野田又夫氏

もう少し前のことになるが、京都大学の名誉教授であった哲学者、野田又夫氏が逝った。かつて感銘を受けた野田氏の言葉を一つ。 
「現実の内在的批判によってのみ真実はみとめうる、ということがソクラテスの生死をささえた。こういう仕方で求められる限りにおいてのみ、求める真実と善とは、現実をはなれた夢想たらざることを得るのである。そしてこのことについては、むかしもいまも、根本において変りはないと思われる。
 もちろんわれわれ自身、現在の状況において、真実と善とを、ソクラテスやプラトンの示したような規模において求めようとするとき、われわれみずからの新たな工夫と新たな勇気とを必要とする。かれらの後二千数百年の歴史の示す事実は、かれらの信じたところ教えたところの実現へとわれらを励まし勇気づける事実のみではない。むしろそのことの困難を、いなほとんどその不可能すらも思わせる幾多の事実を、人類は経験した、といわねばならないであろう。むしろ絶望することの方が正直だといいたくなることもあるであろう。
 しかしながら、だからといって、すべてに絶望して人間を見限り、理論を見限ることは、多くの場合かえって安易なのである。人間のことをよく知らぬ者が、えてして人間ぎらいとなる。たとえば、たやすく人を信じる者が、いったん裏切られるとまたたやすく人間ぎらいとなる。同様にして理論的吟味の苦労を知らぬ者が、たやすく理論ぎらいとなる。こういう人間ぎらいや理論ぎらいは、現実の問題の困難を深く知った結果であるというよりは、未熟のせいに過ぎないであろう。」(「人生と真実」より)
難しいと思う人は、最後の段落だけでも目を通して欲しい。特に若い学生に。

by enzian | 2004-06-24 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(2)

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Commented by unbound at 2005-12-09 22:55
今、最後の部分をありがたく読んでいます。
話の話題を転々と変え、極論をいう人に見た私の疑問はこの観点から来るものです。「それだけじゃない」「そこへと至った経緯は必要ないの?」「過去にどんな体験があったの?」…いずれも言葉にできないまま歯がゆさと諦めが残りました。聞いてるこちらが消耗します(〒_〒)
Commented by enzian at 2005-12-10 11:41
unboundさん

>今、最後の部分をありがたく読んでいます。

この部分を読んでいただけるのは、うれしいのです。

>話の話題を転々と変え、極論をいう人に見た私の疑問はこの観点から来るものです。「それだけじゃない」「そこへと至った経緯は必要ないの?」「過去にどんな体験があったの?」…いずれも言葉にできないまま歯がゆさと諦めが残りました。聞いてるこちらが消耗します(〒_〒)

自分の未熟を他者に責任転嫁する人はたくさんいると思います。
自戒の意味でも載せました。

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