走馬燈

b0037269_23295647.jpg美へのセンスはほとんどない。特に人間の表面に現れる美へのセンスはまったくもちあわせていない。色にも詳しいわけではないが、こだわっている色はある。水色だ。青と白の絵の具を混ぜるのが訳もなく楽しくて、保育園のころ、描く絵はすべて、この色で塗りつぶした。

青と白の絵の具をひたすら混ぜて、保育園児は理想の色を探していたのだろう。それは、保育園の庭の端のフェンスまでどころか、何千キロの彼方でも自由に行き来できるようになったいまでも変わらない。まだ編み合わされていない余白を縫い合わせようとするかのように、そのような色を索(もと)めて、ときどきふらふらと波照間島のニシハマに行く。そこには、えもいわれぬきめ細かな白砂があり、白と青のコントラストがある。触覚と視覚を満たすものがある。手指をすり抜ける砂の感触を感じながら、ひがないちにち水色の空と海を見ている。

ニシハマの水色は美しいが、それが理想の水色なのかと聞かれれば、口ごもってしまう。すっきりと晴れわった日のニシハマを知らないからだ。雨男の悲しい性。ニシハマではないが、一度だけ、 “理想の水色” を見たことがある。いつのことか、仏間には縁側から日が射していた。音も立てず、なにを動力にしているのかわからない水色の走馬燈が回っていた。あまりにも美しい水色でいやになった。

by enzian | 2010-04-24 16:19 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(22)

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Commented by Ry at 2010-05-19 22:32 x
>青と白の絵の具をひたすら混ぜて、保育園児は理想の色を探していたのだろう。

私の時はクレヨンでいろんな色をただ丸く重ねてただけでした。その時どうしてそうしたのかはもう覚えていないけれど、たくさんのスケッチブックが残っていました。
絵の具をひたすら混ぜるのは今の方が多い気がします^^;

理想の何色かを見つけると言葉にできないですね。
夕暮れの空がオレンジでも赤色でもなくピンク色になる時はすごくラッキーな気持ちになります(´ω`)
引きこもりなので尚更w

きっと人は個々の理想の色を求めたりなんかして自分と向きあったり、他者と関わったりしていくのではないかと最近は思います。
絶対的な変わらない何かより、自分や他者に目を向ける方がずっと大切だよなぁとしみじみ思うのです。

自分でも何書いてるのかわかりませんが(笑)時期的なものだと思って広い心で汲み取ってやってください☆エヘ
Commented by enzian at 2010-05-22 11:18
Ryさん

ぼくも、クレヨンも使っていたように思うのですが、
不思議と、絵の具のことばかり覚えているのです。

夕暮れの空は
神さまからのプレゼントなのです。^^

>絶対的な変わらない何かより、自分や他者に目を向ける方がずっと大切だよなぁとしみじみ思うのです。

ぼくはどちらを選ぶかはひとそれぞれだと思うけど、
小さいころに絶対的な他者について考えすぎたから、
いまは自分と他者(相対的な他者)の関係に
ウェイトを置いているかな。
Commented by yuta at 2010-05-23 22:55 x
enzianさん、こんばんは。
カエルさん(飴ですか?)の翠、きれいです。
>ここ以外の多くの部分、
言われてみるとその通りだなぁ、と思いました。
>他人との距離感は自分との距離感・・・・。
ちょっとばかり、そんなふうに感じないでもない自分がいたりします(同じかどうかは分かりませんが・)。もし精神が自分から分離できるなら、心と身体を残して突き放したくなるような。・・・無理か!・・・なぁ。
Commented by enzian at 2010-05-23 23:16
yutaさん

こんばんは。

>カエルさん(飴ですか?)の翠、きれいです。

飴です、ゲコゲコ(ありがとうと申しております。^^)

>もし精神が自分から分離できるなら、心と身体を残して突き放したくなるような。

yutaさん、「精神」って何ですか? (・_・?)
理知的な作用のことですか、それは「心」と違うのですか?
(「心」と「こころ」も違ったりして。。)
ちょうどよい機会なので、聞いておこう。^^v
Commented by yuta at 2010-05-24 00:27 x
yutaです。再び、おばんです。
>「精神」って何ですか? (・_・?)
理知的な作用のことですか、それは「心」と違うのですか?(「心」と「こころ」も違ったりして。。)
 こんな難しいこと聞かないでくださいよぉ~。(ToT)
 変な人に思われると嫌ですけれど、小さいころ私を見つめている私にあったことがあるんです。自分の部屋で・・・(本人は本当にそう思っているのですが、単なる夢かも・・)。厳密に言うとどっちが私かがわからないのですが(笑)。見ている方、多分、私と思われる私は、見られている私に、違和感(戸惑い)を覚えるだけでした。心が悲しむなら、痛むなら、そんな感情らしきものはなんにも感じない私、だけれども、確かにちゃんと悲しんだり、泣いたりする私の存在を認めている私のような存在。恣意ていうなら、そんな感じを精神といったのでしょうか。理性といわれるとちょっと違うような気がしますけど・・・。多分、良い悪いの判断とかはないようなので。と、ほとんど自分の感覚でしか言葉が出てこない私です。心とこころは、違う気がします。どうでしょうか。こんな答え方しか出来ませんが、こんなもんでしょう、自分!・・ちょっと悲しい感じ。^^;
Commented by enzian at 2010-05-24 23:23
yutaさん

