救われる

b0037269_9453382.jpg前を歩く少し腰の曲がったコート姿は老人らしい。据え置きの消毒液の前で止まり、液を手につけ、またトコトコ歩き出す。

見かけない方だ、どこの方なのだろうと思ったが、わずかに横顔が見えて、わかった。3年前に立ち話しした際にはもう少し背はまっすぐ伸びておられたはずだが。横顔の雰囲気からも、ずいぶんお歳を召されたように見える。後ろからお見かけしただけだから、それはたんなる思い違いなのかもしれない。

ゆっくり歩く老人を追い越さないように歩く。ここで働きはじめて、どれほどの学生がこの老人のお世話になったことか。先日もまた、この方は一人の命を救ったのだった。腰が曲がってもなおここに足を運び、もくもくと縁もゆかりもないひとの力になろうとする。このひとを動かすものはなんなのか――小さな老人の背中を見つめながら考えていた。自然に頭が下がってしまって、困った。救われているのは、学生よりもぼくの方なのかもしれない。

by enzian | 2009-12-29 22:39 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(8)

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Commented by gauche3 at 2010-01-16 00:53
大人になると
それまで教わってきたり
学んできたことの意味を
思いっ切り考えたり
後悔したりします^^

人間ってヤツは
救い
があるからこそ
救われる
ということが
腑に落ちるのでしょうか?

僕もまた
enzianさんの背中や横顔に
(勝手に推測している・・(^^ゞ)
救われていますよ。
Commented by enzian at 2010-01-16 09:35
猿夫さん

>人間ってヤツは
救い
があるからこそ
救われる
ということが
腑に落ちるのでしょうか?

少なくともぼくの場合、
どこかにその可能性を見つけたいと思って、
幼いころからあがき続けてきたように思います。
どこかにその痕跡でもよいから見つけ出したかった。
それはたぶんすごく近くにあったのでしょうけど、
当時はそのことには気づけなくて、
それを探しに、オカルトの世界にまで
遠征したものです。^^;

老人がその“行為”でひとを救うのは
その時々に応じて一人ずつですが、
同時並行的に、その“背中”と“横顔”でも
無数の人たちを救っているのでしょうね。

猿夫さんの詩(家族の描写もそうです)は
多くの方々を救っているでしょう。
ブログは横顔や後ろ姿を作り出すものにも
なるのですね。恐るべしブログ。^^
Commented by haco at 2010-01-22 23:44 x
>ゆっくり歩く老人を追い越さないように歩く

大学構内で常に速足の先生が見とれて(?)しまったその方の凄さを感じさせられます。

ちなみに先生が走っていらっしゃる割合は遭遇回数全体のうちの4割、速歩きが6割。
トコトコ歩く、もしくはゆっくり歩いていらっしゃる先生を大学構内で一度も見たことがありません。

Commented by enzian at 2010-01-23 00:06
hacoさん

この方はぼくが学生になる前から大学に来られていて、
そのときからなにも変わることなく、
もくもくと同じことを続けておられるのです。
おそらく、歩けなくなるまで来られるのでしょうね。
ぼくが尊敬する方のひとりです。

>トコトコ歩く、もしくはゆっくり歩いていらっしゃる先生を大学構内で一度も見たことがありません。

hacoさんと論文について話しながら歩いているときは
ゆっくり歩いてるって。(´ω`)
Commented by どんぐりコロコロ at 2010-04-03 00:33 x
おじいさん・おばあさんの後姿は、こころひかれます。
特に丸い背中を目で追えば、祖母の記憶につながりますし、背が高くて長い足をくの字に曲げて、少し前かがみに歩く姿を見かければ、祖父へと結ばれます。

長く生きてゆく・老いてゆくことについて考えます。一日の積み重ねを続けてゆくことなのでしょうけれど、その困難についていろいろとふれたり、接しているとお年をたくさん重ねられた方の思いとは、いつのまにか遠いところで暮らしている自身に気がつきます。

お年をたくさん重ねられた方が、場にいらっしゃるのとそうではない時と、雰囲気に違いが現れる気がします。

自然に頭が下がってしまうという心境もまた尊いと思います。

写真の男性は、長い間お日様のもとで
働いてこられたかのような、肌のいろですね。
おじいさん・おばあさんがお元気で、
生き生きしている場は、もちつもたれつの
よいあんばいが、あるようにも思えます。
Commented by enzian at 2010-04-03 09:15
どんぐりコロコロさん

おはようございます。

どんぐりコロコロさんのおじいさんは
背の高い方だったのですね。
おじいさんってどんな存在なのでしょう。
どんぐりコロコロさんのコメントを読んで、
ぼくには祖父のイメージがない、と気づきました。^^;

>長く生きてゆく・老いてゆくことについて考えます。

ぼくも少しずつ考えるようになりました。
一日を積み重ねる――よくわからないですが、
ぼくもそうなのではないかと思います。
それしかしようがないのではないかと。

高く積み上がった積み重ねのなかには、
ようやくのこと積み上げたものもあれば、
知らぬ間に積み上がっていた、
などというものもあるのかもしれません。
Commented by enzian at 2010-04-03 10:11
どんぐりコロコロさん、続き

>年をたくさん重ねられた方の思いとは、いつのまにか遠いところで暮らしている自身に気がつきます。

それなりに積み上がったあとにしか、
それを俯瞰することはできないのですが、
一段一段を想起しながら全体を俯瞰できるのは
老人だけの特権なのでしょうね。
当人以外は、その内側に入ることはできず、
外から見せてもらうことのみできます。

学生たちのなかには、おじいさんやおばあさんの
ことを楽しげに話すのがよくいますが、
それを聞くのはぼくにとっても楽しいことです。
若いひとにとっては、おじいさんやおばあさんは
一冊の絵本のような存在なのかもしれないと思うときです。
自分がいずれとるかもしれない物語の選択肢の
ひとつとして老人を読み取っているのでしょう。

とはいえ、外からしか見せてもらえないというのは、
一抹の寂しさでもあります。
Commented by enzian at 2010-04-03 10:14
どんぐりコロコロさん、さらに続き

>写真の男性は、長い間お日様のもとで
働いてこられたかのような、肌のいろですね。

波照間島で合ったおじいさんなのですが、
少し言葉を交わしました。
いい感じの方でした。
ず~っとお日様のもとで働いてこられたのでしょうね。

>おじいさん・おばあさんがお元気で、
生き生きしている場は、もちつもたれつの
よいあんばいが、あるようにも思えます。

そうですね。

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