残る10センチ

どこでもそうであろうが、大学構内の公的なエリアのほとんどは、喫煙エリアを除いて、禁煙となっている。ある朝、喫煙エリアに置かれた灰皿の傍らに立っている学生がいた。灰皿との間隔は20センチ。右手には携帯、盛んにメールを打っている。左手にはタバコ、器用に指ではじきながら、灰をしっかりと地面に落としている。灰皿とタバコとの距離は10センチ。立ち姿、一挙手一投足から、自分が見られていることを意識していることが見て取れる。

ルールにしたがわない、モラルをものともしないというこれみよがしのポーズを見せることによって自分のアイデンティティを主張する、ありがちなタイプのバカだと切って捨てるのはたやすい。実際、自分もそう思う。だが一方で、吸わぬ者の気持ちを無視して所かまわず歩きタバコを吸い、煙を充満させるおびただしい数の “鈍感” の群れなかで、わざわざ喫煙エリアまで足を運び、灰皿まであと10センチに近づいたことを悪意にのみとるのも、どこかしっくりこない。悪意の解釈になけなしの知恵を巡らせる暇があるぐらいなら、残る10センチの距離をいかに詰めさせるかの策略を練るのが、自分の仕事なのだろう。

by enzian | 2006-10-29 12:05 | ※キャンパスで | Trackback(1) | Comments(4)

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Tracked from 極上の憂鬱 at 2007-02-11 16:34
タイトル : 余地
余裕のある場所という使われ方が一般的かな。 ここでは、人との交際のときに  譲れるだけのゆとりをもってお付き合いをすれば、無用な摩擦は避けられる  というほどの意味におとりください。 小さな哲学~雑草の世界  enzianさんの 残る10センチ にTB 自分は中味が無いぶん、他からの影響を受けやすい質だと思っています。 なので、マイナス方向に引っ張られそうなものには距離をとるという 甚だ消極的な防御法を実践しています。 TBするだけして...... more
Commented by 毒きのこ at 2007-02-11 10:00 x
ずっとこの記事のことが頭に残っていました^^

enzian さんもブログで、電車での携帯電話とかいろいろ書いておられますね。
わたしも個人的には、駐車場のスペースとかで困った目にあいます(><)

煙草にしろ携帯電話にしろ、所定の位置で!のアナウンスや警告の看板だけが
虚しくうかんでますね。
条例やら法律やらで縛るのが、目先の対処的には仕方ないことなんでしょうね。

でももっとそれ以前に、思ったりもします。
何でルールを守る人は守れるんだろうって・・・

道徳心にあふれた、善良で模範的な人々ももちろんいると思います。
何となく人の目を気にして、後ろめたくなる自分が嫌だからって人も。
単に警告の看板を無視してルールを破るのは、スマートではないという理由だけの人。
etc・・・
Commented by 毒きのこ at 2007-02-11 10:01 x
(つづき です。)

ありふれた考えになってしまいますが
日常生活で、人が人を注意したり・叱ったりしあうことって少ないですね。
その場でいいあうことは、トラブルになったりするリスクが今では大きいですし。

わたしなどは、それほど善良でもありませんから
マナー云々の時は、
【誰かに、こっぴどく叱られた時の、ビクッ!や、グキッ】
という感覚が恐さ怖れとなって、体に染み付いているから
とりあえず止めておくというのがあります。
その自分の感覚に、鈍感になった時は
不神経な嫌な大人になってしまう危険性もはらんでいますが^^;
Commented by enzian at 2007-02-11 12:17
毒きのこさん

>何でルールを守る人は守れるんだろうって・・・

それは、倫理学者が一生懸命取り組んでいる問いで、
ぼくのゼミとかでディスカッションのテーマになったりするものです。
ゼミに参加しますか?^^

ぼくもよくわかっているわけではありませんが、
少なくとも言えることは、ルールを守ったという同じ結果になったにしても、
その“動機”はいろいろだということです。
それは、毒きのこさんの書いている通りだろうと思います。

ルールを破って罰を受けるのがイヤだからという人もいるし、
罰を受けないにしても周囲から白い目で見られるのがイヤだからという人もいるし、
ルールを積極的に守っている人だということで善い人だと思われたいから、
という人もいるでしょう。
他人のことなど関係なくて、自分を責める自分の目がイヤだからという人も
いるでしょう。
もちろん、ルールを破ることで人に迷惑をかけるのがイヤだから、
という人もいます。
Commented by enzian at 2007-02-11 12:22
毒きのこさん、続き

>【誰かに、こっぴどく叱られた時の、ビクッ!や、グキッ】
という感覚が恐さ怖れとなって、体に染み付いているから
とりあえず止めておくというのがあります。

良心の声がやめろと止めるから、という人もいますが、
良心というものがどこからできあがるかというと、
けっきょく、親から叱られたり褒められたりしたことがもとになって、
親代わりのものとして心のなかに居座ったものなのだ、
という人がいます。

>その自分の感覚に、鈍感になった時は
不神経な嫌な大人になってしまう危険性もはらんでいますが^^;

自分や他人の感覚に鈍感な人は多くなっていると思います。
その理由が、ぼくはとても気になるのです。

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