死なずにいる理由

「めんどくさいこと、しんどいことがいっぱいあるのに、なぜ死なずにいるのですか?」(じっさいには、そんな失礼なこと、聞けるわけがないけど‥‥)と問われたら、どう答えたらよいのだろうか?一応、こんな答えを考えてみた。

1.死ぬのは怖いから
2.悲しむ人がいるから
3.今までの努力が無駄になるから
4.いつかよいことがあるかもしれないから
5.死のうと思えばいつでも死ねるから
6.いつか人のために役立てるかもしれないから
7.命は大切なものだから

7は曖昧にすぎる。もっとあるだろうな‥‥

by enzian | 2005-05-08 22:59 | ※その他 | Trackback | Comments(49)

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Commented by banri at 2005-05-08 23:48 x
今のところは理由の第一位は
2.悲しむ人がいるから
10数年前までは
8.いつか復讐しようと思っているから復讐するまでは死ねない
がダントツ1位でした。(今もそれはベスト3までくらいには入っています)

人は根本的な部分で死を切望しているのと同じくらい生も切望しているから
そんなに簡単には死ねないのではないでしょうか。
「死」は人間にとってはもう生物としての本能からは外れているような。。。
死の観念を持ってしまった人間は生とは対極にある死を常に考え、惹かれ、怯える
動物もそんな事を日々考えて暮らしているのでしょうか?
ドラ○もんの翻訳こんにゃくがあったら是非とも聞いてみたい所です。
Commented by 座敷童 at 2005-05-09 03:31 x
いい子なのでもう寝ます。
そんな感じのことを子供に聞かれたことがあります。
当時女学生(うわーお)だった青い私は
「楽しいことより若干そういったことが多いけど、生きちゃってるから、もったいないでしょ」
というとんでもない答えをしました。

追伸:壁にミミあり障子にメアリーですよ。
Commented by straight-tree at 2005-05-09 08:28
アンチテーゼになると思いますが、
長野の小諸にある「無言館」という施設にいろいろ展示されてある、
特攻隊のヒトや戦死された方々の手紙を思い出しました。

国のために死を選ぶ”喜び”と、
生への本心が共存した言葉に、
しばらくふるえがとまりませんでした。

自分も含めて、
いまスマートに生きていられるニンゲンが
死を思うことはきっとただの傲慢で、
頭だけで出す言葉には実感のない浮つきを感じてしまいます。
自戒も込めて。
Commented by kattinn1119 at 2005-05-09 22:27
生物としての気持ちは1で、人間としては2と4ではないだろうかという気持ちでおりますし、自分の気持ちはそうですね…。
Commented by yachiem at 2005-05-09 23:00
(えへへ、スミマセン^^;再度、コメントさせていただきます、苦笑)

「死なずにいる理由」・・・意地です、意地。
幼少期に、実の母親から、「お前なんか、死ね。」とののしられたことがあったり、
まぁ、他にもイロイロと・・・^^;
だから、「神様が、もういいよと言うまでは、意地でも死んでやらん。」というのが、
私の死なずにいる理由。

ありがたいことに、健康だけが自慢の体なので、事故でもない限り、死ねないですけどね^^
Commented by noe.saeki at 2005-05-09 23:51
生きてる理由を見つけるまでは死ねないでしょ♪
Commented by shoko_118 at 2005-05-10 07:46
↑こーいう言葉をサラっと言えるnoeさんが好きだあ~。
こういう言葉に、あたしは非常に元気づけられるのであります。
朝、読んでよかった~。
今日も1日ガンバローっと(笑)
Commented by mu.saihou at 2005-05-10 11:22
うむむ
自傷しても、傷が勝手に治るので・・・
まあ生きておこうかなー、なんて。。。
Commented by jumpin_upanddown at 2005-05-10 12:14
私の場合は1.2.3.4.7と生かされているからだと思います。
Commented by harry_hk at 2005-05-10 20:33
やっぱり、自分もコメントします。でも、こんなにみなさんが一生懸命書かれているので、コメント大変だと思いますので、レスいらないです。

