発見の喜び

b0037269_2252334.jpg全体を見て「ここは誤りである」と指摘した場合、この言葉はどういうことを意味しているのだろうか。

まず、「ここは誤りである」という表現は、「ここ以外の部分に誤りはない」「これ以外の部分は正しい」ということを前提しているのではないだろうか。だとすれば、「ここは誤りである」という表現は、「ここを修正さえすれば、それは全体として正しくなる」「ここを修正さえすれば、それはさらによくなるだろう」ということを志向しているのではないだろうか。

だがぼくたちは、というか少なくともぼくは、自分よりも年若い者と接するとき、とりわけ学問にかかわるときには、そうしたニュアンスをすっかり省いてしまって、「誤り」の部分にのみ目を向けてしまいがちなのだ。そしてやっかいなことに、“学問的な厳密さ” を口実にしてそういったアンバランスさを大目に見てもらおうと甘える。

「誤り」にこだわる理由は簡単だ。全体のなかにわずかに見え隠れする誤りを探し出すことは、“発見の喜び” の相を呈するからだ。曖昧に隠れているもの、不明確なままであったもののなかから明確なものを見つけることが学問の喜びだとすれば、こうした “誤りの発見” は学問の喜びと境を接しかねない。学生と対峙するとき、ぼくたちは上のような削ぎ落としてしまいがちなニュアンスを掬い上げ、表現するようつとめることも大切だと思う。

by enzian | 2010-05-22 21:25 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(2)

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Commented at 2010-06-13 15:25
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2010-06-13 16:20
鍵コメさん

アタリ!
ありがとうございます!

>最後の1行

鍵コメさんもですよ。^^v

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