どうしようもないことも、ある

運動会の競争で順位をつけない小学校があると聞いたことがある。詳しい事情は忘れたが、順位はつけず、走った全員に参加賞を渡すということであった。足の遅い子が傷つかないように、という配慮なのだろう。

学校がなにを学ぶ場であるのか、間違いなく言えるほどの自信はないが、そのなかには、努力して達成することの喜びだけでなく、努力してもいかんともしようのないことの確認も含まれているのではないか。どんなに勉強をしてもかなわない頭のいいヤツがいて、どんなに練習をしてもかなわない足の速いヤツがいて、どうしても負かされてしまう喧嘩の強いヤツがいること‥‥。自分の力で、自分の努力でなんとかできることは思いのほか多く、努力してもぎ取った果実の味は格別に甘いにしても、自分の力ではどうしようもないこともまたある。ときには負けることも甘受しなければならず、そのこと自体は決して恥ずべきことではない。生きるための工夫はそこからはじまるのだ。

町内の草刈に行った。ピチピチバッタ(ショウリョウバッタ)がピチピチと逃げ回っている。少年たちに手荒にいじりまわされ、バッタは死んだ。「動きよらへんようになったで」。少年たちは取り返しのつかないことをしたのだ、もう誰もバッタを再び動かすことはできない――そのようなことも、ある一定の時期に知っておかねばならないのだろう、過度に傷つかない程度に。

by enzian | 2005-07-10 11:25 | ※その他 | Trackback | Comments(55)

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Commented by yachiem at 2005-07-10 12:07
打たれ弱い人間が多くなってますよね。
それと、命を軽く考えてる人間も・・・。
Commented by straight-tree at 2005-07-10 12:43
リンク、ありがとうございました。光栄です。

この頃の粟島は雨降りばかり。
それでも観光客は皆、曇天の静けさが気に入ったのか、
嬉しそうな顔をしているヒトもいます。

凸凹があった方がおもしろいなあと感じることがあります。
器用なヒトにはかなわないけど、
自分に関心の向く内向性こその楽しみもあって。
自分を掘り下げるためにも、
あるがままを肌で実感することは大切だなあと思います。
ヒトがヒトを管理しようとすれば、
必ず答えの出ないような疑問に直面するのかもしれませんね。
自然の包み込み方はやはり雄大ですね。
Commented by shoko at 2005-07-10 12:50 x
>自分の力ではどうしようもないこともまたある。ときには負けることも甘受しなければならず、そのこと自体は決して恥ずべきことではない。生きるための工夫はそこからはじまるのだ。


こういう結論に達するまでの努力をする、ってこと自体が欠如している気がする。

そこそこ努力して、そこそこの成果をあげ、
何だー大したことないじゃん、とそこそこ満足してしまう。
(確かにそこそこの努力はそこそこの結果をもたらすから)

でも、その上に待っているだろうもっと深い満足に到達する以前に
もしかしたら、どうしようもないかも・・と諦める。
それでハッピーなら問題なし。
だけど実際は、中途半端な挫折感だけが、ずっとくすぶり続ける。

悪循環。

とっても打たれ弱いと思う。
あ、自分のことを言っております。

「哲学者の生きる知恵袋」って本があったら
買うだろうになぁ。。。(ぼそ)



Commented by rarihoumajin at 2005-07-10 12:51
私はこれには反対です、順位をつけないのなら運動会なんてやめてしまえ、前に同じことを書いてる記事見て(新聞かなんかの)そう思いました。