安易なのかもしれませんが、死なない理由は、「めんどくさい」からです。
生きるのも、死ぬのも大変なんだと思います。でも、とりあえず今は「生きている」側にいるので、それを続けようと思ってます。なにか違う方向に持っていくことはとてもエネルギーのいることなんだと思います。
たぶん、それだけ今の自分が幸せなのかと振り返ると思いますし。
Commented by 匿名 at 2005-05-10 23:58 x
私は9番目(8番目を使っている方がいらっしゃったので)に、死ななければならない理由が無いからにします。私は生きている理由って一般的にこんなところだろうと思っていましたが、こんなぼんやりして生きているのは自分だけの様に思えてきました。
大変とか楽しいというより、どちらかというと平々凡々の日々が多く生きる理由も判りませんが、死ぬ理由も今のところ無いです。死にたいと思う程の苦境に、合っていないという事なのだと思いますが。
生きているのは平々凡々も心地よいですし、命があるから・・って当り前かな、むむー(--;
Commented at 2005-05-11 17:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by せいや at 2005-05-12 06:22 x
肉体は最も身近な自然。
自然は大切にすべきもの。
自然たる肉体の崩壊たる死を自分で選ぶことは、自然を犯すこと。
そんなところではないでしょうか。
Commented by enzian at 2005-05-12 20:53
★★レスが遅くなりましたことを、みなさんにおわびします★★
banriさんの8、授業でも使わせてもらいました。「こういう考え方もある」と言ったとき、教室が水を打ったようにシーンと静まり返りました。そのとき、高校生たちは何かを考えたのだと思います。心当たりのある生徒もいたのでしょう。

>人は根本的な部分で死を切望しているのと同じくらい生も切望しているから
そんなに簡単には死ねないのではないでしょうか。
「死」は人間にとってはもう生物としての本能からは外れているような。。。

そうですね。生物であるということは、まず根本的な欲求として生を望むものであることを意味するのだと思います。それはその通りだと思うのですが、同時に、不思議なことに人間には、フロイトの言うような死への願望もあるようなのです。それがどのように同じ人間のなかに両立するのか‥‥興味深いことです。
Commented by enzian at 2005-05-12 21:00
(つづき)
>動物もそんな事を日々考えて暮らしているのでしょうか?
ドラ○もんの翻訳こんにゃくがあったら是非とも聞いてみたい所です。

人間以外の動物に死の観念があるかどうか、むずかしいところです。
一つだけ思い当たるのは、手話のできるゴリラの話です。
このゴリラは仲良しのネコと暮らしていたのですが、あるときネコが死んだのです。
その後、ゴリラはふさぎ込んでしまいます。
そこで、飼育員の人がゴリラに話しかけるのですが、
ゴリラは手話で、仲良しのネコが死んでしまって寂しいということ、
そして、死というものが怖い、ということを手話で話していました。

ただし、この話にしても、手話の「死」に相当するものでそのゴリラが何を考えていたのか、それはよくわかりません。
○○○もんにお願いしないと、わからないのでしょうね。

⑧がベスト3に入っているとはいえ、②が第一位であったのは、幸いです。
Commented by enzian at 2005-05-12 21:05
座敷童さんへ。

>壁にミミあり障子にメアリーですよ。

「壁にミミあり障子にメアリー」これって大昔、おれたちひょうきん族(表記の仕方は忘れた)で出てきたものです。ともかく、バレました‥‥

>「楽しいことより若干そういったことが多いけど、生きちゃってるから、もったいないでしょ」というとんでもない答えをしました。

その答えを聞いた子どもはどんな顔をしていたのでしょうか?
わかったような、わからないような複雑な顔をしていたのでは‥‥
Commented by enzian at 2005-05-12 21:17
straight-treeさんへ。

ぼくたちの現在の生というのが、そういう国家のために死を選ばざるをえなかった人の上に成り立っていることは忘れてはならないことなのでしょう。

その人たちには、国家のために死ねるという大義と、死にたくないという本心の葛藤があったのでしょう。最後なくなるときは、ほとんどの方が他でもない母親の名前を呼んだといいます。母親と一緒に生きていたい、それが本音だったのでしょう。

そういう人たちの当時の状況と、現在のぼくたちの状況が同一視できないことは同意します。大学で何の役にも立たない哲学の教師などをやってのんびりやっている自分もまた、そういう人たちとの立場の違いを強く感じます。そこにstraight-treeさんの言うような自戒の必要を否応なく感じてしまうことはたしかです。
Commented by enzian at 2005-05-12 21:34
(続き)
ただし、自分がおきらくな、スマートな状況にあるからといって、現代に生きる人間がすべてスマートに生きられる状況にあると思うのもまた傲慢なことだと思います。自分は自分の状況しか知らないのです。いや、自分の生い立ちでさえ、ところどころしか覚えていない。そんな自分が、同じ時代を生きているニンゲンであれば、みなスマートな状況にあって、スマートな生い立ちを送ってきたとは口が裂けても言えないというのが、ぼくの考えです。

