『てぶくろをかいに』(新美南吉)

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新美南吉の『てぶくろをかいに』です。新美は29歳で夭逝した才人。『ごんぎつね』の作者でもあります。『てぶくろをかいに』は、新美、20歳の作品です。ここでは、暖かい絵柄の、わかやまけんの絵を選びました。

いつものようにストーリーの説明は省略し、ぼくがいいなぁと思うところを書いておきましょう。

まず、光の描写の新鮮な美しさです。雪に反射した日光は子ギツネの目には鮮烈です。「かあちゃん、目に なにか ささった。ぬいてちょうだい」。雪のしぶきは走る子ギツネの後ろで七色の虹になり、はじめて町の明かりを見た子ギツネは言います。「かあちゃん、おほしさまは、あんな ひくい ところにも おちてるのねえ」。店の光のあまりのまばゆさに、子ギツネは人間の手の方を差し出してしまったのでした。家の窓からは暖かい光が漏れ、月光は森へ急ぐ子ギツネの背中を銀色に照らします。雪に残る足跡にはコバルトの影がたまりました。

二つ目は、相手を思いやる気持ちの描写です。「おててが ちんちんする」という子ギツネに母ギツネは手袋を買ってやろうと決心します。帽子屋のおじさんは子ギツネにも手袋を売ってやるのでした。森では母ギツネが小ギツネの帰りをふるえながら待っています。

三つ目は、次の小ギツネの言葉です。
「かあちゃん、にんげんって ちっとも こわかないや。」
「ぼう、まちがえて、ほんとうの おてて だしちゃったの。
でも ぼうしやさん、つかまえやしなかったもの。 
ちゃんと こんな いい、あたたかい てぶくろ くれたもの。」 


(2)
もう一つ、好きな点をあげておきましょう。この本に見え隠れする “人間観の葛藤” です。雪や太陽の光や虹といった自然の美しい描写に対して、相手が人間(あるいは人間の比喩としてのキツネ)の場合には、美しさとともに醜さもまた描き出されているからです。

母ギツネが子ギツネの片手だけを人間の手に変えたのは無配慮でした。自分だけ安全な森に残って子ギツネ独りで危険な町に買い物に行かせたことは、今風に言えば幼児虐待にさえなりかねない危険な行為でした。帽子屋は子ギツネを不憫に思って手袋を売ったのではありません、「これは 木のはじゃない ほんとうの お金だ」と思ったから売ったのです。それは純粋な商売でした。子ギツネの渡したお金が「木のは」であることをわかりつつも博愛家の店主は手袋を売った、という風には著者はしませんでした。森に戻った小ギツネは人間はちっとも怖くなかったと言いますが、母ギツネはつぶやきます。「ほんとうに にんげんは、 いいものかしら」。無邪気に信じる子の前で、親は猜疑心にさいなまれています。

子ギツネの思いと母ギツネの思いは、そのまま新美のなかにあった人間観の葛藤であったのかもしれません。葛藤には可能性がありますが、一方的なものの見方はいずれ行き詰まります。日々流されるニュースには人間への警戒心をいやがおうにも煽り立てるものが多いにしても、だからといって人間すべてが、人間そのものが信用するに値しないとは言えません。わずかな部分であったとしても、人間への信頼なしには何事もはじまらないのです。

by enzian | 2006-03-29 20:09 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(13)

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Commented by mao_ring at 2006-03-31 22:04
こんばんは。
子どもの頃に確かに読んで内容も知っているはずなのに、おとなになって改めて読んでみると、その作品に込められている深い意味を感じます。
渡る世間に鬼は無し か 人を見たら泥棒と思え か。
わたしはキレイゴトだとしても信頼で成り立つ人間関係を作っていきたいなぁと思います。
Commented by enzian at 2006-03-31 22:24
mao_ringさん、こんばんは。

