116年

街をあちこち歩いてるのには散歩というだけでなく、すこし理由もある。ぼくが勉強しているなんにんかのひとたちが百年ほどまえに、このあたりであれこれしていたからだ。そのときどきの場所に足を運べば、いくら文字覚えが悪くても、たやすくは消えないなにかが体のどこかに残るだろう。

そんなことを考えているが、ひとつ、どうしても見つからない場所がある。とある中学校なのだが、1895年に「谷中真島町」に置かれたというだけで、正確な位置を示す郷土誌はもうないらしい。そのあたりを歩いているご老人に尋ねても、彼らでさえ生まれる前のこと、詳しいことはわからずじまい。

そこには大きな校舎があり、たくさんの生徒たちの生活があって、教師たちもいたのだろう。高名な校長がいて、街のひとたちとも交流があったのだろう。そのころ、谷中でこの学校の存在を知らないというひとはいなかったはずだ。それから百余年、ひとりの人生に余るとはいえたった116年で、もうその位置をたしかめるすべさえ残っていない。

by enzian | 2011-07-17 13:12 | ※街を歩く | Comments(2)

Commented by すぴか at 2011-08-16 21:58 x
夏風邪は良くなりましたか?
コメント欄、開いていたのですね。
どこにコメントしようかと迷いました。

>たしかめるすべさえ残っていない。

百年の間には、大きな戦争に
地震に・・とありましたしねぇ・・。
でもどこかに何か足がかりが、残っているかもしれません。ただ一番頼みの綱になりそうな「口伝え」をたぐる、聞き取りが難しいことは、残念ですねぇ・・・。
技術で後世に伝えたり残そうとすることの恩恵を私たちはたくさん受けていますけれど、このたびの震災では、形あるものは波に奪われてゆきました。記憶の証を探し求めて動くひとたちの様子には、いろいろ感じたり考えさせられました。
ささやかな日常の営みの断片であればあるほど、それを強く希求する者なければ、時の流れのまま跡形もなくなるのかもしれません。
跡形はなくても、きっとどこか・・なにかしら感じられるようにも思えます。
過去の人物(知ろうとする)が
そこにいたことを頼りに、
今を動かれることの浪漫というか
そういうことには、こころひかれます
Commented by enzian at 2011-08-17 17:17
すぴかさん

おひさしぶりですね。
夏なので、コメント欄開きです。
(意味不明です。)
夏に風邪などひくはずない、
と思っていたぼくがバカでした。

>百年の間には、大きな戦争に
地震に・・とありましたしねぇ・・。

これはこちらに来て感じました。
そのことについては、
記事にするつもりです。

今回の震災では、
記憶の証の大切さを教えられました。
それを探し、持ち主に返そうとする
ボランティア活動を観ていて、
なんと気の利いたことを、と
動かされました。

以前記事にしたこともあるのですが
(http://enzian.exblog.jp/8065759/)、
過去に誰かがいて、確かにそこに生活があったこと、
それを感じるとなぜか心が落ち着きます。

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