だから、自分が傲慢で、頭だけで死について考えていることは認めても、だからといって、今生きて死について考える人が、「ただの傲慢」「頭だけで」「言葉」を出し、「浮つ」いた心でそのような問いと対峙しているとは、ぼくは言いません。
Commented by enzian at 2005-05-12 21:43
(さらに続き)
ぼくが日々話す人のなかには、その人にはまったく責任のないような、まったくの不可抗力的なさまざまな理由で、その後の人生において死と常に対峙しなければならないような状況に追い込まれたと語る人もおられるのです。そのような人は決して少なくないのです。そういう人たちの言葉をウソであると言う権利はぼくにはない。

常に死の観念につきまとわれ、ギリギリの生をやっとのことで保っているおびただしい人々、そういう人たちの問いの意味を軽々しいものと受け取るつもりはありません。

とはいえ、straight-treeさんのコメントのアクセントが「自戒」にあって、だから強い言葉を使っておられるだろうことは、わかっています。一方的にアンチテーゼのアンチテーゼを返しましたので、誤解などがあれば、言ってください。まじめにものを考えるよい機会になりました。コメント、感謝します。
Commented by enzian at 2005-05-12 21:47
かっちんさんへ。

>生物としての気持ちは1で、人間としては2と4ではないだろうかという気持ちでおりますし、自分の気持ちはそうですね…。

banriさんも言っておられたように、生物は本能として死を怖がるものだと考えておられるのですね。なるほど。2と4は、1よりも人間的であるような気がしますね。ありがとうございます。
Commented by enzian at 2005-05-12 22:05
yachiemさんへ。
あまりにもよいコメントだと思ったので‥‥無理強いしてスイマセン!

「意地」‥‥使わせてもらいました。こういう考え方もある、って。
フンフンってうなずいてましたよ、生徒たち。
自分と同じ考えの人がいるのってうれしいんですよね。
ありがとうでした。生徒に代わり、御礼申し上げます(^^)
Commented by enzian at 2005-05-12 22:10
noe.saekiさんへ。

>生きてる理由を見つけるまでは死ねないでしょ♪

こういうコメントが続いているなかで、あえて、音符付きのコメントを入れてくださるnoe.saekiさんの気配りと心遣いには頭が下がりますし、感謝感激でございます。
Commented by enzian at 2005-05-12 22:13
shoko_118さんへ。
しばらくshoko_118さんところへ遊びに行く暇もありませんでした。
GW中にそれなりに仕事をやったつもりだったのですが、GWが明けたとたんに、
山のような仕事が降り注ぎました。学生もどこどこ来るし‥‥
どうも、今年は忙しい一年になるようです。

斉藤由貴、もう一度歌いましょうか?(^^♪
Commented by enzian at 2005-05-12 22:31
mu.saihouさんへ。

短いコメントなのですが、深い含蓄があって、レスがむずかしいです。

「こちらの(軽はずみな?)意図を知ってか知らずか、生命はもくもくとその営みを続けている。どうもそれには勝ち目はないようだし、御意にしたがっておこうとするか」
といったところでしょうか?生命力への畏敬の念と理解しました。違います?
Commented by enzian at 2005-05-12 22:38
jumpin_upanddownさんへ。

5は特殊はものですから除外して、6の人に役立つという良い子の選択肢だけを除外するところがjumpin_upanddownさんらしいですね(わかったようなことを言うな!って?)。

気になるのは、「生かされているからだ」という言葉。これは、自分よりも大きな存在があって、それに生かされているから、ってことですか。神みたいな存在。この考え方はキリスト教圏とかだったら当たり前と言えるぐらいにポピュラーな考え方なのですが、挙げませんでした。

それとも、神というよりも、もっと抽象的なもののことを言っているのかな。よくわからないけど、ともかく自分よりも大きな何かに生かされているとしか言いようがない‥‥ぐらい、の感じで。
Commented by enzian at 2005-05-12 22:50
harry_hkさんへ。
お気遣いありがとうございます。

>なにか違う方向に持っていくことはとてもエネルギーのいることなんだと思います。

それは選択肢としてありうると思います。人間の心理のなかには、いったん流れはじめた流れの方向を変えたくないというのがあるのかもしれません。すでに安全を確かめた勝手知った方向には危険はないのですが、新しい方向にはどんな危険が待っているかもしれない。新しい方向は、「他者」の一つのあり方なのでしょう。人間は本能的に他者に警戒心・恐怖心をもっていますからね。

