ミーはいつの間にか、いなくなった。

「enzianさんって猫が好きなんですよね?」ってこのごろよく言われます。ロゴ画像に猫を使いはじめたからかもしれませんが、もともと猫は好きです。ある時期までは、猫好きの、アンチ犬派でした。あまりにも飼い主に迎合的な犬の態度を許せなかったのです。いまでは丸くなって、すっかり犬好きになりましたけどね。

猫好きを決定的にしたのは、小さいころに飼っていたミーという名のメス猫でした。とても頭のいいやつで、お手も、お座りもできました。玄関や部屋の引き戸も器用に自分で開けて出入りしていました。学校から帰ると、ミーが「ニャー」と言って出迎えます。「お帰り!」のつもりだったのでしょう。膝が好きで、寒くなるとすぐにのっかってきました。人に爪を立てるようなことはありませんでした。今から思えば癒し系のネコでした。猫ってのは薄情で、特にオス猫なんかは発情期になると決まってメスを求めてぷいっとどこかへ行ってしまって、帰ってきたり、帰ってこなかったりを繰り返したものですが、ミーに限って言えば、そういうことはありませんでした。ずっと家にいて、何年も家族の一員でした。

そんなミーもいつの間にかいなくなりました。死期を悟ってどこかに行ったのでしょう。あれほど親しくしていた家族にも自分の死期を見せないとは‥‥本能とはまことに不思議なものです。最期を見られなかったのは少し寂しくもありましたが、それがミーの希望ならそれでよい、と思いました。それから、ぼくは誰の死に目にも会うことがなくなりました。

by enzian | 2006-02-25 18:35 | ※山河追想 | Trackback | Comments(21)

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Commented by lotus at 2006-02-25 21:06 x
enzianさん こんばんは~お久しぶりです!
時々お邪魔してましたが、読み逃げしてました。
怒涛の日々が終わったようで、へらへら~を満喫してください。

自分の最期をちょっと思う、どの程度望みが叶うものか.....

年末からブログ始めたのですが、enzianさんにお知らせする勇気がまだ
ありません(^^;
Commented by kaori_yoshihara at 2006-02-25 21:27
私は3回、猫の死に目に会ったことがあります。
厳密に言えば、息を引き取った瞬間ではなかったのです。第一発見者でした。

猫が死んでしばらくは、視界の隅っこに居るような気がしてなりませんでした。
(母と一緒に畑に埋めたのに)
何かの影を見たような気がして、「あっ・・・アー、ソッカ・・・」って。

一匹は出掛けたまま帰ってこなかったのですが、この子は不思議と影を見たような気がしません。「いつ帰ってくるのかな~」という気持ちが段々薄まっていくという感じです。

親の死に目に会えるように、一応、お葬式をやっている所の前を通るときには、親指隠して息止めてとやっていますが、結果はどうなりますことやら。。。
Commented at 2006-02-25 21:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gauche3 at 2006-02-25 21:56
猫を飼ったことは無いんですが、高校の頃仲の良かった友人の家に居ました。その猫のせいか僕の中では猫って孤高のイメージが強いんですが、この「ミー」はとっても魅力的な猫ですね。
犬と猫のそれぞれの良さをあわせ持っているような・・(笑)

最後の一節、僕も最近ずっと考えていました。
(あっ、僕が必ずそうだと言う訳では無いんですが・・)
愛情とか納得とか、そういうもの以外に人がそこに拘る理由が何かあるのかなぁ、って。
Commented by at 2006-02-25 22:03 x
全く同じような思い出があります。クロと呼んでいました。
クロは野良で、ふらっと家にやって来ました。最初三毛猫と2匹だった記憶がうっすらとあるのですが、いつの間にかクロだけになりました。首のところだけ白くて、毎日うちに通ってきて残り物の魚を食べ、ミルクを飲んで帰って行きました。
クロは忽然と消えました。どこかで死んだのか、放浪の旅に出たのか全くわかりません。小学校3年のある日でした。
あまり動物を飼ったことがありません。母が死んだら可愛そうと言っていたからだと思います。毎日通ってきてくれたクロは私の数少ないせつない思い出となって生きています。
Commented by runa at 2006-02-25 22:06 x
2ヶ月前、数日間あんまりにもうるさく鳴くので
「うるさい子だねー、もう帰って来なくていいよ」
と母は10歳になるメス猫のマリリンにいいました。
それは何気ない日常の風景のはずでした。