おばんでやんす。

yutaさんのコメントにしばらく悶絶しました。

>心が悲しむなら、痛むなら、そんな感情らしきものはなんにも感じない私、だけれども、確かにちゃんと悲しんだり、泣いたりする私の存在を認めている私のような存在。

それって、「神」とちがういまっしゃろか、
と最初に関西弁で思いました。
印象としては「心」を蒸留してできあがった成分のような。
でもだとしたら、まさしく「精」神ですよね。
「精心」と言ってもよいでしょうか。
「精私」かな。

ぜんぜん関係ないですけど、
昔から、神的な存在は人間たちの悲しみに対して
心を痛めるのかどうか、というのが議論になったりします。
(「神の痛みの神学」というのがあります。)
うじゃうじゃいる人間の悲しみにいちいち付き合っているようでは
神さま稼業も大変なのだろうと思いますが、
ぼく個人的には痛めて欲しいな、なぞと思っています。
仏教の慈悲などはそんな心の働きのような気がします。
Commented by enzian at 2010-05-24 23:24
yutaさん、続き

「精神」は哲学の方では、
自律性とか主体性とか能動性を強調された
心の在り方に使われる場合が多いです。

>心とこころは、違う気がします。

「心」は「体」と対で使われるような印象があります。
その意味で、心は体と不可分なのかもしれません。
「こころ」は(体を前提した)「心」と「心」が関わり合う
場面で生じてくるものなのかなというのが、
yutaさんのブログを拝読しているぼくの、
今のところの印象です。
Commented by yuta at 2010-05-24 23:56 x
enzianさん、おばんでやんす。って関西の方はいうんでしょうか?
乖離性障害というのがありますが、乖離しても意識を失わなわず、残された身体と心をボーっと見ていられるようなのが、もしかして「神」さま?と妙なことを思いました。心の痛みが強ければ強いほど、痛まない何者かに憧れる、のかもしれません。ふと、思ったのですが、看護師さんとか、(私のような)障害の方と付き合う仕事などをしていると、心を動かさない心の置き場所を自分の中に見つけ出したくなるかもしれないかなと。他者の心に寄り添う心と、それには鈍感であるけれど事実だけを追うような働きと。それがいいのか悪いのかは全く分かりませんが、そうせざる終えないやむにやまれなさというか。精神病ってことばを、自律性病、主体性病に置き換えると変ですもんね~。
Commented by yuta at 2010-05-25 00:10 x
続きます。
神様は心が痛むのか?聖書の中では、痛む人間を救うという構図が強い気がします。一緒に痛む人としては存在しないような気が確かにちょっと・・・。
いいことをしても悪いことをしても神様の働きはチャンスレベル、それと親鸞さんの・・・況や悪人をやというのは、同じことかと思っていたのですが、慈悲の働きが違うんかなぁと今、思いました。
 人と人との間にこころがあるのであれば、そのこころは、哲学でいうところの自立性と主体性と能動性に近いのかもしれません。人と人の間のそういうこころがどう生まれ、どう働いていくのかを知りたい、と思います。
いつもありがとうございます。
Commented by enzian at 2010-05-25 17:51
yutaさん

おばんでやんす。というのは関西では使いません。
どこかで聞いたような表現なので、使ってみました。
正しい表現なのかしらん。^^;

>乖離しても意識を失わなわず、残された身体と心をボーっと見ていられるようなのが、もしかして「神」さま?と妙なことを思いました。

おもしろいですね。
もともと人間を救う神さまというのは人間が必要に
応じてつくりあげたものでしょうが、
乖離症状というのも、自分の意識が
つくりあげたものでしょうから。

>心の痛みが強ければ強いほど、痛まない何者かに憧れる、のかもしれません。

痛まない何者かは別の自分であったり、
もはや自分とも言えないものであったり。
ときには神であったりするのでしょうね。
Commented by enzian at 2010-05-25 18:24
yutaさん、続き

>ふと、思ったのですが、看護師さんとか、(私のような)障害の方と付き合う仕事などをしていると、心を動かさない心の置き場所を自分の中に見つけ出したくなるかもしれないかなと。他者の心に寄り添う心と、それには鈍感であるけれど事実だけを追うような働きと。

「寄り添う心」と「事実だけを追う心」、
両方が必要なのでしょうね。
その区別はケア(?)する側にとっても、
ケアされる側にとってもなくてはならないのだろうと思います。
程度の差はもちろんあるでしょうが、
教師にも必要な区別のような気がします。