>子どもの頃に確かに読んで内容も知っているはずなのに、おとなになって改めて読んでみると、その作品に込められている深い意味を感じます。

絵本ってそうですよね。
読む年齢に応じて、違ったメッセージが見えるようになります。

>渡る世間に鬼は無し か 人を見たら泥棒と思え か。
わたしはキレイゴトだとしても信頼で成り立つ人間関係を作っていきたいなぁと思います。

ぼくもその方向でいきたいと思います。
警戒は怠らないけど、信頼してゆきたいですね。
Commented by hitorishizuka-f at 2006-03-31 23:45
かわいい子には旅をさせろ、って死語になってしまいそうですね。

先日、花巻に行って宮沢賢治記念館で初めて《猫の事務所》なる物語りを読みました。
世の中のみなさん(特に政治家の方々)に読んでいただきたい物語だなー、と思いました。

絵本を書く方って、本当は子供のためだけに書いているのではなく、本当は大人にこそ読んでもらいたい気持ちが強いのではないのかなあ、と最近絵本を読み返すようになって思ったりしました。
Commented by enzian at 2006-04-01 09:12
hitorishizuka-fさん

>かわいい子には旅をさせろ、って死語になってしまいそうですね。

むずかしいでしょうね。
先日、砂場の横を通り過ぎたのですが、
そこのお母さん方に異様なほど警戒されて、
悲しくなりました。
ただ通り過ぎただけなんですけどね。
「はじめてのお使い」というような番組があったと思うのですが、
まだ放送しているのでしょうか?

>先日、花巻に行って宮沢賢治記念館で初めて《猫の事務所》なる物語りを読みました。世の中のみなさん(特に政治家の方々)に読んでいただきたい物語だなー、と思いました。

宮沢賢治記念館は一度行ってみたいところです。
猫の事務所も、大人向きですね。

>絵本を書く方って、本当は子供のためだけに書いているのではなく、本当は大人にこそ読んでもらいたい気持ちが強いのではないのかなあ、と最近絵本を読み返すようになって思ったりしました。

そうですね。
絵本が子どもだけのものだ、という考え方自体を改めないといけないですね。
Commented by supica-hosi at 2006-04-02 02:55
「てぶくろをかいに」は、年を重ねてゆくたびに、読後感が異なる絵本です。
わかやまけんさんの絵は、本当にあたたかです。何度読んでも変らず魅かれるところは、やはり私も、光の描写です。光というのは、描く人の言語で、いっそう輝くように思います。
 
母ぎつねの子ぎつねへの接し方の感想は、その時々で同じではないのです。
今は私も、葛藤という言葉がしっくりきます。母ぎつねのそれでも何かを信じ、表へ送りながらも、子の行き先を案じる様子に、親の葛藤を想像します。子から親への(親から子というよりも)純粋なつながりと好奇心と無垢が、子ぎつねのあらゆる可能性を育ててゆく気がしました。
Commented by supica-hosi at 2006-04-02 03:00
続き
今において、油断ならない現実を安全に過ごすことへの手段は、更に充実されていきますが、子ども側が抱く安心ということにおいては、幼い心の中心を通り、子自ら育くむ力の可能性を見守り導き、できるかぎり葛藤のあいだに立って戴きたいと願うのです。
幼い子どもたちは、なによりも子ぎつねが、嬉しそうにお母さんのもとへ戻ったという安
堵に包まれて本を閉じると思います。それは大切にしてあげて欲しいです。
Commented by enzian at 2006-04-02 12:29
supica-hosiさん

この記事にコメントを書くのは難しかったと思います。
まず、その点をありがとう。

いろいろな読み方、解釈を許す本が名著であると思いますが、
(それは決して曖昧ということではなく、
確固とした解釈を幾通りにも許す、ということです)
そういう意味で、この本は名著なのだろうと思います。
リアルな絵を添えてある版もあるのですが、
ぼくも、わかやまけんさんの絵が好きですね。暖かくて。

