『壜の中の鳥』(寺山修司、宇野亜喜良)

b0037269_22533869.jpg久しぶりに絵本を紹介します。今回は、大人に向けて作られた大人の絵本です。物語は寺山修司、絵は宇野亜喜良。どちらも、いわずと知れた才人。前半は書名の物語、後半は寺山修司によるアフォリズム(箴言)集になっており、宇野亜喜良の絵が彩りを添えています。後半は寺山らしく(?)、男と女の関係への傾きが強すぎて酔ってしまうので、ぼくが推すのは前半です。

少年と少女の恋の話。恋する者同士ゆえのすれちがい、といったストーリーです。オヘンリーの短編にも似たようなストーリーがあったような、なかったような。宇野の描くアンニュイ(物憂げ)な、この世ならぬ方向を見つめる表情のキャラクターたちが人の心の多様さ、とりとめのなさ、不条理さを印象づけておりますな。切ないストーリーもよいのですが、ぼくがうなったのは次の詩です。

消えるという名のおばあさん
消えるという名の汽車に乗り
消えるという名の町へ帰る
さよならさよなら
手をふったら
あっという名の
月が出た
どうしてうなったのか‥‥は説明不能。詩の才のない者には自分がよいと思う詩のよさを説明することなどできないのです。宇野によるおばあさんの絵と合わせてご覧ください。そして、真にうなったのは次。

ママが鳥になってしまったの、鳥とあそんでいたら、そこへ、べつの鳥が飛んで来て同じようなのが二羽になってしまったの。どっちがママなのかわからないので、困っていたら、そこへズドン!と鉄砲の音がして一羽に命中してしまったの。でも、死んだのがママなのか、びっくりして飛び去って行ったのがママなのか、見わけがつかないので、ぼくは泣いたほうがいいのかどうか、迷っているところなのです

泣いほうがいいのかどうかわからないこと――これほどの悲しみはないと思う。

by enzian | 2009-12-20 00:00 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(20)

トラックバックURL : http://enzian.exblog.jp/tb/12527137
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by haco at 2009-12-22 00:52 x
>泣いほうがいいのかどうかわからないこと――これほどの悲しみはないと思う

とはどういうことだろうと考えてみました。

まずはどうして疑問に思ったのだろうかとかんがえてみたところ「これほどの悲しみ」の「これ」が何を指しているものなのかわからないからだと思いました。(先生の書き方に原因があるのではなく、わたしの理解力が足らないのです)
そこで、寺山氏の文章に戻って考えみたところ、何が良くて悪いのかということが判断ができない状況にあることが悲しいことなのだろうと思いました。
ではなぜそのような状況に陥ってしまったのかと考えたところ、「母が死んだ」、ないしは「飛び去った」ことは、いずれにしても「ぼく」が一人取り残されているには変わりないからだろうと思いました。
だとしたら、すごく悲しいことだなと思いました。
Commented at 2009-12-22 23:25
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by non at 2009-12-23 22:08 x
コメント欄復活 うれしいです (^▽^)V

私が生まれて初めてデートした日に
相手からプレゼントしてもらったのが・・・
寺山修二の「愛さないの愛せないの」イラストは宇野亜喜良

まだ 大切に本棚に飾ってあります~

頁をめくると~
二十歳の私が飛び出してきそうです
(オクテなので 初デートは20歳の誕生日直後)

↓ 私も少女時代 「科学」がお気に入りでした。
だから ちょっと寂しい想いで 廃刊の記事を読みました~
enzianさんの少年時代の ちょっぴりビターで温かいお母さんの思い出 しみじみと読ませて頂きました。
Commented by 座敷童 at 2009-12-24 00:25 x
大人だ、大人の絵本だ。
でも中高生時代に読むと好いかもですね。
「踊りたいけど踊れない」もおすすめです。
表紙買いをして、本棚のどこかに仕舞ってあります。
装丁が素晴らしくて・・・日焼けするのがいやなもんで。

