60年という溝

昨日の新聞を読む。被爆者と原爆の開発に携わった科学者との対面を放送する番組があったらしい。被爆者の語りかけに対して、科学者は“謝罪”を拒んだという。戦後60年という時間を経ても埋まらない両者の溝に、もどかしい思いをする人は多いかもしれない。だが、たぶん事実は逆なのだ。

死者の代弁という責任があったからこそ生き続けることができた――被爆者にはそのような面もあったのだろう。一方、死者への罪責の気持ち――そのようなものをもたないで済んだからこそ、科学者は戦後60年を生き延びることができたのだ。生きるために(あるいは、安んじて死ぬために)認めさせようとする者と、生き続けるために認めることを拒絶する者、時の経過とともにその溝は深くなるのだろうか。

by enzian | 2005-08-06 13:04 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(2)

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Commented by アラキ at 2005-09-28 16:37 x
この放送を見て、その日は色々と自分自身の中で口論をしていたのを覚えています。

この科学者の原爆投下を決意した理由は、日本軍の真珠湾攻撃が決定的だったそうです。目の前で大勢の仲間を失った。だから。。  私たちが行ったことは、紛れもなく"戦争"あって、わたしは戦争自体を憎むべきものだと考えます。これはきれいごとではなく、戦争で仲間を失ったからという理由で原爆投下を正当化していることが私にはわからないのです。
しかし、この科学者に謝罪を求めることに意味を感じるべきなのかもわかりません。
ただ、もしも、この科学者が生き続けるために認めることを拒絶する者であるのなら、生きるために認めさせようとする人に、どうにかそのことを伝える術があればいいものですね。。
Commented by enzian at 2005-09-28 22:41
アラキさん、はじめまして。

>この放送を見て、その日は色々と自分自身の中で口論をしていたのを覚えています。

ごらんになりましたか。

>この科学者の原爆投下を決意した理由は、日本軍の真珠湾攻撃が決定的だったそうです。目の前で大勢の仲間を失った。

ぼくは放送を見ていないのですが、
そういうことを言ってたのですか。。。

>戦争で仲間を失ったからという理由で原爆投下を正当化していることが私にはわからないのです。

必ずしも正当化できる理由にはならないですね。

>ただ、もしも、この科学者が生き続けるために認めることを拒絶する者であるのなら、生きるために認めさせようとする人に、どうにかそのことを伝える術があればいいものですね。。

そうですね。

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