こんにちは。

やっぱり勝ち負けがあるからこそ、やる価値があるのです、そんな共産主義的なことがしたいのなら中国ですれば良いんですよ。
Commented at 2005-07-10 13:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by かっちん at 2005-07-10 13:30 x
これは深いお話ですよね。
このお話の内容に関わる悩みは、人が生きている限りずっと続いていくものであるような気がします。
人が生きていくことの中では必要とされることはいくつかあって、それを仮に「運動会」という区切りできった場合、その範囲の中で得意な子とそうでない子は当然います。でも、別の区切りできった場合(なんでもいいですがたとえば「勉強」では)、「運動会」という区切りできったときとはまた違った能力分布となるでしょうね。大人でもそうですが特に子供時代には、不得意の分野でも努力すれば伸ばすことができることが多いし、周囲の大人が子供に「できる」楽しさを経験させてあげることが大切なんだろうな。
Commented by かっちん at 2005-07-10 13:30 x
いろいろなことに挑戦して障害を乗り越えて自信をつけ、あるいは何度も挑戦しては失敗しこの分野ではどうしても自分を活かすことができないことを悟ること。でもその挑戦の過程のなかで気づいた「好きなこと」「楽しいこと」は、いろいろなことに挑戦してみないとなかなかわからないこと。それを知ることにいろいろなことに挑戦する意味があるような気がします。だから乗り越えられない壁や不得意なことがあることに気がついたりすることは意味がないのではなく、そこから「自分らしい生」を生きることがスタートするんだろうな。
Commented by enzian at 2005-07-10 13:46
yachiemさん

>打たれ弱い人間が多くなってますよね。
それと、命を軽く考えてる人間も・・・。

ありがとうございまする。
その二つのことを念頭に置いて記事を書きました(^^)
Commented by 3sws at 2005-07-10 13:49
こんちわ。3swsです。
負けっぱなしでも何もしないことが、さらに辛い状況に自分を追い込むことを
知らない子もいるのではないでしょうか?
大人が気づかせることや、生きる工夫を促すのは難しいかもしれません。
かく言う私も子供に対して出来るかどうか不安です。

でも、やらないといけないですよね。
それこそが自分の生きる為の工夫の一つかもしれませんから。

Commented by enzian at 2005-07-10 13:57
straight-treeさん

粟島に行かれる方は、たぶん、自然に包まれたいのでしょう。
(魚も喰いたいか‥‥)
だから、あるがままの自然を見て喜ぶ方もおられるのでしょうね。
シーナの本を読んで来られる方もおられるのでしょうか。

>器用なヒトにはかなわないけど、
自分に関心の向く内向性こその楽しみもあって。

ふむふむ、イトーさんが言うと説得力がある。

>ヒトがヒトを管理しようとすれば、
必ず答えの出ないような疑問に直面するのかもしれませんね。
自然の包み込み方はやはり雄大ですね

そうですね。
人間は自然を包みこむことはできない。
でも、自然は人間を包み込むことができる。

関係ないかもしれませんが、
ぼくは “何かに包まれている” という思いが
「生きる意味」と繋がっていると思っています。

>リンク、ありがとうございました。光栄です。

そんな大げさに言わないでください。
これからも、よろしくお願いします(^^)
Commented by enzian at 2005-07-10 14:12
しょーこさん

>こういう結論に達するまでの努力をする、ってこと自体が欠如している気がする。

そう思いますよ。
能書きだけで、なんの努力もしないような輩は山ほどいますよ。口だけのやつ。
それは噛み締めた上で書いています。

この結論に達するまでの努力はしてもらいたいですね。
でも、それでダメだったらしかたない、自分を責めちゃいけないですよ、
って話ですよんよん。

>とっても打たれ弱いと思う。
あ、自分のことを言っております。

あいあい、わかっておりまするする。

>「哲学者の生きる知恵袋」って本があったら
買うだろうになぁ。。。(ぼそ)

ぼくも買うけどけど‥‥
Commented by enzian at 2005-07-10 14:24
rarihoumajinさん

>私はこれには反対です、

「これ」の意味がわからないのですが、書きぶりからして、
「これ」とは、その小学校の方針ではなく、
ぼくの記事の趣旨を指していると考えて、話を進めましょう。

ぼくの記事の趣旨となっているのは、
自分にはどうしようもないという事実(例、足が遅くてビリになる)を
隠蔽していては何もはじまらない、ということです。

したがってぼくは、どんどん50メートル競走やったらよろしい、
順位をつければよろしい、
勝ち負けがあって、その事実を直視したらよろしい、
という考えです。

だから、「足の遅い子が傷つかないように、という配慮なのだろう」の「配慮」は、
ぼくからすれば、よけいな配慮。

よろしいですか?
(わかりにくい文章でスマヌスマヌ(^^)
Commented by enzian at 2005-07-10 14:45
かっちんさん、力作、ありがとうです。

まったく同意します、それ以上はなし(笑)
(だって同意するのだから、それ以上は言えない)

というのもなんなので、もう一言だけ。

>だから乗り越えられない壁や不得意なことがあることに気がついたりすることは意味がないのではなく、そこから「自分らしい生」を生きることがスタートするんだろうな。

そです、そです(^^)
Commented by enzian at 2005-07-10 14:53
3swsさん、こんにちわ。

>負けっぱなしでも何もしないことが、さらに辛い状況に自分を追い込むことを
知らない子もいるのではないでしょうか?

