クリスチャンのやさしさ、が苦手

どうも苦手なのだ。あのクリスチャンの(何パーセントかの人に見られる)やさしさ、思いやり。三浦綾子とか神谷美恵子の本を読むときにも感じるあの異様なやさしさ。胸に染み入ってくるというか、勝手に入り込んでくるというか。こちらが何か困ったことがないか探し出そうとする、あの目。見つけ出したが最後、それを癒そうと、嬉々として人の心に踏み込んでくる。哀れな子羊を救いたい一心で。

哀れな子羊として蔑まれた心の傷を知らない人たち。何もしないというやさしさ、何も言わないというやさしさを知らない人たち。神を介したやさしさ。神の子としての同胞に対するやさしさ。神の介在なしに、その人をその人として大切に思い、やさしくできればいいのに。

by enzian | 2005-04-10 13:08 | ※その他 | Trackback | Comments(18)

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Commented by lotus at 2005-04-10 14:39 x
enzianさんへ
そう、思います。むか~し「塩狩峠」を読んだとき、なんで
ここまで出来るのかな、わたしには無理無理と思ったのを
思い出しました。
どうも信仰のないひとは、哀れという優位なところから言われ
ても.....素直じゃないんですかね。

*何もしないというやさしさ*感じたことがあります。
悲しいことがあった時、大部分の人が頑張ってと
いうなか、私の話をだまって聞いてくれ、ただ涙を
ながしてくれた人がいました。
そういう人になりたいと思います。。。
Commented by enzian at 2005-04-10 16:43
lotusさんへ。
ぼくが書こうとしたことを詳しく書いてくださって、どうもです。
そういうことが言いたかったのです。

ぼくはあんまり素直になりたくないですねぇ。今のところ。
信仰にはほど遠いのでしょうか。
Commented by yosshin at 2005-04-10 20:05 x
はじめまして。私も同感。新訳聖書、ルカ伝の「よきサマリア人の物語」にその源泉があるのでは?サマリア人の美徳が讃えられるだけで、旅人は何もしていない。
Commented by shoko_118 at 2005-04-10 20:21
こんばんは。

何もしない、何も言わない優しさかぁ…。
それって強い人間だけが出来ることなのかもしれません。
とか、思いました。

以上です。
Commented at 2005-04-10 20:45
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-04-10 21:12
yosshinさま。はじめまして(冷や汗、1リットル出ました)。あの箇所は、隣人とは何であるのかということと、隣人に対して何をすべきなのかということを確かに確定している箇所だと思います。あれがクリスチャンの隣人愛のモチーフの一つになっているということは、間違いないと思いました。サマリア人に対する賞賛の強さとは裏腹に、通り過ぎた人の心理への忖度のまったくない箇所なのですね。なるほど~。
Commented by enzian at 2005-04-10 21:22
shoko_118さんへ。こんばんわ。最後の一行は、理想的なことを書いてあります。
最後の一行の後に、「――どっちにしても、ぼくには無理だけど。」というのを加えたり、消したりを二回しました。けっきょく消してしまった心理はわからないのですが、ぼくが最後の一行のようなことができるということではありません。強い人でも、出来た人でもありませんし。でも、できてないという自覚ぐらいはもっておきたいと思っているのです。
Commented by enzian at 2005-04-10 21:24
鍵さまへ。レスできませんって(涙)。そちらで。
Commented by shoko_118 at 2005-04-10 21:46
あたしは「神」ってもんを信じてるんです。
それはキリスト教的なものではないんですが。

何故キリスト教ではないのかというと、
高校時代に通っていた教会の人に言われた言葉で傷ついたからなのですけど。
受験で毎週日曜、教会には行けないと言ったあたしに
彼らは「そんなことでは地獄に堕ちますよ」と言ってくれちゃったわけです。(笑)

優しさ、思いやりは背中合わせに「偽善」というものがあり
思春期のあたしは、まさにその「偽善」を実感したんでしょうかね。

だから、その後も何度もキリスト教との接点はありましたが
あたしは多分クリスチャンにはならないだろうなぁ~とか思うんですね。

以上です。
Commented by enzian at 2005-04-10 22:23
shoko_118さんへ。
そんな経験をしたら、不信感が芽生えるのは当然です。今話題になっている京都の神父も、子どもたちに地獄に堕ちるって言って、犯罪を重ねていたといいます。この人はクリスチャンでも神父でもなくて、単なる犯罪者だったのでしょう。

自分の言うとおりにしなければ「地獄に堕ちる」なんて言う人、低レベルにもほどがあります。無視、無視。

ぼくも神を信じないでもないですよ。法則を統べる存在としての神。でも、それが人間のかたちをしているとは、とうてい思えないですね。
Commented by yosshin at 2005-04-10 22:42 x
enzianさん、このチャットは有意義ですね。私のいう旅人とは、被害者のことです。
でも、これだけの反応があるとは、驚きです。どうか、続けてください、時々拝見します。
Commented by enzian at 2005-04-10 22:50
すいません。そうかなぁとちょっと思ってました(また、冷や汗が‥‥)。
今後ともよろしくお願いします。
Commented by kourin-mama at 2005-04-11 00:23
なんだか、ドキッとしてしまいました。
やさしくする、のは、「人に優しくできる自分」でありたいからであって、「相手のため」は、押しつけとなる、といつも自覚していたい・・・とは思っているのですが・・・。
そういうのもある意味、いやらしいのかなぁ。「やさしさ」って微妙で難しいですね。
(自分勝手な私がいうことでもない気がしますが)
「神」とか「正義」の側に立つのは、確かにこわいことだと思います。
Commented at 2005-04-11 11:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mu.saihou at 2005-04-11 13:41
神父さんはマゾだと思いまーす。
そんなところが、遠くから傍観するとステキ。

Commented by enzian at 2005-04-11 20:20
kourin-mamaさんへ。

>やさしくする、のは、「人に優しくできる自分」でありたいからであって、「相手のため」は、押しつけとなる、といつも自覚していたい・・・とは思っているのですが・・・。

う~ん、わからないですね。自分のためにやさしくするのか、相手のためにやさしくするのか、どちらかが正しいのか、場合によって使い分けるべきなのか、それとも「~のために」というのがあった時点でもうダメなのか。おっしゃるように、微妙でむずかしいことだと思います(と、やさしくない、ぼくが言っている)。

>「神」とか「正義」の側に立つのは、確かにこわいことだと思います。

神とか正義の側に立つのがなんとなく胡散臭いことは、納得できなすね。




Commented by enzian at 2005-04-11 20:24
鍵コメさま。反論については今のところないようです。覚悟していたのですが、ちょっと不思議ではあります。いろいろな示唆をいただき、ありがとうございます。ご指摘の箇所を確かめてみたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
Commented by enzian at 2005-04-11 20:28
mu.saihouさんへ。

>神父さんはマゾだと思いまーす。

マゾヒステックなところがないとやっていけないってことですか?う~ん、わからないでもないですね。

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