その日から帰らないマリリン。
何処かで幸せに暮らしている・・・そう思いながらも母は悔やんでいます。

10年前、オス猫のカポネの闘病生活中に家族になったのがマリリンでした。
カポネはマリリンが大人のなるのを見届けて旅に出てしまいました。
その時、母がカポネにかけた最後の言葉は
「汚いねー、お風呂に入らないと家に入れないよ」
だったそうです。

希望のかけらを残した別れ・・・
それでも残された者は悔いてしまう・・・

納得のいくさよならなんて何処にもないのかもしれませんね・・・
Commented by enzian at 2006-02-25 23:07
lotusさん、こんばんは~

>時々お邪魔してましたが、読み逃げしてました。
怒涛の日々が終わったようで、へらへら~を満喫してください。

ありがとうで~す。

>自分の最期をちょっと思う、どの程度望みが叶うものか.....

そればっかりはまったくわからないですねぇ。

>年末からブログ始めたのですが、enzianさんにお知らせする勇気がまだ
ありません(^^;

教えてくださいよ~も~(しくしく)
Commented by enzian at 2006-02-25 23:14
かおりさん

>私は3回、猫の死に目に会ったことがあります。‥‥第一発見者でした。

家猫だったのでしょうか。
ぼくの家の猫たちは自由に家の外に出ていたので、
死期になるとみなどこかに行ってしまいました。

>猫が死んでしばらくは、視界の隅っこに居るような気がしてなりませんでした。
(母と一緒に畑に埋めたのに)
何かの影を見たような気がして、「あっ・・・アー、ソッカ・・・」って。

一匹は出掛けたまま帰ってこなかったのですが、この子は不思議と影を見たような気がしません。「いつ帰ってくるのかな~」という気持ちが段々薄まっていくという感じです。

猫も、自分の死ぬところを見せると、
飼い主を悲しませると思うのでしょうか。

>親の死に目に会えるように、一応、お葬式をやっている所の前を通るときには、親指隠して息止めてとやっていますが、結果はどうなりますことやら。。。

ぼくは、不仲になっていたときに母親と死に別れたのです。
一言も言葉を交わせませんでした。ごめんなさい、を言えなかったのです。
これはとても後悔しました。こんなことにならないよう、仲良くしてくださいね。
Commented by enzian at 2006-02-25 23:22
鍵コメさん、こんばんは。

同じ名前の猫を飼っておられたのですね。しかも、頭のよい。
散歩についてくる猫というのはめずらしいと思います。
最期を看取れたというのはぼくとは違いますが。

お気遣いいただき、ありがとうございます。
その後、死に目に会わなくなったのは、
ミーのせいではなく、たんなる偶然だと思っています。
(ミーのせいであるかのような書き方をしていますね、ごめんなさい。)

今は猫を飼っていません。
もう飼うことはないと思います。
ミーの後遺症とかそういうことではなく、
忙しくて、あまりかまってやることもできないなぁ
と思ってのことです。
Commented by enzian at 2006-02-25 23:28
猿夫さん

>猫を飼ったことは無いんですが、高校の頃仲の良かった友人の家に居ました。その猫のせいか僕の中では猫って孤高のイメージが強いんですが、この「ミー」はとっても魅力的な猫ですね。
犬と猫のそれぞれの良さをあわせ持っているような・・(笑)

ぼくも基本的には孤高というか、悪く言うと自分勝手なイメージがあるのですが、
ミーは別格でした。そうですね、犬的な猫でした。^^

>最後の一節、僕も最近ずっと考えていました。
(あっ、僕が必ずそうだと言う訳では無いんですが・・)
愛情とか納得とか、そういうもの以外に人がそこに拘る理由が何かあるのかなぁ、って