そうですね。
ぼくが念頭に置いているのは、
努力しても努力しても負けてしまうという状況と思っていただけると幸いです。

TBもありがとうございます。
Commented by enzian at 2005-07-10 14:58
鍵コメさま。

むずかしいですね。
ないものねだりの欲望がなければ人間、絶えてしまうし。
欲望があるから成功する人もいる。

でも反面、欲望が充たされずに挫折感を感じる人がいますしね。
ごめん、答えは出ないですね、ずぴぴ。
Commented at 2005-07-10 15:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2005-07-10 15:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2005-07-10 15:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2005-07-10 15:45
あの~ものすごい力作を鍵コメでよせていただいても、
いつも申し上げるように、返しようがないのですけど‥‥
(ちなみに、シモネッタも返せない!)

ほな、そちらにおじゃましまんにゃわ。
Commented by 毒きのこ at 2005-07-10 20:04 x
遅い子を 傷つかないようにしてあげる配慮
速い子を 誉めてあげる配慮
真ん中ぐらいの子を 遅くも速くもないけど そこそこ出来たねと言ってあげる配慮
それにしても 運動会の徒競走がクローズアップされている
通知表も配慮 席順も配慮 配慮 配慮 はいりょ ハイリョ ・・・
○○ちゃんは 教科書を 大きな声でハッキリと読むね
○○くんは 人が嫌がることも すすんでやってくれるね
いろんなエピソードが
いろんな場面が
無数に学校に散らばってる
子どものころは 自分を見てくれれば嬉しいよね きっと
自分を 気にかけてくれればホッとするよね たぶん
配慮が その子を 見えなくさせるかも
配慮は 大雑把に 当たり障り無く まとめあげるのは楽なのかな
先生は 誰に 何を 教えたいのかな
Commented by rarihoumajin at 2005-07-10 20:37
いやいや、私の方が分かりにくい文章で申し訳ない、自分は理解しているのでついはしょって書いちゃいました。
これ、っていうのは順位を付けないってことを指しているつもりです。
Commented by enzian at 2005-07-10 21:08
毒きのこさん。

1等の子を配慮してあげるのであれば、全員参加賞というのはおかしい。
だからこの学校の配慮は、1等の子に配慮していない。
真ん中の子にも配慮していない。

学校のなかで先生はたぶん、いろいろな配慮をしているのでしょう。
配慮という言葉が適当でないなら、ともかく見ている。

でも、毒きのこさんは、配慮に重苦しさを感じるということなのかな?
あからさまに配慮してますよ~なんて感じで先生に見られたら、
生徒にとっては重苦しい、暑苦しいという感じなのかな。
そういう意味で「大雑把」「当たり障り無くまとめあげる」がいいのかな?
Commented by enzian at 2005-07-10 21:08
rarihoumajinさん

そうですか、カンチガイしてスマヌスマヌ(^^)
Commented by harry_hk at 2005-07-10 21:14
ちなみに・・・

>過度に傷つかない程度に。
これは、エロティシズムの原則です。

・・・だから何って言われてもねぇ~。。。
Commented by enzian at 2005-07-10 21:25
「ママー、おじさんがエロティシズムとか言ってるけど、
なんのことなんだろうね。」^^
Commented by harry_hk at 2005-07-10 21:37
ふっ・・・
鼻で笑ってしまいました。

ほんと恐ろしいです。
都合のいい時だけ、ピーターパンシンドローム。。。(笑)
Commented by enzian at 2005-07-10 21:48
Ψ( ̄∇ ̄)Ψ コチョコチョ
Commented at 2005-07-10 22:18
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 毒きのこ at 2005-07-10 22:40 x
>配慮に重苦しさを感じるということなのかな?

