浄財

「奨学生の募集を停止する」――見覚えのある育英財団からの掲示であった。

大学院のころ、二箇所から奨学金をもらっていた。ひとつは国、ひとつは宗門の育英財団から。奨学生に採用されることが決まって、宗門の財団を訪れたとき、ぼくはなにごとかを言われるのではないかと内心穏やかではなかった。ぼくには僧籍はなかったし、しかもそのころ身を置いていたのはキリスト教系の大学院であった。ぼくはクリスチャンでもなかった。ぼくはどこでも “よそ者” であった。宗門の方から本山の紹介を受ける。「こちらが○○で、こちらが○○です」。案内が終わり、奨学金を貰った。けっきょく恐れていたようなことはなにも言われなかった。恐れていたようなことは言われなかったが、「これは浄財です」という言葉が心に残った。心に残ったが、「浄財」の意味はわからなかった。

けっきょく学費や生活費はすべてアルバイトでまかなって、国からの奨学金も、浄財も、そっくりそのまま後の結婚費用にした。果たしてそれが浄財の使い方として正しかったのかどうか、いまもってわからない。わからないが、よそ者にしてなお浄財を受けることが許されたということ、この一点が、おそらく自分が生きている限りは変わらないであろう影響、ひとつの思いを、ひねくれ者のぼくに与えたことは確かである。

by enzian | 2010-12-17 23:24 | ※キャンパスで | Comments(0)

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