干し人間

もらった干しぶどうを噛む。巨峰の干しぶどうだという。おいしい。干しぶどうに限らず、干した果物は好きだ。棗(なつめ)、杏子(あんず)、無花果(いちじく)‥‥。生の巨峰とどちらが好きか?なんて考えて、なにか違うな、と打ち消す。「乾す」にはたんに水分を引き算するというニュアンスが強いけれど、「干す」には同じように水分を引き算しながらも、残ったものを凝縮して際立て、しかもなにかを足し算するような意味合いもある。凝縮されたエッセンスとお日さまの光の合作が干しぶどうなのだろう。生ぶどうと干しぶどうはまったくの別物で、どちらもおいしいのだ。

生き物にとって、生きてゆくことが日の光を浴びながら少しずつ干されてゆく過程ならおもしろいかもしれない。齢(よわい)八十の “干し人間” となった自分が八百屋の店頭に並んでいたら、ぜひ買ってみたい。どんな味がするだろうか。

by enzian | 2006-03-04 09:35 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

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Commented at 2006-03-22 21:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2006-03-22 21:59
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Commented at 2006-03-22 22:01
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Commented by enzian at 2006-03-24 21:32
鍵コメさん

素敵なお話。
この風景のベースは、鍵コメさんの心のなかにある風景なんでしょうか。
そこに、enzian干しがちゃっかり溶け込んでいると都合よく解釈して、
うれしく思いました。

うん?日本海だから違うかな。
enzian干しは磯臭いのかえ?

とんびはぴぃ~ヒョロロォ・・でないといけないですね。^^

ありがとう。

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