教える側の見え見えの先回り感が、身動きとれない印象をもったの。

>「大雑把」「当たり障り無くまとめあげる」がいいのかな?

管理しそつなくこなすのは、一見さわりがよさそうで、教える側は扱いやすそうで楽に感じるのかなという想像をしてみたの。

 いまの学校 先生の世界ってよくはわからないけど ワタシが児童だった遠い記憶を手繰り寄せてみたよ。
Commented by enzian at 2005-07-10 22:56
毒きのこさま

>教える側の見え見えの先回り感が、身動きとれない印象をもったの。

ふむふむ。

>管理しそつなくこなすのは、一見さわりがよさそうで、教える側は扱いやすそうで楽に感じるのかなという想像をしてみたの。

なるほどね。
毒きのこさんは、あんまりいいセンセに出会えなかったのかもしれないね。


Commented by enzian at 2005-07-10 22:57
鍵コメさん

ちゃんと答えられていたのかしら?
なんでも答えましょー、なんちて~
Commented by 毒きのこ at 2005-07-10 22:58 x
(´-`).。oO(なんて伝えればいいかな?)

先生には、たとえ転んでも・一人で起き上がって・また走っていく姿をみてほしいなって思ったの。
ワタシは現役小学生じゃないけどね。
世の中リスクマネジメント流行りだから、その影響がこういうところにもあるのかなって。
まずは防御するっていう。




Commented by enzian at 2005-07-10 23:11
毒きのこさま

うん、なんとなくわかったと思うよ、たぶん、だいじょうぶ。
でも、表現するとダメになると思うので、心にとどめるだけにしておきますね。

(´-`).。oO(なんて伝えればいいかな?) ←これ、もらったなり!
Commented by 座敷童 at 2005-07-11 01:19 x
最近、耳にする言葉で「リセットする」というのがありますね。
物事に対して自分の欲望の赴くままに対応してしまった。(バッタをいじくった)
そうしたら最悪の結果になってしまった。(バッタ死んだ)
じゃあリセットできればいいのに。(バッタを「今度は」死なせずにいじくれる)
「リセットする」という言葉があると、
そこでの自分のした事への後悔が薄まって行くような気がしますね。
「リセットできたらこうだったろうなあ、でもまあいいか」と。
次ぎはないということを知り始める事は、
一時一時を慎重に見つめることが出来る経験でしょうねぇ。

競争に結果順位がないと燃えませんよね。
昔、二着の商品のゴミ箱が欲しくて、
わざと二着になったことがあります。(一着は本立てだった)
Commented by anitya_ocean at 2005-07-11 06:56
ああ、何か、随分前に、どっかで、読んだ記憶のある記事です、運動会。
もっと、びっくりした憶えがありますよ、一緒に手を繋いで、走るとかなんとか・・。これは、幼稚園だったかな?
いずれにせよ、感想は、何じゃ、そりゃ・・でした。
運動会だったら、わくわく出来る子の嬉しい季節に水差してんなあ、と、運動会だったら、げんなりする子で嫌な季節をヨタヨタ渡ってきた私は思います。
よかれと思って注いだ水が根腐れにさせることもあるから、ましてや、勝負あってのスポーツに中庸を混入するのは、もう、運動会ではないので、違う名前にしたら・・と、受話器をおく様な気分でした。あ、でも、単に、皆で平和に運動してるのなら、『運動会』でいいのかな?極端かもしれませんが、徒競走で自信がついて、オリンピックとか、俺、考えようかな、とか、フト、思える子がいるのなら、勿体無いですね、この企画。
Commented by mu.saihou at 2005-07-11 13:37
私が義務教育の教職につかせて頂けることがもし、あったなら
3日で首ちょんぱになる気がします・・・。
Commented by 毒きのこ at 2005-07-11 18:51 x
小学生 「運動会のかけっこ、5等だった・・昨年もビリ・・あ~あ。いやだな・・・」
 先生  「大丈夫。今度から1等もビリもないから。参加賞だから全員。凹まないように
      なってるからさ。」
小学生 「でもさ、先生ちょっとまってよ。考えたり、悩む時間をぼくたちから奪わないで       よ。今しか出来ない、挫折や凹みだってあるよ。」
 先生 「そういう時間・・大切だと思うよ。けどね、いろいろこっちも用事や都合があるん     だよ。忙しいのっ!時間を作る為の時間が、ないのさっ。ゆとりがね。」  

*学級会で児童の声を聞いてみたい!

