刹那的に生きる

土曜の夜、なぜか浮かれてコンビニに行く。「お腸婦人」と「マサイの戦士」を探すのだ。どちらもドリンクの名前。1年ぐらい前に見かけてから、見ない。おそろしいスピードで商品が入れ替わっているのだ。

「今の若者は刹那(瞬間)的に生きている」という声はあちこちで聞く。「世の中の物の動きが刹那的だから、そこで成長した人間が、空気を吸うようにそれに染まって刹那的になる」という評論にいたっては、耳にタコだ。

そうなんだろうか?むしろ、替わり、移り変わってゆく事実を前にするからこそ、掛け替えのないもの、変わらないものを探し求め、それがやすやすとは見つからない事実に挫折し、傷つく人もいるのではないか?

そこに生きることで空気を吸うようにそれに染まって刹那的になるということと、傷ついた人が結果として刹那的にならざるをえないこととは、たぶんまったく別のことなのだ。

やはり、「お腸婦人」と「マサイの戦士」はなかった。

by enzian | 2005-03-26 23:05 | ※街を歩く | Trackback | Comments(25)

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Commented by enzian at 2005-03-26 23:28
あ~わかりにくいし、いきなり、暗い。「50代の哲学」ぐらいになってしまった。今度はわかりやすいのを書きます。すいません。誰にあやまってるのだろう?
Commented by noe.saeki at 2005-03-26 23:51
リハビリ必要でしょうか?(どきどき、大丈夫かな自分)

果汁100%に炭酸っていうジュースが好きなんですが、発売されては消えを繰り返し
ここ15年以上見かけませんね。
いつも買っていたコンビニのショーケースに
無くなったのを発見(ヘンな日本語)した時は
悲しかったなあ(;_;)

「今の若者」は、私たちの世代より精神的に複雑な時代を生きなきゃきけないんだな
と最近はとってもとっても感じています
そして生まれながらにその辺りの感覚は私たちの世代よりも発達した状態で
生まれてきてるようにも感じています
そういう点あんまり今の時代の生き難さを憂う必要はないと思いますが
それは大人が基本的な生きていく術というか対処方法をキチンと教えなくても
大丈夫ってわけではないと思います
必要なのは「友達親子」や「放任主義」ではないですよね
ああ、なんかズレてきてる(T_T)
Commented by せいや at 2005-03-27 12:09 x
はじめまして


「そこに生きることで空気を吸うようにそれに染まって刹那的になるということ」

なんとなく刹那的になること

「傷ついた人が結果として刹那的にならざるをえないこと」

考え抜いた(生き抜いた?)すえに刹那的にならざるをえなかったこと

と言う解釈でよいのでしょうか?


また刹那的に生きるのと、刹那に生きるのと覚悟の度合いが違うような気がします。
これは私の直感。

enzianさんはどう思われますか?

Commented by enzian at 2005-03-27 12:19
noe.saekiさんへ。復帰第一作の記事にして、すでに削除したくなっているenzianです。

複雑であるというのは、その通りだぁ~と思います。あんまり複雑すぎる場合にはどうしたらいいんでしょうね。メンドクサクなって、考えるのをやめるのも手なんでしょうか。無関心を決め込むという手。

ぼくは自分が一般的な就職活動ってのをしたことがないので、学生にちゃんと就職の指導することができない人だなぁといつも思っているのですが、複雑でない時代に生きた人が複雑な時代に生きている人に対処術を教えるのは大変なのかもしれません。でも、それでも、大人には何かしなくちゃならない責任があるだろうし、「放任」は許されないのでしょうね。

果汁100%に炭酸というジュースもすごいですね。見たことがない気が‥‥。ドイツはミネラルウォーターにさえほとんど炭酸が入っていますので、輸入食料品店でドイツ製の果汁100%(濃縮還元)ジュースを見つけたら買ってみてください。100%果汁ジュースでありかつ炭酸入りです。
Commented by enzian at 2005-03-27 12:43
はじめまして、せいやさん。enzianです。わかりにくい書き方ですいません。
>「そこに生きることで空気を吸うようにそれに染まって刹那的になるということ」
>なんとなく刹那的になること‥‥①
>「傷ついた人が結果として刹那的にならざるをえないこと」
>考え抜いた(生き抜いた?)すえに刹那的にならざるをえなかったこと‥‥②
>と言う解釈でよいのでしょうか?
まったくその通りです。その意味で書いています。

>また刹那的に生きるのと、刹那に生きるのと覚悟の度合いが違うような気がします。
覚悟の度合いが低いというのは、何も考えずに刹那的に生きているということですね。これは①の人にあてはまると思います。

