金魚とカラス

b0037269_21542351.jpgこちらに来てから、街角や路地裏のそこここに陶製の金魚鉢を見るようになった。そこにはたいてい、やっぱり金魚が泳いでいるのだけど、昨日見た一鉢にはメダカが泳いでいて、わぁ懐かしいと足を止めた。

その隣りの鉢には金魚が数匹入っているのだが、どう顔を近づけて見つめても、動かない。あれっ、おかしいぞ、おかしいぞと思っていたら、後ろから声がした。「だまされたね」。振り向くと笑顔があった。笑顔の後ろには古書店があって、そこの店主らしいひとであった。「ホンモノはね、子どもたちが手でぐるんぐるんして、みんな、ダメになっちゃった」。

手をぐるんぐるんしながら話す店主を見て、京都では見ないタイプの古書店主だなぁと思う。京都ではもう昔ながらの小さな古書店はほとんど全滅状態で、いくつか残っている大きな古書店はどこも、ドアをくぐった客をほとんど万引き予備軍としか考えていないのではないかとかんぐりたくなるような態度を示してくださる。分厚いレンズの眼鏡をかけた店主は番台(?ちがうよな)で本を読んでいるが、注意怠ることなくこちらをチラチラ見ている。信頼感なんぞ皆無なのだ。人間を信頼してないような手合いと付き合うのは難しいというか、どだい無理な話で、必要な本があれば、致し方なく、無言のままで番台のおやじのところへ行って、無言のままにお金を渡すという形で最低限の接触で用をすませる。

椎名誠の初期の本に『さらば国分寺書店のオババ』という本があって、この辺りからの影響もあって、ぼくは書店とか古書店とかの店員にうるわしき感情を抱いていない。ず~っと昔、ぼくがまだ学生だったころ、京都の小さな古書店でちょっと高い専門書を買ったことがある。ぼくはなんどか手にとってはあきらめて帰っていた。ある日、意を決して買おうと思ったとき、おばあさんは言った。「汚い本やから500円負けさせてもらいます」。そのとき以来かな、いい気分になったのは。そうそう、関係ないけど、数ある椎名の本のなかで学生のころ読んでいちばんいいと思ったのは『銀座のカラス』だった。

by enzian | 2011-05-24 21:57 | ※街を歩く | Comments(0)

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