菅浦(5)

b0037269_21222723.jpg菅浦の東西入口には四足門が残っている。これは江戸時代の末までは地域の東西南北の端に置かれていたもので、菅浦は一種の自治集落として隠れ里への出入を統制していたという。

山と湖に挟まれ細長く伸びた集落には数カ所の寺院があり、一つを除いて無僧寺になっている。中世以来の長い歴史があるとはいえ、百戸足らずの小集落にこれだけ多くの諸宗派の寺院が残っているのだ。それは人から懸隔して生きることの難しさによるものなのだろうか。それとも、救われたいという共通の思いをもつにしても、その救われ方については妥協を許せないという、最期の希望の反映なのだろうか。

西側の四足門を入ってすぐの山肌には、この地に隠れ住んでいた淳仁天皇を祀ったという須賀神社がある。参道の長い石段を登ると、琵琶湖と竹生島が見下ろせる。日陰には、薄い青紫に橙色をあしらったようなシャガの花が咲いている。好きな花だ。須賀神社の本殿近くは土足厳禁になっていて、靴を脱ぐ気もないので、そこで引き返す。

その昔、実家は神道とも仏教ともつかぬ宗教に入っており、月に一度、滋賀か京都の支部にお参りに行くのが恒例行事になっていた。教祖(代理)の長い話を聞く “苦行” が終わって、琵琶湖畔か鴨川沿いを歩くことが、その際の唯一の救いだった。一度、恒例行事で事件を起こしたことがある。一畳ほどの神聖な空間に誤って一歩足を踏み入れたのだ。そのとたん、大人たちは蜂の巣を突いた騒ぎになり、少年は罵倒され、衆人環視のなか、正座のまま顔を畳にこすりつけて謝罪の言葉を言い続けさせられた。子どものプライドは引き裂かれた。そのとき、ぼくは一つの誓いを立てたのだ。

by enzian | 2010-07-13 08:06 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(21)

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Commented by enzian at 2010-07-18 08:49
(猿夫さんより、FC2ブログでの記事でもらったコメントです。)

「菅浦」、思いがけない展開になってゆくんですね。

> 表面は慇懃でも裏では陰湿な行動で自分の地域以外の、いや自分の
> 家族以外の人間を秘かに “他所者” として区別し、決して近づけ
> ようとはしない、一定地域に暮らす人間たちの謂(い)いなのだ。

子供の頃、壊れてゆく母を見ながら、こんな風に思ったことがあります。
少し大人になってから、その地域は、「オープンだけど閉鎖的だったん
だろうなぁ」なんて考えたりしました。

> 救われたいという共通の思いをもつにしても、その救われ方につい
> ては妥協を許せないという、最期の希望の反映なのだろうか。

すごいですね・・ここ。
希望なのか・・絶望なのか・・
百戸足らずの小集落に四足門があるということ自体、
人間に対する絶望であるような気さえしてきました・・

会社を休んで、enzianさんの講義を1ヶ月くらい集中して聞いてみたい
なぁ・・などと、ふとマジで思ったりして(笑)
Commented at 2010-07-18 08:51
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-07-18 08:51
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Commented at 2010-07-18 08:52
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Commented by enzian at 2010-07-18 11:59
鍵コメさん

がんばれませんでした。涙
FC2は鍵コメがそれぞれの記事からは見えないのです。
コメント一括管理画面に行かねばならず、
とても見にくいのです。
つまり、FC2では鍵コメを書いた人には見えず、
書いてもらった人(enzian)も非常に見にくい
という設定になっており、
これが断念の理由のひとつになりました。

>旅

鍵コメさんと猿夫さんがおっしゃるとおり、
どっちに行くのかわからないですね。
実際の旅の描写ですから、
また移動するかもしれないですよ。笑
Commented by enzian at 2010-07-18 12:26
鍵コメさん、続き

おっしゃる通り、田舎には集落として培ってきたものが幾重にも積み重なっているのだと思います。

ぼくはずっとこの積み重なり=複雑さ、難解さ、閉鎖性であると考えてきたのですが、そうなる場合もあるが、そうならない場合もある、というのが適切かなと思うようになってきました。積み重なるものの性質、積み重なり方、また、積み重なった時代や地域、そのようなものが総体としての積み重なりの性質を決めるのかもしれません。

ぼくの郷里はどちらかというとその積み重なりがしんどい方向に行っていたのですが、鍵コメさんの親族の方にとってもそういうことがあったのかもしれません。

>No.1の記事

ぼくも1のような記事の方が好きです。こういう書き方の方がかえって読む人に伝わるものは多いと思います。が、ときどき違う表現を入れてしまいます。連作は同じスタイルにした方がよいのでしょうが。。。
Commented by enzian at 2010-07-18 12:30
鍵コメさん、さらに続き

