聖なる物語

なんでもかんでも東北のためにとか、被災地に勇気を与えるために‥‥といったストーリーで意味づけるひとがいて驚いてしまう(ついでに言うと、この「勇気を与える」という言葉づかいには違和感を覚える)。揚げ足をとられては困るのではっきり言っておくと、被災地のためになにかをすることにとやかく言っていっているのではない。そんなこと、言うわけないじゃないか。そうではなく、まったくそんなつもりもなくスポーツをしたり、働いたり、趣味に興じたりしているだけなのに、それを第三者が「それは被災地の方のためですよね?」といった感じで強引に結びつけるのはいかがなものかと思うのだ。

もちろん、被災地のためになにかをするのは立派なことだと思う。それは当たり前なのだが、純粋に自分が勝つためにスポーツしたり、自分の儲けのために仕事をしたり、キノコ鍋にするためにキノコ狩りに行ったりするのも大いにけっこうなことなのだ。ひとの行動を勝手に自分好みの聖なる物語の一部にすることは、個人の空想のなかでは自由だが、それを三次元の他人に押しつけるのは暴力以外のなにものでもないと思う。

by enzian | 2011-08-26 21:27 | ※テレビ・新聞より | Comments(2)

Commented by 毒きのこ at 2011-11-08 19:34 x
>キノコ鍋にするためにキノコ狩りに行ったりするのも大いにけっこうなことなのだ。

大いにそう思いまする。
・・・そう言えば、先日、へんなキノコみつけました
メールします
黄金のキノコで且つ、足湯なのですが(汗

このエリアの干しシイタケも一時、値がオーバーしてしまったものが見つかったと報道で知りました・・・
素朴な生まれ故郷の風景がそのままであってほしい
・・・です
Commented by enzian at 2011-11-09 21:36
毒きのこさん

キノコ狩りはよいのですが、
数値オーバーは困りますね。
毎年のキノコ狩りを楽しみにしておられた方も
たくさんおられるでしょうに、残念なことです。

おもしろいキノコ写真、ありがとうでっす。^^

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