参考資料)
http://www.2005sowwg.com/jp/hajime.html
(細川佳代子理事長の談話:ビリになっても全員表彰台に・・)
http://www6.plala.or.jp/manzo/dosikai-s1.htm
(体育を教えてるかたの・・)
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/06/post_c7c4.html
(実際に運動会を目にした人の・・)
                
Commented by cubit-papa at 2005-07-11 21:23
enzianさん
哲学者故に、ひっかかるのか、ひっかかるから、哲学者になられたのか…。
わたしも、そういう順位付けから未だに脱せずにいます。
さすがに、いじくりまわして、生き物を殺すことはしませんけどね。

順位付けや興味本位の行動自体は、もう、人間本来のものなんだと思います。そのことと、自分。そのことを相対化する力。そういうことを、いつだれが、教えるというか、考えさせてあげられるか。そういう時間にちゃんと、つきあってあげるか。

悩み続け、考え続けるenzianせんせは、えらいです。
Commented by enzian at 2005-07-11 21:33
座敷童さん

>最近、耳にする言葉で「リセットする」というのがありますね。
‥‥「リセットする」という言葉があると、
そこでの自分のした事への後悔が薄まって行くような気がしますね。

そうですね。
取り返しのつかないことだという意識がないものだから、
後悔も生じないのでしょうね。

>次ぎはないということを知り始める事は、
一時一時を慎重に見つめることが出来る経験でしょうねぇ。

そうですね。
小さな生き物に触れるのは、その一つの経験になると思います。

>競争に結果順位がないと燃えませんよね。
昔、二着の商品のゴミ箱が欲しくて、
わざと二着になったことがあります。(一着は本立てだった)

そうそう。
それにしても、なしてゴミ箱がそんなに欲しかったの?
スツールにしようとしたの?^^
Commented by enzian at 2005-07-11 21:42
anitya_oceanさん

>もっと、びっくりした憶えがありますよ、一緒に手を繋いで、走るとかなんとか・・

おそらく、
競争社会のなかでも協調性を見失ってはならぬ、
という崇高な意図のもとでの競争なのでしょうね。

>運動会だったら、わくわく出来る子の嬉しい季節に水差してんなあ、

そうですね。一年に一回だけしか自分の見せ場のない子どもは
きっとひねくれますね。

>運動会だったら、げんなりする子で嫌な季節をヨタヨタ渡ってきた私は思います。

ケラケラ。

>よかれと思って注いだ水が根腐れにさせることもあるから、ましてや、勝負あってのスポーツに中庸を混入するのは、もう、運動会ではないので、違う名前にしたら・・

いっそのこと「仲良し会」とかにしたら‥‥

>徒競走で自信がついて、オリンピックとか、俺、考えようかな、とか、フト、思える子がいるのなら、勿体無いですね、この企画。

もったいないです、同感です。
それなりにいい企画なのだと思います。

>受話器をおく様な気分でした。

関係ないけど、この表現、好きです(^^)
Commented by enzian at 2005-07-11 21:43
mu.saihouさん

>私が義務教育の教職につかせて頂けることがもし、あったなら
3日で首ちょんぱになる気がします・・・。

そうかもしれませんね。
ちなみに、ぼくなら、1日目の授業が始まる前の
朝の職員会議で首になるでしょう(^^)
Commented by enzian at 2005-07-11 21:54
cubit-papaさん

>えらいです。

わーほめられた、わーい。
(都合のよいところしか見ていない!)

>そのことを相対化する力。そういうことを、いつだれが、教えるというか、考えさせてあげられるか。そういう時間にちゃんと、つきあってあげるか。

誰かが必要ですよね。
いかんせん、大学生はもう出来上がってしまっているのですが‥‥(T_T)
Commented by enzian at 2005-07-11 22:04
毒きのこさま

ゆとり教育をする側にゆとりがない‥‥そうかもしれませんね。

考えたり、悩んだり‥‥そういう時間や機会を削ぎとるのはよくないですね。
考えたり悩んだりする力、“悩む力” をつけて欲しいと思うのです。

>今しか出来ない、挫折や凹みだってあるよ。

そうですね、まったくその通りだと思います。
資料、ありがとうです。
Commented by 座敷童 at 2005-07-11 23:26 x
>それにしても、なしてゴミ箱がそんなに欲しかったの?

