雪垣法門

b0037269_1822667.jpg昔、上越地方には雪垣法門(ゆきがきぼうもん)という言葉があったといいます。

雪深いその地では、しんしんと降り続いた雪がやみ、青空がのぞいたつかのまの冬の日、法螺貝が吹き鳴らされて、地域の寺での法座のはじまりを告げる。雪囲いをされた寺の本堂には布団をかけた炬燵がしつらえられ、法螺貝に誘われた近隣のひとたちは車座になって、炬燵のうえから聞こえてくる法話(仏教についての話)に耳を澄ます――昨夜から散らつく雪を見ながら、そのような風景にふと思いを描くようになったのは、昨年ごろから学びはじめたことが影響しているだろうことはわかっています。

それにしても不思議です。雪のない地域で育った自分があこがれ続けたのは、雪に埋まる禅堂で独り修行を続ける自分の姿であったからです。しかしだからといって、深山に惹かれていた心がすっかり里へ下りてきたということにはならないと思います。暖かい炬燵に脚を突っ込み、大好きな餅をくっちゃくっちゃ食べながら思うのは、あるはずだと思っていたいくつかのものがじつははじめからなかったということに今年気づいた、ということでした。よく学んだ一年でしたが、人間的にはみごとに退歩した一年でした。

by enzian | 2010-12-31 18:24 | ※その他 | Comments(0)

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