その部分にぼくもずっとひっかかっていて、
なにか書きたい、と思って書いたのですが、うまく書けませんでした。
一番強いのは、自分の納得のためじゃないかな‥‥という気がしますねぇ。

こういう実話を読んだことがあります。
Commented by enzian at 2006-02-25 23:40
猿夫さん、続き

小さな娘が病床で虫の息でした。父親は、娘の病気を治してもらおうと、ちょっと離れた神社に願をかけに行きます。「おとうちゃんが帰ってくるまで死んではいかんよ。」と言って。娘は答えます。「うん。」父親が出かけ、娘の容態はどんどん悪くなってゆきます。娘は虫の息で周りの人に尋ねます。「おとうちゃんはまだ?」容態が悪くなるにつれて、その問いかけの間隔はどんどん短くなっていったそうです。そして、願をかけ終わった父親が戻ってきたとき、娘は言いました。「おとうちゃん、○○子、もう死んでもいい?」父親は、息も絶え絶えの娘に言いました。「あ~死んでもええぞ、○○子」。そうして、安心して娘は息を引き取りました。娘を腕に抱いたまま、父親は号泣して言ったそうです。「どうせ死んでしまうのなら、願などかけに行かずに、早くしなせてやればよかった」と。

この父親の最後の二言には、さすがに胸を打たれました。
Commented by enzian at 2006-02-25 23:44
響さん

今、上の方に書いていたレスとはまったく違うことを考えたのですが、
忽然といなくなる方が、こちらにとっては印象に残る、
ということも言えるのですよね。

クロも忽然といなくなってしまったらから、
いまだに響さんのなかに切ない思い出となって生きているのでしょう。
そういう意味では、忽然といなくなるのは、
罪作りなのかな‥‥
Commented by enzian at 2006-02-25 23:51
runaさん

あ~マリリンとカポネが切ないですね。
猫にもわかるのかな。
人の気持ちが。

>希望のかけらを残した別れ・・・
それでも残された者は悔いてしまう・・・

なるほど。
そういう風にまとまりますね。
どういうやり方をしても、
残された者には悔いが残るのでしょうね。

>納得のいくさよならなんて何処にもないのかもしれませんね・・・

そうかもしれませんね。
Commented by Honig-Biene at 2006-02-26 15:30
こんにちは、enzianさん。
ミーは可愛い猫ですね。オテもオスワリもできるなんて、お利口さんですね。

画家の熊谷守一がやはり人間に従順という理由で、絶対に犬の絵を描かなかったそうです。犬派のわたしにはショックな話ですが、その代わり、可愛い猫の絵をたくさん残しています。
猫の世界には、<猫の王>という存在があって、夜毎の集会は王に会うためだとか、死期を悟って出ていくのは王に呼ばれたからだとか。

うちには猫嫌いがいるので猫は飼えませんが、近所の猫屋敷の猫を可愛がっていました。ある日いつものように撫でてやろうとしたら、静電気がはしって猫を痛めつけた様子。それから猫は我が家の庭に来なくなりました(T_T)
Commented by gauche3 at 2006-02-26 17:10
enzianさん。父娘の話・・切ないですね。
娘の言葉も、父親の言葉も、おそらく心や身体は極限状態なのだろうにどちらも相手の側に寄り添っていて、読んでいて苦しいほどでした。

> 一番強いのは、自分の納得のためじゃないかな‥‥
> という気がしますねぇ。
そうですね。
他の方に対するコメントも読ませて頂きました。
僕も祖母と母は、感情にしこりを残したまま突然死されて最後に言葉を交わせませんでした。
先日、父が危篤になったとき(結局大丈夫でしたよ)、ベッドの脇で数日間一緒に過ごしたら、僕の心の中に、「あっ、この悲嘆のプロセスだったら納得出来るかも・・」という奇妙な感情が生まれてきたんです。
enzianさんのおっしゃる納得が、僕の感じたものと近いのかなぁ、とそんな風に思いました。
Commented by enzian at 2006-02-26 20:10
Honig-Bieneさん、こんばんは。