>神様は心が痛むのか?聖書の中では、痛む人間を救うという構図が強い気がします。一緒に痛む人としては存在しないような気が確かにちょっと・・・。

特に旧約聖書にはいっしょに痛むという
要素は少ない気がします。
言うことをきかないと厳格に裁かれますもの。^^;
新約の福音書あたりになると、
父なる神というよりもイエスが出てきますので、
その辺りはマイルドになるような気がしますが、
やはり神は(人間とは質的に異なった)超越者という
性格を強くもつ気がします。
Commented by enzian at 2010-05-25 18:25
yutaさん、さらに続き

>いいことをしても悪いことをしても神様の働きはチャンスレベル、それと親鸞さんの・・・況や悪人をやというのは、同じことかと思っていたのですが、慈悲の働きが違うんかなぁと今、思いました。

浄土思想での慈悲の働きは
たぶんチャンスレベルではない、
というのがぼくの考えです。
福音書のイエスが万人の罪を背負い、
すでに贖い終わっているということなら、やはりこれも
チャンスレベルではないだろうと思っていますが、
この辺りの説明は今のぼくにはできそうにありません。^^;
Commented by まど at 2010-05-30 17:45 x
enzianさん、ご無沙汰しております。^^

水色の思い出 …
小さい頃、水色のスカートと白いブラウスをよく着ていました。
水色が大好きだったのです。
だから小2の時…水色の上靴(ゴムの部分が水色のバレーシューズ)を買ってもらって履いていました。
が!男子に「男色の上靴~~」とからかわれ…サイズが変わるまで黙って履いていましたが…サイズが変わったと同時に 水色としばらく おさらばしました。




Commented by enzian at 2010-05-31 12:58
まどさん

ご無沙汰です。
お元気ですか?^^

そうでしたか。
自分の好きなものを好きなままでいる
ことにときどき困難があることは気づいていましたが、
まさか、水色を好きでいることに、
条件しだいでは困難があることは考えもしませんでした。
簡単ではないのですね‥‥
ぼくがピンク色大好きであれば、
そのことに気づいたかもしれません。

「しばらく」ということですから、
また水色に戻られたのですよね。^^
Commented by kaori_tochiu at 2010-05-31 14:33
あぁきれい・・・( ̄ω ̄)
(トップ画像)
アジサイですか?
花の表ではなく裏側から見るところが
enzianさんっぽいなぁと思います(^^)
Commented by minori5b at 2010-05-31 16:31
そっか~~~紫陽花なのですね~♪
もしかして自分の好きな「隅田の花火」かなとも(=・;・=?...
enzianさんのトップ。。。ボチボチ換わって?...替わって?るかなと
オジャマするのが 楽しみなのですよね~^^
Commented by enzian at 2010-05-31 18:33
かおりさん

おっ昼間のかおりさん。^^
これは瓊花(けいか)という花です。
アジサイの写真がなかったので、
アジサイの写真の代わりに貼りました。
テーマは花に寄る蝶です。\(-_-)ピシッ

>enzianさんっぽいなぁと思います(^^)

ありがとう。^^v
Commented by enzian at 2010-05-31 18:33
minoriさん

紫陽花もどきです。

>自分の好きな「隅田の花火」かなとも(=・;・=?...

なるほどですね。
隅田川の花火って見たことないのですが、
一度見てみたいです。

>enzianさんのトップ。。。ボチボチ換わって?...替わって?るかなとオジャマするのが 楽しみなのですよね~^^

ありがとうございます。
すでにブログ生活はぐだぐだなのですが、
せめてトップ画像ぐらいは変えるようにしまふ。(^^ヾ
Commented by minori5b at 2010-06-02 11:35
>隅田川の花火って見たことないのですが、
>一度見てみたいです。
ハ~イ 同じく見たことないし 見てみたいです^^。。。が...
enzianさん♪ボケてくれたのね~...って思ったけど...
もしかしたら比喩...ぽく受けてのコメ(=?;?=)...いや!お茶目にボケの方U?;?U...
考え出したらどっちなのか グルグルちびくろサンボになってきちゃいました^_^;

「隅田川」ではなく「隅田の花火」=白い額紫陽花(夜空の花火のイメージ)
enzianさんは物知りだし ご存知と思い込みで。。。
で~ ご存知でしたよね~(^^ゞ
Commented by enzian at 2010-06-02 23:03
minoriさん

は~い、グルグルしてバターになったら、
パンに塗って、おいしくいっただきま~す。^^v

「隅田」という言葉が出たので、
有名な隅田川の花火を見たいな、
とふと思った、ということなのです。
Commented by kaori_tochiu at 2010-06-04 10:29
こんにちは^^
昼間のわたしです。
たまに光合成もしないと(笑)

瓊花(けいか)かな?と思った花があったので
写真にとってみました。ブログに貼っておきますので
よろしかったら見てみてください~。
Commented by enzian at 2010-06-04 22:53
かおりさん

あっ、朝のかおりさんだ。
デンプンとか貯まりました?^^

>瓊花(けいか)かな?と思った花があったので
写真にとってみました。ブログに貼っておきますので
よろしかったら見てみてください~。

あいあい。
そちらに返事を。

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