ちなみに、鍵コメさんのアイスのくだりの表現に笑いました。笑(パソコンを変えて、鍵コメ打てない状態。)

昨日は京都で学会でした。
見事に祇園祭りの日に梅雨明けしましたね。
梅雨明け前に風邪を引きそうになっていたのですが、
梅雨が明けたらふっとびました。ピース。
Commented by enzian at 2010-07-19 09:55
猿夫さん

>「菅浦」、思いがけない展開になってゆくんですね。

プロットを練らずに書いていますので、
自分でもどうなるかわからないのです。汗

>「オープンだけど閉鎖的だったん
だろうなぁ」なんて考えたりしました。

オープンで楽しいと言われているひとほど、それは舞台上での作業に過ぎないのだな、と感じることがあります。もちろん、このことは良い悪いに直結することではまったくないのですが、よく感じることです。

>希望なのか・・絶望なのか・・

そうですね。ここは最初、「欲望」と書いていたのですが、すごく迷って「希望」にしました。絶望に裏づけられた欲望、というニュアンスになるでしょうか。

>百戸足らずの小集落に四足門があるということ自体、
人間に対する絶望であるような気さえしてきました・

ぼくもそういう理解が可能だと思っています。そしてまた、ちがった理解も可能だと思っているのですが、それはもう、居酒屋で呑みながらでないと話し尽くせないような気がします。笑
Commented by enzian at 2010-07-19 09:55
猿夫さん、続き

>enzianさんの講義を1ヶ月くらい集中して

では、ぼくが18時まで哲学概論を講義しますので、30分休憩して場所を変えて、18時半から猿夫さんの居酒屋学概論の講義をお願いします。(^_^)
Commented at 2010-08-01 23:28
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Commented at 2010-08-01 23:29
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Commented at 2010-08-01 23:30
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Commented at 2010-08-01 23:31
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Commented by enzian at 2010-08-02 20:20
鍵コメ2さん

こんばんは。
なるほど、そうなっているのですね。^^

今回、ドールのお値段というのを聞いて、
驚きました。お金のかかる趣味なのですね。
今年、ぼくの学生には人形で卒論を書くのがいて、
しばらくは、人形とかドールとかについて
あれこれ考える機会が多くなりそうです。

伝えないと伝わらないですゆえ。^^
ほっとしていただいてありがとうございます。
そして、いちばんほっとしているのは
じつはぼくかもしれないと思っているのです。汗
Commented by enzian at 2010-08-03 19:05
鍵コメ2さん、続き

>自分が作り出したものに抗えなくなるとはさも不思議なこと

ご指摘のように、この言葉は、シリーズ全体に効いてくる言葉なのだと思います。自分がつくりだしたものにはいろいろなものがあります。それがいろいろであることに応じて、所有の仕方もいろいろなのでしょう。所有していることがじつは所有されていることだったりもします。鍵コメさんのおっしゃることはよく理解できます。

鍵コメさんの田舎にも、そのような方が暮らしておられるのですね。それを聞かせてもらえるのは嬉しいことです。というのも、今回の旅はそのようなひとに会いに行ったのだと思えるからです。鍵コメさんの表現を借りれば、記憶を道連れに、思い残しに出会いに、出かけたのです。

けっきょくこの旅はまた新しいかけらを生み出したのですが、そのかけらは薄暗く絶望的な情念がとぐろを巻いたようなものではなく、ちょっと光った星のかけらなのです。この光が行く道を照らしてくれれば、と思いますのです。^^
Commented at 2010-08-18 11:59
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Commented at 2010-08-18 12:04
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Commented by enzian at 2010-08-19 23:28
鍵コメ3さん

コメントありがとうです。
たしかにゆらぎにはふたつあるようですね。
ゆらぎというと消極的な意味にとりたくなりますが、
可能性に開いているゆらぎもあるのですね。

そういうゆらぎが自分のなかにゆらいでいる
ことを願います。

重なりあう濃淡の淡い部分にひかれる――
それはなんとなく納得してしまう言葉ですが、
どういう風にお考えなのか、また教えてください。^^
Commented at 2010-08-22 15:01
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Commented at 2010-08-22 15:09
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Commented by enzian at 2010-08-22 16:49
鍵コメ4さん

そのひらがなでしたか。
その言葉は使ったことがないです。

関西には間を意味する言葉として
「あいさ」というのがありますが、
どこかで関係しているのかもしれませんね。

間というのは
木村敏などもよく使う言葉ですが、
哲学ではとてもたくさんのひとが
研究している言葉です。

ぼくにはまだよくわかりませんが、
人間にとってはとても重要な要素
なのだからでしょう。

どうもありがとう。

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