ごみを捨てるための容器を買うのが、
なーんか癪だと思っていた、若かりし日のことですよ。
(でもまだ使ってる・・・)
Commented by enzian at 2005-07-11 23:42
本を立てるための金属を買うのは癪じゃなかったの。
まっ、ゴミをすてる容器の方がよく使うけどね。
そのころから経済観念が発達していたのね。
Commented by くき at 2005-07-12 00:57 x
enzianさん、こんばんは。

自分のblogで少しコメントさせていただきましたが
もう少し追記したいことがあって、やって参りました☆

私が親ならば、徒競走でもなんでも、
じゃんじゃんお友達と競い合いなさいといいたいです。
(だからと言って、過度に勝ち負けに執着するような子になってほしいとは思いませんが)
お互いに全力を尽くして、相手の優れているところは認め合い、
負けたら、思いっきり悔しがればいいと思います。
(だからといって、自分より上手にできない人をバカにしたりしてはダメだよ~)

そして、もしも負けたことが子供の中でコンプレックスになったとしても
「子供達を競争させて、傷つけないで!」と学校に抗議するよりもまず、
子供をギュッと抱きしめて、
「かけっこが早くなくたって、キミは十分いい子だよ。
なんでも一番になる必要なんて、ないよ。
キミがこれから何年かけてでも“これなら絶対負けない!”って思えるものを、
一つでいいから見つけてほしいな。」
と言ってやれる大人になりたいです・・・。

Commented by くき at 2005-07-12 00:58 x
続きです。

「頑張れ」という言葉がいつからか、プレッシャーを与える言葉と受け取られるようになりましたが、子供のうちに、どんなことにも「自分なりのベストを尽くそう」と教えてあげることは大切なことだと思います。
それを教わらなかった子供達は、将来、大人になったときに
頑張りもしないくせに、そこそこの見返りだけはしっかり手に入れたがる
・・・おのれの義務は果たさず、権利ばかりを主張する・・・
そんな浅ましい人間になってしまうのではないでしょうか。

あまり自分のまわりにはいませんが、新聞やテレビを見ていると、
そういうおっかな~い人たちがどんどん増えているようで・・・
ちょっとコワイです。てへ。
Commented by enzian at 2005-07-12 23:45
くきさん、こんばんは、コメントありがとうございます。

>それを教わらなかった子供達は、将来、大人になったときに
頑張りもしないくせに、そこそこの見返りだけはしっかり手に入れたがる
・・・おのれの義務は果たさず、権利ばかりを主張する・・・
そんな浅ましい人間になってしまうのではないでしょうか。

そうですね。そういう人がとても目立ちますね。
生まれたばかりの子どもは昔も今も変わらないのでしょうから、
そういう人が増えてきたというのは、育ち方の問題なのでしょうね。

読ませていただいて、全体的にまったく同意します。
自分の意見をはっきり示しながら、同時に、
考えうる反論・問題点をしっかりつぶしながら前に進むという、
見事な論の運びでした。
(高飛車なことを言ってすいません、てへっ(^^; )
Commented by 006 at 2005-07-13 00:21 x
>どうしようもないことも、ある。

のあとに続く一言をいくつか考えてみました(←あほ)。

1、それを忘れるな。

2、でも、なんとかなる。

3、ずっとこのままではいられない。

4、耐え忍ぶべし。

5、だから、ここまでやってこれた。

6、傘がない。

7、ゴメンナサイって言えないときも。

8、どうにかできるときが、くる。かも。
Commented by enzian at 2005-07-14 09:37
006さん

>どうしようもないことも、ある。

ここにはいろいろな含みとか、余韻とか、可能性とか‥‥
そういうことが含まれていることを子どもが感じてくれて、
自分で考えてくれればいいと思います。
まさに、上の一言のようなことを、考え加えて欲しいのです。

