物見高い

親しく接したことはなかったが、あぁかっこいいなぁとちょと離れたところからちらりちらり見ていた先生がおられた。ときどき書かれる文章を読んで、その美しさと、切れと、じわじわと滲み出てくるなにものかにいつも「うわっすげっ」と、ほとんど中学生のようにはしゃいでいた。あるとき、その方が学校の近くの洋食屋さんでひとり座って食事をとっておられて、その凜とした姿にまたそういう思いを深めた。

その方はもう定年になって学校には来られなくて残念に感じていたが、その方にどこか似ていると思える、やはり女性の先生がおられて、ちょっと離れたところからちらりちらりと見ていた。あるとき、その方の講演を聴く機会があって、あぁまちがいなくこの方は学者なのだ、と改めて感じ入った。内容の学問性の高さだけでなく、その説明の切れのよさといったら、もう。有象無象たちはその片方も持ち合わせていないというのに‥‥。そしてまたあるとき、新しい試みをしたときにその方が見に来られた。「なんとも物見高いことで」と、ややはにかんだような顔で来られたのが印象的だった。想うに、あの学問性と切れのよさは、そういう含羞と同じものから生じたのではなかったのか。いずれにせよ、そのとき、ぼくは「物見高い」という言葉を覚えた。

by enzian | 2016-05-04 10:34 | ※キャンパスで

<< 水出し緑茶 円筒形 >>