最後の詩、「わからない」「みわけがつかない」
ここまでは、目の前にあるものをすべて受け入れているように感じます。
「迷っている」死んでしまったのがお母さんだと解らないけど、そうだと思ってしまっている、それが迷いの引き金なのでしょうか。
そして泣いた方が良いのかどうか、あまりにも客観的で、それが悲しいですね。
Commented by 毒きのこ at 2009-12-24 20:11 x
ある強烈な体験やそれにともなう感情・・・

その極みにあって渦中である時・・・

人は放心状態になりどのように振舞うべきか、したいのか・・・

判断がつかずにいるものなのかもしれません・・・ね


わたしも、今年そのような経験をしました・・・

愛する人の喪失はそう簡単に泣けるものではありません・・・ね



enzianさん☆

☆・゜:*МЁЯЯЁ Х'МДS.....φ(Ф皿Ф。)だっちゃ♪*:゜・☆
良い子の枕もとには・・・
たっくさんの”キノコ”が、サンタさんから届くかもよぉ!?!?
Commented by gauche3 at 2009-12-24 21:48
個人的には、後半に興味あり♪
強すぎる傾きに酔ってみたいです(笑)

それにしても、なんとも素晴らしい詩ですね・・
本、買って読んでみます^^
Commented by enzian at 2009-12-25 12:14
鍵コメさま

ありがとうございます。
ぼくが言いたいことは正しくそういうことでした。

>感情をどう表していいかわからない程悲しいこと

残念ですが、そのようなことはたくさんあると思います。
鍵コメさんはそのことをよくご存知なのでしょう。

>感情を思いっきり表現することは、次に進むために必要なこと

そう思います。
それができないのがこれからどんどん
前に進まないといけない子どもであれば、
なおさら悲しいことですね。

鍵コメさんのコメントが鍵コメでなかったら
他のコメントをくださった方の参考になったと思います。
惜しい‥‥^^
Commented by enzian at 2009-12-25 12:22
nonさん

>コメント欄復活 うれしいです (^▽^)V

ありがとうございます。
また付けたり付けなかったりするでしょうが‥‥汗

>私が生まれて初めてデートした日に
相手からプレゼントしてもらったのが・・・
寺山修二の「愛さないの愛せないの」イラストは宇野亜喜良

(゚Д゚)!!すごい。
それはセンスのあるプレゼントですね。

>私も少女時代 「科学」がお気に入りでした。
だから ちょっと寂しい想いで 廃刊の記事を読みました~

この雑誌は好きな方がたくさんおられたでしょうね。
実験セットなんか当時としては画期的なものでした。
あの雑誌で科学する心を養った人も多いのかもしれません。
Commented by enzian at 2009-12-25 12:23
hacoさん

>「母が死んだ」、ないしは「飛び去った」ことは、いずれにしても「ぼく」が一人取り残されているには変わりないからだろうと思いました。だとしたら、すごく悲しいことだなと思いました。

hacoさんらしい解釈ですが、
ぼくとは少し論点が違います。

例えばこういう例を考えてみましょう。

(1)A君のお母さんが亡くなった。その場合のA君の悲しみ。
(2)A君のお母さんはもう30年間も行方が知れない。
  その場合のA君の悲しみ。

(1)はそれ自体として大きな悲しみですが、
ターゲットめがけてさんざん悲しんで、涙を流して、
そうした時間の経過によって癒えることを期待してもよいでしょう。
しかし、(2)はいつまで経っても癒えないのです。
悲しみのターゲットがないからです。

一人取り残されているという共通点を言っているのではなく、
一人取り残されたという共通点があっても、
しかも(1)の方が一般に悲しいことだと言われるかもしれないが、
(2)の方がダメージを与える悲しみになりうる、
ということが言いたかったのです。
Commented by enzian at 2009-12-25 12:27
毒きのこさん

>わたしも、今年そのような経験をしました・・・
愛する人の喪失はそう簡単に泣けるものではありません・・・ね

あと数日で今年も終わりですが、
いろいろあった1年だったのですね。

>良い子の枕もとには・・・
たっくさんの”キノコ”が、サンタさんから届くかもよぉ!?!?

やった、サンタさん、
「シモフリシメジとムラサキシメジをくらはい。」^^
Commented by enzian at 2009-12-25 12:31
座敷童さま

>大人だ、大人の絵本だ。

大人の絵本なのだ!

