エリート意識

つくづく尻馬になど乗るものではない。彼氏をなじる彼女の尻馬に乗って彼氏を非難したり、親をあしざまに言う彼の尻馬に乗って親をなじったりしようものなら、いつ彼氏や親に向けられていた刃(やいば)がそのまま回れ右をして自分に向くかわかったものではない。くわばらくわばらである。本人が否定してよいからといって他人も否定してよいことにはならない。

とはいえ、ふらふらと尻馬に乗ってきた善良な当方に刃を向けるひとの気持ちもわからないではない。ぼくらは多かれ少なかれ、特定のものについては自分がいちばん知識をもっており、不可侵の権限があるという“エリート意識” をもっている。そういう意味で、彼女にすれば彼氏を批評するのは彼氏の “世界的権威” である自分だけの特権なのであり、彼にすれば彼の親を批評するのは彼の親の宇宙一の理解者である彼にだけ許される行為なのだろう。

そんなことはどうでもよい。ぼくが尻馬に乗ることに違和感をもつ理由はふたつ。ひとつは、かんたんに尻馬に乗るということが、自分の頭でものを考えようとしない思考の怠惰さを示しているから。もうひとつは、相手の意見を尊重しているようでいて、じつはまったく相手の人格を尊重していないからなのだ。この際の「人格」の意味については、説明を拒否する。

by enzian | 2011-02-08 22:38 | ※その他 | Comments(0)

<< 無縁仏 紅 >>