6の、傘がないっていうのがいいなぁ、
井上陽水の世界?
Commented by 毒きのこ at 2005-07-15 23:50 x
 運動音痴でね。徒競走は責任が自分にかえってくるからまあいいんだけど。学級対抗リレーは”どうしようもないこと・・・”を身をもって体験したよ。運動会後の放課後、クラスの男子に囲まれて、『お前のせいで、負けたんだ。』って、弾劾の裁きをうけたよ。小学校3、4年だったね。低学年じゃ、まだ運動会の意味が分からなくて・高学年だと、催しものって割り切れる年代。ちょうど、小学校3、4年が”勝敗に真剣勝負”になる年齢だったんだよね。お世辞とか義理とかない、純粋な頃だからある意味、社会の本音を知る経験だったよ。だから、『運動会がこの地球上からなくなればいい』って本気に願ってた。

>生きるための工夫

 人の本音的な部分は、容赦しないものだから。察知しつつも、オブラートにくるまれていることを忘れずにっていう警戒心が育ちましたとさ。
Commented by enzian at 2005-07-16 09:18
毒きのこさん

記事を見て、ショックを受けました。
徒競走ではないにしても、学級対抗リレーにもまた順位がある。

足の遅い子が自分の責任で「自分が最下位になる」際の傷つきしか考えてなかった。
足の遅い子が自分の責任で「全体を最下位にする」際の傷つきもあるんですね。

自分にはそういう経験がないものだから、そういうことには傷つかなかった。
そういう経験をした者にとっては、運動会は地上からなくなればいいって思うでしょう。

>人の本音的な部分は、容赦しないものだから。察知しつつも、オブラートにくるまれていることを忘れずにっていう警戒心が育ちましたとさ。

それは広い意味での生きるための工夫なのだろうけど、
人間を信用しないことを基礎にした工夫なんて、
あえて学校で教えることではない。

なるほどね。
こういう意味では参加賞を渡すって考え方にも一理あって、
ぼくの考え方は甘かったのかもしれない。
Commented by manchester at 2005-07-16 20:27 x
「どんどん競争させなさい」と言われるとビクッとしてしまう私ですが、この記事には共感しますし、挫折を経験することは大事だと思います。
私が通っていた小学校は、殆ど皆が中学受験をする(将来行く大学まで決めているような人もいた)ような所でした。なので、私も自然と(受験戦争的)競争意識をもらってきてしまいました。恥ずかしい話なのですが、当時の私は「人より少ない努力でいい点を取ること」がかっこいいと真剣に思っていたので、適当に勉強して、それでもそこそこいい点を取って満足していました。本気で努力したことがなかったように思います。本気で努力すると、自分の力の限界が見えてしまう。それが怖かった、というのもあったのかもしれません。あんまり悪い点を取ると落ち込んでしまうけれど、最大限の努力をしてできなかったらもっと嫌だ・・・と。強く自分で意識していた訳ではありませんが。因みにそんな私は、中学校のクラブ活動で、人より練習している筈なのに自分より上手い人がいる、という時に初めて「努力してもどうにもならないことがある」ということを知りました。(幸か不幸か走るのが速い私は、運動会では挫折を経験できませんでしたが)
Commented by manchester at 2005-07-16 20:28 x
(長くなってごめんなさい、つづきです)
早いうちにさっさと挫折を経験してしまう方が、挫折を回避しながら成長する(テストができなくても「だって勉強してなかったもん」という言い訳で通した&親もそんなうやむやを公認・助長)よりもずっと健全だと私は思います。現に、小学生の時は世渡り上手的に生きた私が、今では競争という言葉に妙な恐怖をおぼえ、そのくせ何かにつけて人と比較する人間になっているのですから・・・。
Commented by enzian at 2005-07-16 22:15
manchesterさん

コメントありがと。

>本気で努力したことがなかったように思います。本気で努力すると、自分の力の限界が見えてしまう。それが怖かった、というのもあったのかもしれません。

なるほど、わかる気がします。

上にも書きましたが、記事の更新をしばらくストップしようと思います。
いろいろと忙しかったりするのでね、後期はやばやば‥‥
これまでのコメント、ありがとでした。

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