ウナギの蒲焼きが放つのは香りなのか、においなのか?

「ウナギのいい香りがするぅ~」。前を歩く女子高生らしいふたりがいうので、「ウナギはにおいだろう」と、心のなかでツッコミを入れるが、ツッコミを入れてすぐ自信がなくなる。ひょっとしたら自分が知らないだけで、すでにウナギの蒲焼きは香りを放つというのが一般常識になっているのだろうか。ちなみに、ぼくは生活に密着した庶民的なものが放つよい匂いが「におい(匂い)」で、生活から離れたやや高貴なもの、嗜好品的なものが放つよい匂いが「香り」だと思っている。一方、よくない匂いは「臭い」になる。

そういう考えが前のふたりに当てはまるかどうか知らないが、ウナギというのはもう庶民の食べ物ではなくなっているのかもしれない。じっさい、ぼくはどちらかというとウナギよりもアナゴ党で、とりわけ安芸の宮島付近のアナゴめしをこよなく愛するひとなのではあるが、こちらに来て、東京のウナギがあまりに高価なことに驚いた。蒲焼きの梅が2800円って、いったいどんな立派なお方が召し上がるのか?梅が2800円なら、ぼくは杉とか檜とかでよい。ともあれ、たしかにウナギはサンマとはわけがちがうしろものになっているのかもしれない。サンマはにおいでも、ウナギは香りになってしまうわけだ。そういえば、ぼくの郷里では昔はマッタケがどっさり採れたらしく、そういう記憶のある祖母や父は断固としてマツタケの香りとはいわず、においといっていた。少年時代、血眼になって山を歩き回って、たった一度もマツタケを自分では(厳密にいうと、アシストしてもらって一回だけ見つけた)見つけることができなかったぼくにとっては、マツタケが放つのは香りである。

別の考え方もできる。前を歩いているふたりの自宅のキッチンには夏の土用になるといやというほどウナギの蒲焼きが転がっていて、「もうウナギなんて見たくもないわ」、ぐらいの勢いなのやもしれぬ。したがって彼女らはウナギが放つものをにおいと表現することができるが(なんか論文っぽくなってきた)、にもかかわらず、彼女らはウナギを香りと表現し続けているとしたらどうだろうか。それはたぶん、「におい」と表現すると、「臭い」か「匂い」に聞こえて、前者はよろしくなく、後者はなにやらなまめかしい。そういう誤解を避けるためではないか。要はめんどうなカンチガイを避けて、臭いものに蓋をしているということになる。

by enzian | 2011-06-15 23:18 | ※街を歩く | Comments(0)

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