輪廻と業と施し

インドの大学で講演を聞いたことがある。インド人教授の日本語の堪能さにも驚いたが、その考え方にも驚いた。考え方とは、輪廻転生のことだ。その教授のさまざまなものの理解の基本となっているのは、ほぼ輪廻思想なのであった。そしてさらに輪廻思想の基になっているのは、業(カルマ)思想なのであった。簡単に言うと、前世に良いことをしたらそれがなんらかのかたちで残って機縁になって良い身分に生まれたり、悪いことをしたらそれがなんらかのかたちで残って機縁になって低い身分に生まれたりするといった考え方。

講演が終わって、日本人学生が質問をした。身体に障害をもつ学生だった。「障害者は、前世に悪いことをしたから、障害者として生まれてきたのですか?」もっともな質問だと思った。さすがに教授は困ったような顔をしたが、はっきりと言った。「そうだ。そうとしか答えようがない」。もう一人の講演者であった教授もうなずいた。

輪廻思想や業思想をもつこと自体は、個人の思想信条として、とやかく言える筋合いのものではない。だが、そのようなことを公的な場で、しかも学生に対する講演内容として話すとは‥‥。教授は(カースト制度のなかで高い位置を占めるハイカーストの自分たちだけでなく)、インド人のほぼすべてがこのような輪廻思想や業思想を信じているのだとも話した。もしそうなら、そのような教授の言動を受け入れるインドとはどのような国なのか。

その後、インド各地で、ハイカーストの資産家による、ローカーストの貧しい人々への施しの場面を見ることになった。週に一度行われるのだという。施しをする者も、施しをされる者も、ねぎらいの言葉もなければ、感謝の言葉さえなく、さも当然のことして、それは淡々と行われていた。

by enzian | 2005-01-16 20:16 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

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Commented by 座敷童 at 2005-01-17 00:56 x
「施し」をさせる事が当然=善行を富者に課すことで良き来世への布石とさせる。
よって富者に「施し」させる契機を与えているのだ!という図式になるのでしょうか。
そうだとしたら当然の行為ゆえに、無心ですよね。ふーぬ。
Commented by enzian at 2005-01-17 09:20
そういう図式があると思いました。
Commented by nattu at 2005-01-17 15:25 x
ちょっと疑問。
その教授が質問した彼に、はっきり言ったことや公的な場でそういう事を、することが、もし、仮に判別するとして悪の方だとしたら、、教授の後世は低くなるんじゃないかと思う。
でも、公的で、はっきり言うべきではないっていうのは私が日本人だからかもしれないし、はっきり言うことがいいことなのかもしれないなぁーって思うところもあるからなぁ。。。と。
でもひっかかる、、。
Commented by enzian at 2005-01-17 21:53
発言が悪であることはその通りなのです。しかし同時に、「そうでない」と答えることは、自分の思想や行動がすべてそこに基づいている業思想と輪廻思想自体をそっくり否定することになるので、絶対できないことなのです。こちらの方が、守るべき優先順位は高いということです。

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