光の描写という意味では、宮沢賢治が有名ですね。
河合隼雄は宮沢賢治が臨死体験者であると言っていますが、ご存知ですか?
臨死体験には「光の体験」(いわゆる、天国とか極楽とかもそう)がありますが、
それが表現に影響しているという考え方です。
言語のもとに体験がある、という考え方ですね。
新美南吉にそのような体験があったとは思えませんが、
ともかく斬新な言語表現には驚かされます。
Commented by enzian at 2006-04-02 12:47
supica-hosiさん、続き

supica-hosiさんのコメントを読んで、
母ギツネのなかにも葛藤があったことをぼくは忘れていたな、
と思いました。結果として、母ギツネがとった行動には問題があったかもしれませんが、
それに至るまでには葛藤があったのですね。

>今において、油断ならない現実を安全に過ごすことへの手段は、更に充実されていきますが、子ども側が抱く安心ということにおいては、幼い心の中心を通り、子自ら育くむ力の可能性を見守り導き、できるかぎり葛藤のあいだに立って戴きたいと願うのです。

同感です。「子自ら育くむ力の可能性を見守り導き」の部分が特に好きです。
犯罪者を鉄格子のなかに入れることは必要ですが、
犯罪者から守ろうとするあまりに、
子どもに絆(ほだ)しをかけるようなことでは困りますね。
Commented by sofia_ss at 2006-04-02 18:27
絵本、というか童話というか
子供向けのお話の本は深いものが多いですね。
>「ほんとうに にんげんは、 いいものかしら」
子供の頃読んだときに、この一言に違和感を覚えました。
なんだかキツネらしくない、と感じて。
そして、この母ギツネの問いかけには、今でも答えが出ないままです。

それにしても、子供の冒険から、安全な社会の解れという風に「危険」の意味合いが変わっていくのは、時代の流れなのでしょうか。
もしも現代、「てぶくろをかいに」を書くとしたら、遠くから見ていてください、と母ギツネは
空とぶ鳥にお願いしたかもしれません。
Commented by enzian at 2006-04-02 21:08
sofia_ssさん

>絵本、というか童話というか
子供向けのお話の本は深いものが多いですね。

同感です。
ビッグタームを散りばめたわけのわからない文章より、
よっぽど勉強になりますね(自戒を含む)。

>「ほんとうに にんげんは、 いいものかしら」
子供の頃読んだときに、この一言に違和感を覚えました。
なんだかキツネらしくない、と感じて。

(^^)、キツネがそんなことを自問するなんて変な感じですよね。
キツネにとって、人間がいいわけないのですから。

>そして、この母ギツネの問いかけには、今でも答えが出ないままです。

人間は複雑怪奇ですから、
そう簡単には答えが出ないということを、
成長するにつれて知るんでしょうね。
Commented by enzian at 2006-04-02 21:18
sofia_ssさん、続き

>もしも現代、「てぶくろをかいに」を書くとしたら、遠くから見ていてください、と母ギツネは空とぶ鳥にお願いしたかもしれません。

童話としてはそれが限界でしょうね。
監視カメラの画像を覗いている、では童話にならないでしょうし。
それにしても、昨今の状況では、空とぶ鳥にお願いするというのでは、
親の無責任を問われるのでしょう。困ったことです。
一番困っているのは子ども自身なのでしょうが‥‥
Commented by aroma-memory at 2006-04-04 19:23
>葛藤には可能性がありますが、一方的なものの見方はいずれ行き詰まります。

この一週間このフレーズが、じんわりときました。葛藤に光があたって眩しくっていいなって。☆


かにぱん、ローソンで買って食べました。素朴な甘いにおいがしましたよ。(^^)
Commented by enzian at 2006-04-04 22:15
毒きのこさん

>この一週間このフレーズが、じんわりときました。葛藤に光があたって眩しくっていいなって。☆

書いた当人は、わかったような偉そうなことを書いてしまった、
と、ちと反省しておりました。(^^ヾ

>かにぱん、ローソンで買って食べました。素朴な甘いにおいがしましたよ。(^^)

きー売ってないし、見たこともない!
(* ̄m ̄)ノ彡_☆ばんばん!(怒って机をたたいている。)

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