>ミーは可愛い猫ですね。オテもオスワリもできるなんて、お利口さんですね。

あい。おりこうさんでした。

>画家の熊谷守一がやはり人間に従順という理由で、絶対に犬の絵を描かなかったそうです。犬派のわたしにはショックな話ですが、その代わり、可愛い猫の絵をたくさん残しています。

犬の従順さが苦手だという人は、
きっと、自分に従順な存在が欲しい人で、
そのコンプレックスなのだと思いますよ。^^

>猫の世界には、<猫の王>という存在があって、夜毎の集会は王に会うためだとか、死期を悟って出ていくのは王に呼ばれたからだとか。

どこかで聞いたことがあるような、ないような。
ともかく、いい話ですねん。

>うちには猫嫌いがいるので猫は飼えませんが、近所の猫屋敷の猫を可愛がっていました。ある日いつものように撫でてやろうとしたら、静電気がはしって猫を痛めつけた様子。それから猫は我が家の庭に来なくなりました(T_T)

それは、猫もミツバチさんも、お気の毒でした。^^
Commented by enzian at 2006-02-26 20:19
猿夫さん

>enzianさん。父娘の話・・切ないですね。
娘の言葉も、父親の言葉も、おそらく心や身体は極限状態なのだろうにどちらも相手の側に寄り添っていて、読んでいて苦しいほどでした。

そうですね。
どちらも相手に寄り添っているのですね。
娘の言葉も切ないのです。。。
これを読んだときは、ぼくも苦しかったです。

>僕も祖母と母は、感情にしこりを残したまま突然死されて最後に
言葉を交わせませんでした。

聞くだけで、あぁーと思います。

>先日、父が危篤になったとき(結局大丈夫でしたよ)、ベッドの脇で数日間一緒に過ごしたら、僕の心の中に、「あっ、この悲嘆のプロセスだったら納得出来るかも・・」という奇妙な感情が生まれてきたんです。
enzianさんのおっしゃる納得が、僕の感じたものと近いのかなぁ、とそんな風に思いました。

同じだと思います。
プロセスがあれば納得がしやすいのでしょうね。
突然の出来事だとそのプロセスを踏めないのですよね。
ある種の “癒し” とは、すでに生前から始まっているのかもしれません。
Commented at 2006-02-28 02:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 座敷童 at 2006-02-28 03:51 x
こちらの看板ネコには眉毛があって、やんごとない感じを受け・・・無いのはなぜですかね。
(つくし?)

動物はあるときぷいっといなくなってしまうので、所有していたと思っている側としては
「一言いってくれればいいのに」と思ってしまいますですね。
言ったら言ったで衝撃ですが。
そういえば私は小学校に上がる前に「インコを飼っていた」と記憶してるのですけど、
周囲は「飼ってない」と言います。
でも家には錆びた鳥かごがあるのですが・・・インコはいたのか、
何か国家的な(インコにまつわる)陰謀をかくそうとしているのか・・・。
Commented by enzian at 2006-02-28 12:50
鍵コメ2さま

コメントありがとうございました。
ゆっくり噛み締めて読んでおります。
Commented by enzian at 2006-02-28 12:54
座敷童さま

看板ネコは気に入っているのだけど、つくしのシーズンが終わったら、
また変えなくちゃならないですね。
なんにしようかな。

>動物はあるときぷいっといなくなってしまうので、所有していたと思っている側としては
「一言いってくれればいいのに」と思ってしまいますですね。
言ったら言ったで衝撃ですが。

そう思ってしまいますね。
たしかに、言ったら、衝撃。^^

>そういえば私は小学校に上がる前に「インコを飼っていた」と記憶してるのですけど、
周囲は「飼ってない」と言います。
でも家には錆びた鳥かごがあるのですが・・・インコはいたのか、
何か国家的な(インコにまつわる)陰謀をかくそうとしているのか・・・。

う~ん、なんか変だね。
やはりなにかを隠そうとしているとしか‥‥

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