覚悟の度合いが高いというのは、どういう意味でしょう?刹那的ということを考えたうえでの刹那的な生き方という意味でしたら、②の人にあてはまります。でも、「あえて刹那的であることを自分の意志で選択した」ということなら、②の人に完全にあてはまるか疑問です。「自分の意志に反して刹那的であること以外に選択できなかった」という挫折感の人も多いからです。ぼくは、この「挫折感」が曲者だと思っています。これで答えられてます?
Commented by gauche3 at 2005-03-27 14:40
おおっ!
再開されたんですね。
また楽しみにしています。
「お腸婦人」は全然知りませんでした。
検索してみたらDyDoのHPにその画像が・・
http://www.dydo.co.jp/dydo/release/030123.html
う~ん、欲しい・・飲んでみたいなぁ。
Commented by enzian at 2005-03-27 14:52
gauche3さんへ。お~!これです、これです。
久しぶりに会えて、涙がチョチョ。「夫人」なんですね。
ぼくが知ってるのはこの画像の真ん中のやつで、
ほかのがあるとは知らなんだ。
このセリフもまたいいでしょ?
ますます再会したくなった!
Commented by せいや at 2005-03-27 17:39 x
こんばんは。

私は「刹那に生きる」ことができる人が本当にいるとしたら、
その人は、次の瞬間肉体が滅びることを常に意識しながら
それでも人間としての完成を目指す存在なのではないかな?
と思ったのです。
それを私は「覚悟」と表現してみました。

Commented by enzian at 2005-03-27 19:51
せいやさんへ。こんばんは。そういうことでしたか。せいやさんは「本当にいるとしたら」という書き方をされていますが、「刹那に生きることができる人」の覚悟というのは、一種の “conversion” であるような気がしました。
Commented by せいや at 2005-03-27 20:05 x
“conversion” ってなんですか?

辞書には(宗教的な)回心、帰依という言葉が載っていましたがそれでいいのでしょうか?
Commented by enzian at 2005-03-27 21:15
独りよがりになってしまいました。
“conversion” は、「宗教的な回心」という意味で使いました。
その意味内容は‥‥むずかしい。う~ん。
「自分の生き方、在り方を根本的に変える」ぐらいの意味です。
伝わりましたか??
Commented by せいや at 2005-03-28 05:28 x
enzianさん。おはようございます。

私のぶしつけな質問に何度もお答えいただきありがとうございました。

私たちはなんとなく未来に自分が存在することを思いながら生活をしていますが、
そういう不確定なことをすべて拭い去ったうえで生きていくということは、
文字通り
「自分の生き方、在り方を根本的に変える」
に大変なことですよね。

これからも、寄らせて頂きます。

Commented by u-wakaroku at 2005-03-28 10:50
沖縄には情報がやってくるのが遅いので(わたしのキャッチが遅いだけかも)、もしかしたら信じられないことかもしれませんが、お腸婦人というものをわたしは知らない…。なんだこりゃです。マサイの戦士、沖縄にはあったりして…。

しょうもないコメントですみません。本題のほうは自分のなかで考えてみます。

再開されていたんですね。春を満喫されているんですね。
Commented by mu.saihou at 2005-03-28 17:44
私もまだ若いはずなのですが
私よりもっと若い人が
とても刹那的に楽しんでいるのが
まわりではよく感じられます。
達観している人もおおくて吃驚します。
挫折するまえに挫折をしているのかのような・・
深読みですかね?

後、リンクをさせて頂いてもいいですか?
Commented by shoko_118 at 2005-03-28 18:05
刹那的な世界に安住してしまうのは
覚悟がないからですよね。
こだわって執着することをどこかで諦めるから。
不思議ですねぇ、
刹那的も執着も言葉の響きはネガティブですもの。

刹那的なものの中に、大事なものなどありえないのだ、
今あたしはそう思っていますけど
明日はどうだかわかりません(笑)
Commented by enzian at 2005-03-28 18:56
せいやさんへ。こんばんは。
いえいえ、楽しく考えております。考えるのが好きな性質ですから。
とても大変なことだと思います。本当にそんなことができるのか、疑問にさえ思ってしまうのですが、できる人もいるのでしょう。また、よろしゅうに、です。
Commented by enzian at 2005-03-28 19:05
u-wakarokuさんへ。ご安心。お腸婦人がどうだこうだなんて騒いでるのは、ぼくぐらいのもので、たぶん、こちらの人もほとんど知らないと思いますよ。

自分勝手な言い方ですが、沖縄ぐらい、こういう刹那的なコンビニのサイクルの外にあればいいのに‥‥なんて思ってしまいます(沖縄の人の都合をまったく考えていない)。沖縄のコンビニで、古いパッケージの「ボンカレー」(昔の女優さんのやつ)を見つけたときは、感動しました。

