自殺を認めたくない理由

大切な人を失うということ、とりわけ突如として大切な人を失うということ。それは遺された者に死の理由を探すように仕向けるものなのかもしれない。あのときああしていれば、あのときああしなければ‥‥

死の理由を、死の責任を、遺された者たちは自らの過失のうちに探し出そうとするのだろう。その意味で、(誤解をいとわず言えば)死の原因がすべて第三者の過失にあると確信できる遺族、第三者を憎悪できる遺族は、ある意味で幸せな人たちなのかもしれない。

遺された者たちをとめどなく責めさいなみ続ける残酷な行為――そのような行為を行う権利は誰にもない。ぼくが(同意のない)自殺を認めたくない理由も、ここにある。

by enzian | 2005-04-28 21:27 | ※その他 | Trackback | Comments(24)

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Commented at 2005-04-28 22:27
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-04-28 22:55
鍵コメさんへ。貴重なお話、ありがとうございます。「自殺‥‥自分を爆弾にして、他者を傷つける」これはちょっとガーンと一発くらったような言葉です。その通りだと思いました。

>中途半端に助かった悲劇はいいようがありません。自殺という出来事がその一家にずっとつきまとうのです

この視点はぼくにはないものでした。そうか‥‥自殺というのは失敗したとしても、ともに暮らすものを責めさいなみ続けるものなのですね。気がつきませんでした。この記事を書いてよかった。
Commented by enzian at 2005-04-28 23:51
鍵コメさま。ほな、いつもの‥‥。
Commented at 2005-04-29 00:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-04-29 00:11
むずかしいですね。ほんとうにこういったことについて、活字だけで説明するのはむずかしいと思います。面と向き合って、何時間しゃべってもわからない問題ですもの。わかりそうなことといえば、一個一個の問題が途方もなくむずかしいだろうということですね。対話を続けてゆけば見えてくるものがあることを、願いましょうか。
Commented by shoko_118 at 2005-04-29 10:02
人は何故そういう風に自分を責めるのでしょうねぇ。

あたしは、愛猫が死んだ時も(自殺ぢゃないけど)(^_^;)
それでも、自分を責めましたよ。

自分のしようとすることの結果や影響を考える余裕すらなくなるのは
仕方のないことなのかもしれません。
そこまで切羽詰ってしまったということなのでしょうし。
誰にも愛されていない、自分のことを気にかけてくれるものなど何もないのだ、って思い込み、闇の中に光など到底見出せないのだとしたら…。

自分の最期を自分で選択することについて
いまのあたしには否定できません。
Commented at 2005-04-29 10:28
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Commented by enzian at 2005-04-29 11:19
(続きなのだ)
ぼくが言えるのは、「死んで欲しくないなぁ、君が死ぬとぼくは悲しい」(もちろん、本気でそう思ってる)ぐらいのことなのです。死ぬか生きるかを決定できるのは本人だけ。ぼくにできるのは願うことだけ。

>人は何故そういう風に自分を責めるのでしょうねぇ。

人は意味を求めるからじゃないですか?“意味志向”の強いshoko_118さん。
(こういう文章を読んでも、凹まないようにしてくださいね。)
Commented by enzian at 2005-04-29 11:29
鍵コメさま。

激しく同意。
どうやって死んだか、これが重要なのですよね。
機械の命になったら、重みとか悲しみとかはなくなるのでしょうか。

書斎にコモコモしてデスクワーク三昧で~す。息抜き時間にネットして遊びます(息抜きばっかりかもしれない)。やりかけでほったらかした翻訳の仕事とか、論文とか‥‥いろいろあるのです。休みは、GW以外にイッパイとるのだ(ケケ)。
Commented by harry_hk at 2005-04-29 13:06
shokoさんの自分を責めるのって、ほんとなんでしょうね。よく分かるな~って思います。
しょうがないことで片付けるのもなんですしね。。。う~ん。

それから、enzianさんに伝えたいのは多分、「教育的配慮」なんだと思います。家永三郎とかが使っていたやつです。哲学的には「モラル」なんでしょうかねぇ?
Commented by shoko_118 at 2005-04-29 15:11
先生がお勉強してるのだから、学生の私はもっとマジメにやらなければ!ってことで、
あたしも朝からレポート課題を必死ぶっこいてやっておりまする~(>_<)(>_<)

さて、いつもながら、なるほどな~とレス返しを読ませていただきました。
色んなことに、なるほどなーなのですが、

>不死の妄想。

これは悲惨でしょうね。
と思いつつ、色々言いたいことが出てきますが、想いがまとまらないのでパス!(笑)

>人は意味を求めるからじゃないですか?

これも深く入り込みました(笑)
そして、やっぱり「意味志向」のあたしとしては凹むどころか、褒められた気分になるのでした~。だって、哲学の基本は「何故?」ですものねー。
でも、自分なりに意味を見出すことが重要なのでは決してないのだよな、と最近は思うのです。意味は真実ではないのだ、ということを踏まえて、とりあえず向かい合うというプロセスが自分には意味があるのだなぁ~とか。

あ、意味不明ですねぇ(笑)
では、レポートに戻りまする~~~♪
Commented by enzian at 2005-04-30 10:09
ぼくのを含め、削除したコメントがいくつかあります。
すいません。
Commented at 2005-04-30 15:52
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Commented by enzian at 2005-04-30 17:50
鍵さま、了解です。
Commented at 2005-05-01 03:52 x
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Commented at 2005-05-01 03:53 x
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Commented by enzian at 2005-05-01 08:58
鍵さま。よくわかりました。
Commented by 座敷童 at 2005-05-01 16:26 x
自殺をした人の、遺書を読んだことがあります。
それは、とても自分の人生を第三者的に見た文章で、最後はお礼の言葉で締めくくられていました。
勝手に納得して、勝手にいってしまいました。
そうしてきっちりとまとめ上げた物語を残すことで、何もかもなかったことにしようとしたように感じます。遺書をもって、死の責任は自分だけのものだという注釈として。
最後の最後で、突き放され、とても冷めた気持ちになったのです。
Commented by enzian at 2005-05-01 17:32
自殺した人にとっては、やさしさのつもりだったのかもしれませんね。でも、遺された人にとっては、突き放された気分になるでしょう。一緒に人生という物語を紡いできたはずですからね。
Commented at 2005-05-02 00:01 x
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Commented by enzian at 2005-05-02 00:17
上の二行については、shoko_118さんへのぼくのレスを見てください。

鍵さまの事情はわかりません。しかし、実際問題として、自分が死んでしまっては、とうてい復讐できないから、簡単に死ぬわけにはいけない。つまり復讐をかなえるために生きながらえているという人はいるようです。でも、そのような生き方はやはり生き地獄なのでしょう。対決するか、そのエネルギーを昇華するか‥‥
Commented at 2005-12-01 10:32
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Commented at 2005-12-01 10:32
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Commented by enzian at 2005-12-02 00:02
鍵コメさま

了解です。
また、そちらで書きますね。
ちょっとお待ちを。

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