栗一つの価値もなし。

ウソをついている目を見るのは楽しくない。ましてや、そうしたウソを強いる原因が自分にある場合はつまらない。自分がウソの原因になる場合の多くは二種類。ひとつは真実がわかったら叱られるのではないかという恐怖。もうひとつは叱られないにしても、失望させてしまうのではないかという恐怖。そのような恐怖を軽減しないことにはコミュニケーションは成り立たないわけだが、とりわけ後者の軽減は至難。そんなびくびくしないといけない相手に近づく必要などないはずなのに不可解ではある。火中の栗であれば、無事に取り出せれば一口の口福もあるだろうが、煮ても焼いても食えない当方、栗一つの価値も持ち合わせていない。

by enzian | 2011-01-29 21:42 | ※その他 | Comments(0)

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