エネルギー量

岡本太郎の記録フィルムを観ていた。なんとも恐ろしいエネルギー量のひとだな、というのが印象。いつも思うのだけど、ひとが一生に使える精神のエネルギー量は乾電池のように一定なのだろうか、それとも太陽の光(厳密に言えば際限はあるんだろうけど)のように際限ないものなのだろうか。際限ないのであればほどほどで休む必要はないし、一定であれば使いすぎずにセーブしながらやっていかねばならない。

無尽蔵で際限などないと思いたいのだが、4月から頑張りすぎて9月には人間関係で力尽きるような、そしてときにはそのまま退学しまうような学生の姿を目の当たりにして地団駄を踏んだりしていると、簡単には際限ないとは思えない。学業も大切だが、大学であれば、ひととして上手に生きていくためのエネルギー配分を学ぶこともできるだろう。人間関係のなかでのエネルギー配分というのは、きっと生まれながらにして身についているようなものではなくて、努力して身につけるしかない技術なのだ。そんな “技術習得過程" で疲れてしまったら、どこぞへ旅に出たり、しばらく休学するのもよい。

もうすぐ4月。また新しいはじまりがやってきて、また新しいひとたちと会うことになる。

by enzian | 2015-03-29 21:50 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

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Commented by nonkonogoro at 2015-03-31 00:17
父はエネルギー消費の非常に少ない人でしたが
60代半ばで亡くなり、義父は反対にエネルギッシュな人で88歳まで生きました。
…となると 人の総エネルギー量は各自違うということになりますよね(笑)
油絵画家より日本画家の方が 長生きしてそうな気もするし~
私はエネルギー消費の少ないタイプだと思いますが
さて…
Commented by enzian at 2015-03-31 22:42
nonさん

たしかにそういうことなら、
エネルギー量はちがうのかもしれませんね。

nonさんは少ないのですか?
ぼくはどうだろう‥‥わからない。^^

<< 自分と握手するということ というわけで。 >>