>でも中高生時代に読むと好いかもですね。

そう思います。
アフォリズムにあまり影響されて、
学校に来なくなると困りますが。。。

>「踊りたいけど踊れない」もおすすめです。

いいですね。
宇野の絵がさらにエロティックな方に行っているので、
よい子のためのブログには書けませんでした。

>「迷っている」死んでしまったのがお母さんだと解らないけど、そうだと思ってしまっている、それが迷いの引き金なのでしょうか。
そして泣いた方が良いのかどうか、あまりにも客観的で、それが悲しいですね。

すべてがきれいに分かたれて、
明確であればよいのですが、
現実はそううまく割り切れてくれないですね。
Commented by enzian at 2009-12-25 12:34
猿夫さん

>個人的には、後半に興味あり♪
強すぎる傾きに酔ってみたいです(笑)

そういうアダルトな意見、好きです。^^

>それにしても、なんとも素晴らしい詩ですね・・
本、買って読んでみます^^

読んでみてください。
話は変わりますが、
このごろ、詩の本なども読むようになってきているのです。
来年からは哲学詩ブログになるのか。
(ないない。^^)
Commented by 自称@サンタクロースな毒きのこ at 2009-12-25 16:25 x
・。・゜゜・☆彡*:.。.:*☆彡・゜・。・*:.。.:*・゜

シャンシャンシャン♪・・・

サンタさんはenzian坊やの枕もとにそっと

例のブツを・・・しのばせた・・・



凸 凸







・。・゜゜・☆彡*:.。.:*・゜☆彡・゜・。・*:.。.:*・゜

シャンシャンシャン♪・・・

Commented by enzian at 2009-12-25 17:56
毒きのこさん

>凸 凸

やたっシメジだシメジだ、
サンタさんありがとう

パクッ!○〉―< バタッ
毒やないかいっ!
(今年もお約束、ということで、
ここはまぁ穏便に。)
Commented by yuta at 2009-12-26 14:05 x
 こんにちは,enzianさん。
上の写真からファンタジア(ムナーリ)だ,と思いました。
取り残された悲しみや痛みというのは,そう簡単には癒えないのでしょうね。
でも時に一人取り残された暗闇の中にも,光が差すときもあるのだろうと思います。
 背負ったものの重さを分かち合い語り合える人は必ずにいるのでしょうから,そうやって生きてきているように思いました。
本当の悲しみや痛みはきっと考えてもわからないし消えるものでもないけれど,酌み交わす一杯の酒が癒してくれるかも知れないようなもの・・・かもと思います。またもや今年最後の感想でした。
Commented by enzian at 2009-12-26 16:56
yutaさん

こんにちは。

寒い冬こそファンタジアです。
(ちょっと意味不明ですが。^^)

>背負ったものの重さを分かち合い語り合える人は必ずにいるのでしょうから,そうやって生きてきているように思いました。

そうですね。
取り残された悲しみというのは、
おそらく、濃淡の差こそあれたくさんあるのでしょうから、
それを分かちもってくれる人がいなければ、
やっていけないですものね。

また、そうやって分かち持てることの
ささやかな喜びもあるのでしょう。

>酌み交わす一杯の酒が癒してくれるかも知れないようなもの・

忘年会も大切です、ね。^^
Commented at 2009-12-26 22:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by coeurdefleur at 2009-12-27 21:38
あっという名の月
ってすごい表現力ですねぇ。


泣ければ、受け入れたということですから
八割がた乗り越えている気がします。
Commented by enzian at 2009-12-28 23:03
鍵コメ2さん

こんばんは。

>人が小さく見える瞬間・・・

小さく見える瞬間がわからなかったのですが、
鍵コメさんがあげられた二つの理由はなるほど、
と思いました。ぼくの例からしても、
おっしゃる通りだったのだろう
と思います。

ありがとうございます。^^
Commented by enzian at 2009-12-28 23:05
柊さん

>泣ければ、受け入れたということですから
八割がた乗り越えている気がします。

ぼくもそう思います。

受け入れるというのは
どういう心の働きなのか、
興味があるのです。

<< 人が小さく見える瞬間 もっとたんたんと話せないものか? >>