不幸せからのがれたいという強い欲求でもない限り、その警戒心・恐怖心に打ち克つことはむずかしいのかもしれないですね。なるほど!
Commented by enzian at 2005-05-12 22:57
匿名さんへ。

匿名さんの9は、harry_hkさんの考え方と重なっている部分があると思います。何か特別な理由でもない限りそれまでの方向を変えようなんて考えられないということですね。なるほど。

平々凡々。それでいいと思います。「死にたいと思ったことはない?」って聞いて、はっきり、「一度もない」って答えた生徒がおりました。こんなすばらしいことはないと思います。

苦境にあわなければ人間の深みが出ないとか、若いときの苦労は買ってでもしろ、とか無責任なことを言う人がいますが、苦労なんかしないですむ方がいいのです。苦労して、人格者が出来上がる場合もありますが、ゆがんでしまう確率の方が高いと思うからです。平々凡々が一番です!ありがとうございます。

Commented by enzian at 2005-05-12 22:58
鍵コメさま。

了解しました。
Commented by enzian at 2005-05-12 23:10
せいやさんへ。

>肉体は最も身近な自然。
自然は大切にすべきもの。
自然たる肉体の崩壊たる死を自分で選ぶことは、自然を犯すこと。
そんなところではないでしょうか。

せいやさんの考えはわかりました。
こちらから質問ですが、せいやさんは精神についてどう考えているのですか?
それは身近なものでしょうか、それは自然とはどのような関係にあるものなのでしょうか、それは大切なものなのでしょうか? ^^v
Commented by jumpin_upanddown at 2005-05-12 23:24
enzianさん、たくさんのお返事お疲れ様です。

丁寧なレスをありがとうございました。
6を除外したのは自分がそう思うことに抵抗があったんですねえ。
enzianさんが考えている通りかも?
生かされていると書いたのは
最初にかかれている神という感覚ではないですね。
普段は忘れることもよくあるんですが、やっぱり生かされていると思うことがあるんですよね。
まず生まれてくることもそうでしょうし、ちょっと重い話になりますが
自分と同年代で事件に巻き込まれた子がいて、その時間にたまたま自分がいなかったことなどもあり、その事件に会った子が自分でもおかしくなかった状況などがあったりして、そういうのを考えたときも、生かされているのかなと思いました。

自分も生きていて、そして生かされているんだと思います。
Commented at 2005-05-12 23:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-05-12 23:33
jumpin_upanddownさんへ。

レス、一息つきました。

やはり神ではないのですね。
おっしゃること、よくわかりました。
これ以上はレスせず、納得だけしておきます^^
Commented by enzian at 2005-05-12 23:46
鍵コメさま。
ただいま~(^^)

二行目。ずっと心配しておられたのですか?カンチガイですよ。事実は逆です。考えすぎです!

○○口について。情けないなんてぼくは思ってませんけど、そう思われるなら、情けない人でてっていしてください。それでもいいじゃないですか、別に。

その次の文章。よくわかっています。それはそうでしょうね。

下から四行目の文章。激しく同意です。そう思います。そういう思いをこめつつしたレスも上にあります。見てもらえましたか?

最後の行。「切に願う」だけでは、親としての責任を果たしていない、という突っ込みが可能であることはおわかりですね?
Commented by noe.saeki at 2005-05-12 23:46
せんせえ、一息つけるようにならはったんですね(京都帰りゆえ・・・笑)
頭上げてくださいね~、そんな深い意味で書き込みしてませーん♪
ゆってみれば「言葉遊び」です。不謹慎?でも、嘘は書いてませんよ。
Commented by enzian at 2005-05-12 23:50
必ずそうゆわはると思てました。^^
Commented at 2005-05-13 00:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-05-13 00:29
鍵さま。

そうですか。

その二つの部分へのこだわり、そういうことでしょうね。
後者の部分へ以前に書いてもらったコメント、非常によいものでした。
勉強になるものでした。

では、たがいに突っ走りましょうか(^^)
Commented by せいや at 2005-05-13 05:39 x
我々は意識することなく呼吸を行い、心臓が鼓動し、消化などを行っています。
意識とは無関係に。
そういう意味において、肉体は自然と言えるのではないでしょうか?
さて心を司る精神についてですが、
精神は意識することによって成長し、より高い自分を目指していく。
人間の意識がつくり上げる。
そういう意味において、これこそ人間の本体と言えるのではないか?
そのように思います。