春、満喫しています。モンシロチョウのように飛び回っております。よろしくお願いします。
Commented by enzian at 2005-03-28 19:42
mu.saihouさんへ。
「挫折している前に挫折しているかのような」、その通りだな、と思いました。
挫折してもいいからやってみよう、というトライすること自体に挫折してしまっている人もいるような気がします。そして、そういう人の中には、一生懸命やっている人とか、熱心な人とかに拒否反応を示す人がいるのかもしれません。そういう人にとって、「めんどくさい」とか「うざったい」とか「熱苦しい」が口癖になるのでしょうか。

こちらからもリンクさせていただきますので、よろしくです。
Commented by enzian at 2005-03-28 19:57
shoko_118さんへ。
刹那的な世界に安住してしまうのは覚悟がないからだと思います。そして、そういう覚悟ができる人がいるだろうことも認めます。でもね、だからといって、覚悟できない人が意気地がないとか、根性がないとか、そこまで言うこともできないって思ってます。自分も意気地のない人の一人ですから。あまりにもいいひとでいようとすると、それもしんどすぎるような気がするのです。いい人でありすぎる人が疲れ切ってしまって、結果として、もともと何も考えていない人と同じことになってしまうこともあります。

それとまったく同じことが、「刹那的なものの中に、大事なものなどありえないのだ」ということについても言えると思います。どこかに変わらないものがあるかもしれないことは認めますが、かといって、それを必ず見つけなきゃならないとか、見つけられなかったら人間失格だなんてこと、誰にも言えないと思うのです。そういう意味で、ぼくは『星の王子さま』の「肝心なものは目に見えないんだよ」というセリフ、ついてゆけないのです。明日はどうだかわからない、それが普通の心理だとぼくは思ってます。アッ、お説教臭い?
Commented by noe.saeki at 2005-03-28 21:24
一番気になる事
「お腸婦人」を山本鈴美香(原作者)は許したのか!?
せんせえ、おバカな私をお許し下さい。
Commented by enzian at 2005-03-28 21:58
noe.saekiさんへ。いえいえ。ちょっとすっとぼけた、ズラしたコメント。キワメテ、評価、高いのであります。ビンについている印刷を見ると、まさにアニメそのままなので、許しているとしか思えないのです。あの麗しき顔そのままに「すっきりなすったら?」なんて言っております。いいのでしょうか?個人的には、お蝶婦人に続いて、「宗像仁」ドリンクを開発してもらいたいと思います。飛びついて買います。
Commented by shoko_118 at 2005-03-29 09:42
enzianさん、おはようございまする。

あたしお説教されてます?(笑)
確かにそうですね。
明日はどうだかわからないっていうことに
希望を見出すこともできると思います。

大事なもの、はあるかもしれないし、みつからないかもしれない
見つかったとしてもなくすかも知れない。

こうでなくっちゃ!なんて自分や人を縛るのは
悲劇の始まりなのかもしれません。

enzianさんは自由人ですねー。
ファンでございますよー。(*^^)v
(ちょっと話がズレまひた・・・)
Commented by enzian at 2005-03-29 10:32
shoko_118さんへ。おはようございます。うまく言えないのですが、shoko_118さんに懸命にフォローを入れてるつもりだったのです。昨日気づいたのですが、ぼくって、語りかけた人にフォローを入れようとしたときには怒ったような説教口調になるようです。気をつけねばならない、と思いました。
Commented by manchester at 2005-04-01 14:43 x
祝・復活!!第二幕楽しみにしております(もう大分始まっていましたが)。「根拠のない」ことばかり考えている私ですが、今年度も宜しくお願い致します。

>移り変わってゆく事実を前にするからこそ、
>掛け替えのないもの、変わらないものを探し求め、 
世の中の移り変わりの激しさには時に閉口してしまいます。たまについて行けなくて。これだけ変化しても、なお変わらないものを探す人が居るのは自然な流れのように私には思えます。ただ、変わっていくものと変わらないものの差が激しいような気もします。移り変わりの激しいもののスピードが速くなった、というか。

>一生懸命やっている人とか、熱心な人とかに
>拒否反応を示す人がいるのかもしれません。
私が高校生の時にはそんな風潮がかなりあったように思います。努力をひた隠して、涼しい顔をしてデキルのがカッコイイ、みたいな(私だけだったりして)。何かに一生懸命になってると、冷ややかな目で見られてしまったり。そんなことを言いつつ、根性論にはなんだか抵抗がある私です(苦笑)。
Commented by enzian at 2005-04-01 21:17
manchesterさんへ。根性論に抵抗があるというのはよくわかります。根性論なんて押し付けられたら、頭痛くなりますからね。古い日本の教育にはそういう側面が強くて、それに対する反動が出てきているのかもしれませんね。なにごもと、中庸が大事だと言ってしまうと、ありきたりかな。 第二幕もよろしく!

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