうだと思います。
ですが、そこを説明するのがむずかしいですね。
どう考えたらよいのでしょうか、う~ん。

ティリッヒという人が「生きる勇気」という言葉を言っていますが、
人生というひとまとまりをユーモアに転換するためには、
それなりのエネルギーというか勇気というか、
力というか、そういうものが必要であるように思います。

そういう力がどこから、どういうメカニズムで出てくるのか、
ぼくにはまだわかりませんが、人間を、
人生を信頼しようとする「まなざし」が
そのような力を与えてくれるものの一つなのかもしれません、
と感想を述べておきます。^^v
Commented by yuta at 2009-05-27 00:16 x
enzianさん、
「生きるかたち」は、たぶん気づかれておられるのかもしれませんが、浜田寿美男先生が使われていることばです。
ゲシュタルト心理学からその発想を得ておいでだと思います。

>その「かたち」をふっと笑うことができるというのは、
量的条件に自分が付け加えた法則性の種類によるのでしょうか。。
であれば、法則性によって、滑稽な物語にも悲劇的な物語にも
することができそうですね。

 このことをミヒャエル・エンデが「物語の余白」でまさに語っているようなのです。

 自分の人生でも、かたちを切り出せれば、作家として人生を悲劇にも喜劇にも出来る。
それなら、ユーモアのある作品に仕上げたいものです。ユーモアに仕上げるためのエネルギーは、究極、思いやりとか愛なんていうしろものが原料かもしれません、と、enzianさんのコメントを思いました。その原料を燃やすための装置は、どんなかたちなんでしょうか?生活美にあふれたかたちを、enzianさんならデザインされることだろうと思います。
 
Commented by enzian at 2009-05-27 22:32
yutaさん

こんばんは。
浜田寿美男氏からは
いつも勉強させていただいています。

>このことをミヒャエル・エンデが「物語の余白」でまさに語っているようなのです。

そうでしたか。
ぼくはつねづね人を見るとき、
(不謹慎なのかもしれませんが)
本を読むように見ているのですが、
そうやって本を読みながら、ぼくは読者であって、
同時に自分の人生物語の作家でもあるのですね。

>それなら、ユーモアのある作品に仕上げたいものです。ユーモアに仕上げるためのエネルギーは、究極、思いやりとか愛なんていうしろものが原料かもしれません

「人間愛に基づいたタイプの滑稽さをユーモアと呼ぶ。」
(『enzian辞典』^^)

>その原料を燃やすための装置は、どんなかたちなんでしょうか?

どんなかたちでしょうか?
じっくり考えていきましょう。^^
Commented by 907011 at 2009-05-29 05:53
おはようございます。
学校、再開されて、休校した分のリバウンドはあったのでしょうか。

新潟でもマスクが品切れしてます。
人類が防ぎ合おうという意志なのじゃ、
自分だけは死にたくないというエゴなのか、
口の動きが読めない表情を眺めていると、
時々わからなくなります。

人と会うこと、人と会わないこと。
一長一短ですね。
善し悪し。
Commented by enzian at 2009-05-29 23:20
907011さん

こんばんは。

>学校、再開されて、休校した分のリバウンドはあったのでしょうか。

リバウンドはこれからです。
リバウンドは夏休みまで食い込むでしょう。

>口の動きが読めない表情を眺めていると、
時々わからなくなります。

口の動きが読めないのは
気持ちのいいものじゃないですね。
見えなくなってわかります。

>人と会うこと、人と会わないこと。
一長一短ですね。
善し悪し。

そうですね。
Commented at 2009-05-30 01:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2009-05-30 22:41
鍵コメ2さん

こんばんは。

>自分にとって自分を思い知らされる

反省する力のある人にとっては、
どうしても人と会うことは自己反省の
機会ともなってしまいますね。
それに、そうやって次から反省を生かせられれば
いいのですが、なかなかそうもいかなくて、
あぁ~となったり。。。

ぼくもめんどくさくなってすぐあきらめたくもなりますが、
なんとかがんばります。(>_<。)
Commented at 2009-05-31 13:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-05-31 13:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2009-05-31 14:40
鍵コメ3、4さん

こんにちは。
笑っていただけたようで、よかったです。
ぼくのおちゃらけ記事はいつも評判かんばしくないのですが、
鍵コメさんには喜んでいただけた印象があって、
たま~に書こうとする気持ちのもとになっています。^^

ご紹介いただけるのですね。
ありがとうございます。
文章はご自由にお書きください。
(コメント欄については、
さきほどつけることにしました。)
Commented by 座敷童 at 2009-06-07 01:39 x
京都にいるので、報道を知らずにバスに乗っていたら、
国立大以外の大学はほとんど休校になっていて、
職員が閉鎖のお知らせの紙を、最寄りの交通機関にばんばん貼って行く。
ターミナル駅では学生が目を白黒させて左右に揺れている。
新入生は混乱しているのか、そのまま学校に向かって行く。
せんせいはいないよー。
じゅぎょうもなくなっちゃったんだよ。
一生懸命携帯をいじくっているけど、同じ授業の友達?センセイの携帯?
・・・大学は、高校と違って教員と生徒が
すごく遠い授業と、とても密な授業があると思います。
で、密な授業ほど、朝一だったりして、土曜とかにあったりして
私は時々試されてるのか!?と思い、がんばってみる訳ですが。
単位<健康
Commented by enzian at 2009-06-07 11:55
座敷童さま

国立と私立で対応がちがったのは傑作だったね。
もし守るものが同じであるなら、
どの大学も同じ対応をするはずなのにね。

>・・・大学は、高校と違って教員と生徒が
すごく遠い授業と、とても密な授業があると思います。
で、密な授業ほど、朝一だったりして、土曜とかにあったりして
私は時々試されてるのか!?と思い、がんばってみる訳ですが。

そうですね。

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