積年の願い

b0037269_0225723.jpg歳をとって好きなものが増えるのはうれしい。いまから思えば小さいころには食べ物の好き嫌いがたくさんあったのだが、どれも、いつのまにか好きなものになっている。

おはぎが好きになったのはひとつの大事件だった。粒餡が苦手だったし、「おにぎりを甘い餡でくるむ」という浮世離れしたコンセプトが許せなかった。そんなぼくを尻目に、祖母はめんどうのかかる小豆を毎年畑でつくって、くつくつ煮て、それを母といっしょにいそいそと巨大なおはぎにしていた。遠くから見ているぼくに、「お前は食べないのか?」といつも聞いた。

あんなに嫌っていた粒餡おはぎだったが、いまでは大好きな食べ物になっている。嫌いなものを好きになるというのは、それを好きになって欲しいという自分の好きなひとの願いがまずあって、自分もまた、いますぐにではなくてもその願いにいつか添いたいという願いが休むことなく働き続けてきた結果なのだ、そうにちがいない、と思い込んでいる。

by enzian | 2011-08-21 00:28 | ※その他 | Comments(4)

Commented by non at 2011-08-29 09:43 x
私も 子供の頃 餡子が苦手で
おぜんざいも おまんじゅうも 食べませんでした。

唯一食べていたのは
「チョコまん」と呼ばれている 外側にチョコレートがけしたお饅頭で
した。

今は 自分で炊いたおぜんざいは好きです~
お饅頭は 積極的には食べません。
おはぎは 好きになりました。
手作りのは 特においしいですね(義母が よく作ってくれました)


それにしても 不思議に思うのは
私以外の家族は 皆お饅頭好きなのです。
実家でも 我が家でも…
Commented by enzian at 2011-08-29 20:18
non さん

チョコまんというのがあったのですね。
それは餡があまり好きでない子どもでも食べられる
ように作ったものだったりして。

その昔、饅頭というのは美味しいものの代名詞
みたいなものだったのだと思いますが、
ぼくもあんまり積極的には食べません。
饅頭でなければならない理由がない‥‥
なんてことをいうと、バチが当たるかな。
Commented by yuta at 2011-09-11 09:48 x
enzianさん、おはようございます。
「なにかが変り始めている」・・・朝からちょっと面白く、そしてちょっと恐ろしいなという気持ちとともに拝読しました。
どの年代も、エリクソン的に言えば発達の危機という現象と向き合いつつ生きてきたのでしょうが、身体(精神を含む)の変化が下降方向に向かう世代の自分の内部から発せられる感覚の矛盾は、何か不思議なものだなぁと思います。いつか書いていただいたように、何かを得ると何かを知らずに手放しているかも知れないそういう人間の発達の宿命のようなものがあるとしたら、今まで生きて、今まで得てきたものの豊かさが、衰える方向に向かう人間には問われてくるような気がします。そして、私は、今まで生きてきた過程での「自分の豊かさ」には、全然、自信が持てない。だから自分への不安が募ったりして。。。良寛さんみたいに、今を今として遊べる心持ちにはなかなかなれないですね~。
「霞立つ ながき春日に 子供らと 手毬つきつつ この日暮らしつ」
感想でした。
Commented by enzian at 2011-09-11 22:26
yutaさん

こんばんは。
コメント、ありがとうございます。

豊かとはなにか?というのはいつの時代でも問題に
なりますが、「自分の豊かさ」というのは、
とても困ります。わからないのです。

以前、卒業生のお母さんがテレビに出てました。
仕事をやめて、理科実験教室を自宅ではじめられたのですが、
それをすることで、これまで社会からもらってきたものを
お返しするのだ、と言っておられました。

自分の豊かさはわからないですが、
これまでたくさんのものをもらってきたことは知っています。
それをどのように返そうかと、一生懸命考える
時期がそろそろきたような気がします。

>「霞立つ ながき春日に 子供らと 手毬つきつつ 
この日暮らしつ」

読んで、小学校のときに家庭訪問に来られた先生と、
庭でバドミントンをして楽しかったことを思い出しました。
先生は一生懸命バドミントンをしておられただけなのでしょうが、
その風景はいまも忘れられないものです。
あのときのバドミントンが、一人の生徒に、
生涯忘れない記憶を残したとは、
ご本人は想像もしておられないでしょうね。^^

<< 聖なる物語 牧歌的対話 >>