むなしいということ

むなしいというのはどういうことだろうか。世界というおぼろげなもののなかに、自分こそがふさわしいという場所をわずかでさえもっているとは思えない、という意識だろうか。いや、こう言うべきかもしれない。むなしさとは世界がおぼろげにしか見えないということであると。世界とはどういう意味なのだろうか。それはすべての物の総体といった意味ではないだろう。それはわたしたちが勝手知った、さりとて自分ではない一群の人たちを意味しているのだろう。こうして、むなしいとは、他者のなかに他の人では代わることのできない、自分だけの位置をもっているとは思えない、という意識であることになる。

少し違った言葉を使って考えなおしてみよう。きっとここからは難解。全体のなかに自分しかもてない位置を占めていると思えることは「意味がある」と表現される。全体のなかに自分の一定の位置をもつというのは自分が全体の部分であるということだから、全体に部分としての定位置をもつことが「意味がある」という表現の意味だと言える。全体の部分という表現には違和感もあろうが、全体のなかに自分しかもてない位置を占めている部分は代替不可能であり、“消費品” ではない。全体でさえその部分に依存しているのであるから、たんなる“歯車” でもない。それでも、自分は全体の部分にも歯車にもなりたくない、そんな理屈っぽいことを言うからやる気がなくなるのだ、といったありがちな反論もあるだろうが、そういう人もやはり「そのような部分も歯車もない世界」に部分として属したいと願っているのだ。ともかく、全体は世界と言ってもいいから、「むなしい」とは、世界に意味を感じることができないという心の状態を表現する形容詞であることにもなるだろう。

さて、全体のなかに部分をもつことは「役割をもつ」とも表現される。(つづく?)

by enzian | 2009-10-25 22:44 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

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Commented by Art-Chigusa at 2009-12-30 20:04
泣いたり笑ったり、競争したり、勝ったり、負けたり、怒ったり・・・でもみんないずれ死んでしまう
それを知った時、子供の頃「むなしく」感じた
11月18日可愛がっていた愛犬が目の前で車に轢かれて死んでしまった「むなしい」虚脱感に陥った
努力したことが無駄になっても「むなしい」
東京に住んでいた頃、20歳前後、務め帰りの夕陽が沈む時、「むなしい」と感じて、よく泣いていた
でも他の街を歩く人は、誰も泣いていないのになぜ私だけ「むなしい」と感じなければならないのか不思議だった
なにか喪失とかかわりがあるのかな?
辞書:広辞苑では 空しい とか 虚しい と書かれて
万葉集には「人もなき、むなしき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」
心が満ち足りている状態とは反対の感情ですね
Commented by enzian at 2009-12-30 21:24
Art-Chigusaさん

むなしいというのは昔から哲学のテーマのひとつになっています。
昔からなっているということは、昔から、
少なくない人たちがむなしさを感じていたのでしょうね。
Art-Chigusaさんの書かれていることも、
哲学的なむなしさの捉え方だと思います。

これはぼくの考えなのですが、
いろいろなタイプのむなしさがあるにしても、
むなしさを感じたことのない人というのは
少ないのではないかと思っています。

>心が満ち足りている状態とは反対の感情ですね

そうですね。
それでそうだとしたら、
次に「心」とはなんだろうとか、
「満ち足りる」とはなんだろう、とか、
そうやってぐるぐる回りはじめます。
哲学は。^^

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