まあ理屈をこねるよりも”感謝”という言葉をどう自分に納得させるかということが、
私にとって生を選ぶ理由の第一なのですが。



Commented by enzian at 2005-05-13 08:17
せいやさんへ。
おはようございます。
せいやさんにだけ、なぜ質問をしようとしたのだろうか‥‥?
たぶん、精神と自然という言葉の使い方が独特なので、
聞いてみたくなったのだと思います。

精神というのを、心の働きを統括するようなものと考えておられるわけですね。
自然は意識とは無関係のものなんですね。

>まあ理屈をこねるよりも”感謝”という言葉をどう自分に納得させるかということが、
私にとって生を選ぶ理由の第一なのですが。

せいやさんのなかには、精神を本体とする人間に対する信頼感があるように感じます。この信頼感がどのように生じるのかを、授業では最後に考えてみました。
Commented by anitya_ocean at 2005-05-14 23:04
何となく、昔、書いた記事を思い出しましたので、恐縮ですが、記しておきます。

トばしてる方です。
多分、御存知かも。

http://anitya.exblog.jp/691085
Commented by enzian at 2005-05-15 11:16
anitya_oceanさん。
ありがとうです。痛いところをついてます。
Commented at 2005-05-15 14:24
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-05-15 14:39
鍵のかけわすれです。すいません。
よろしくお願いします(^^;
Commented at 2005-05-15 14:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-05-15 16:19
鍵さまへ。

なるほど、そうなんですか。いいかげんなことを言うのはいけないのですが、この方の言葉、読んでいてそんなに嫌な感じがしませんでした。強い割り切りは、いろいろな苦悩を経て滲み出た言葉のように思えたのです。それこそ、想像に過ぎませんけど。
Commented by 006 at 2005-05-22 22:30 x
色々考えてましたが、さっぱりです。
生き物、生きてる物が大好きというのは、簡単な表現でいて結構深い部分まで意図しての表現です。その中に、何の無駄もない自然界の生と死のサイクルも含まれています。
以前オーストラリアへ旅行したことがあるんですが、見渡す限りの雨林を目の当たりにしたとき、本当に感動しました。なんか恐怖感もありました。そこに無数の生が死が、全てがあって、そうして「イマ」その目の前にいて、これこそが自分にとって一番なんだとガツンと感じました。一生この傍にいたいって。なんかそういう「精神的な居場所」みたいなのがすごいはっきりしてるから、やめたくないですよ~人生。
そして死んだら、この身体を自然に「返したい」です。いっぱい貰ってるから。だから、ってのもあるかもしれません。
Commented by enzian at 2005-05-22 22:49
006さんのコメントは、力強い生の肯定の表明だと思います。
そしてその生ということで、自然界の全体を意味しておられるように思います。
その全体に崇高感(ぼくはこの言葉が好きなのです)を感じておられるのでしょう。

なるほど、「いきものだいすき」の「いきもの」というのは、そういう意味なんですね。

>そして死んだら、この身体を自然に「返したい」です。いっぱい貰ってるから。
だから、ってのもあるかもしれません。

この006さんのコメントと似たコメントを「人体の不思議展」で、
banriさんがしてらっしゃいます。
見てみてください。

ありがとうございます。
Commented by coeurdefleur at 2006-02-17 09:37
友人が死にます。
完治は望めない病気を抱えていることは事実ですが、
安静にしていればまだまだ長生きできるのです。
色々な事情があって働き手は彼女一人です。
生活も子供さんの教育も全てが彼女の細腕にかかっています。
調子がよくないからと仕事を休んでいては仕事が来なくなります。
生活費のために、教育費のために彼女は重い機材を担いで
指定された場所が雪国でも出かけます。(カメラマンなんです)
疲れと冷えは厳禁なのに。
無理に無理を重ねた体はぼろぼろで腎臓はもうほとんどその
機能を果たさなくなっていました。
どうせ治らないのなら少しでも多くを子供に残したいと頑張っていた
彼女はメールが来なくなったらそういうときだと思って欲しいと。
8日夜、「おやすみ。また明日」
それが最後のメールだそうです。
一生懸命頑張る人が報われないなんておかしな世の中です。
Commented by enzian at 2006-02-17 10:03
柊さん

そうですか‥‥
なにもしてあげられそうもないのですね。

最後の一行の言葉、記事で書いてましたね。
コメントはしませんでしたが、それをぼくは頷きながら読んでいました。
以前から書こうと思っていたことでもありますので、記事にしたいと思います。
TBはしない方がいいかな。

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