水晶は生きている

b0037269_109055.jpg実家の玄関脇には粗末なバケツが置いてあって、いつもきれいな水で満たされていた。バケツには○○○山で採ってきた水晶が入っている。

友人のOが遊びにきたときは、なにをするよりまずバケツを覗き込んで、言ったものだ。「まだ水晶生きとるけ?」山で採ってきた水晶には透明なものと白く濁ったものがあったが、水晶はきれいな水から出来ており、生きているうちは透明だが死ぬと白く濁るのだ、と二人は信じていた。

水晶が死なないように、せっせとぼくは水を替えていた。Oはともかく、すでにぼくには水晶が石英の結晶(度の高いもの)であるという知識があったから、子ども心にそういう知識とバケツの水替えがどうやって両立していたのか、今ではうまく説明できない。

バケツの水晶は実家を出るときに小箱に入れ替えてもってきた。ときどき、はっとなにかを思い出し、無性に会いたくなってガサガサと家捜しをする。家にあることは確かなのだが、どうしても見つからない。でもいいのだ。どこかに仕舞われているなら、それでいい。

by enzian | 2007-03-13 22:51 | ※山河追想 | Trackback | Comments(8)

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Commented by 座敷童 at 2007-03-14 00:34 x
なんか、おじいちゃんが、焼き物の壷を愛でるのに近いような気がします・・・。
綺麗なものにキレイなもので箱を作る。これで安心、汚れない。
そんな少年(反芻)には今度、“水入り水晶”を差し上げましょう。
ところでネームカードのカエルに親近感を覚えます。
虚ろな目線が、とくに。
Commented by coeurdefleur at 2007-03-14 06:42
じゃあ、石英は水晶になれなかった石?
バケツのきれいな水に浸けておいたらいつか水晶になれるかなぁ。
童話が書けそうですね。
Commented by enzian at 2007-03-14 21:22
座敷童さま

>なんか、おじいちゃんが、焼き物の壷を愛でるのに近いような気がします・・・。
綺麗なものにキレイなもので箱を作る。これで安心、汚れない。

そして、どこに仕舞ったか忘れる‥というわけですね。

>そんな少年(反芻)には今度、“水入り水晶”を差し上げましょう。

やった♪

>ところでネームカードのカエルに親近感を覚えます。
虚ろな目線が、とくに。

よろず相談受け付けます。
カエルからの相談も可。^^
Commented by enzian at 2007-03-14 21:28
柊さん

>じゃあ、石英は水晶になれなかった石?

そうそう。それで、石英が水晶になれなかったのには深~い理由があってね‥‥
ある日、河原の石と山の石がかけっこでどちらが早いかを‥‥\( ̄ ̄*)バシッ

>バケツのきれいな水に浸けておいたらいつか水晶になれるかなぁ。

そっか~長く水に浸けておくと、白い石も水晶になるのか‥‥
それは考えなかった視点。
Commented by supica-hosi at 2007-04-08 01:08
同じです。
今も時折、シャーレーに水をいれて、光に透かせて眺めます。
そうすると水晶は呼吸をするのです。
水のゆらぎとまろやかな石の艶に魅了されます。
わたしは、おいしそうにも見えます。
祖母が好きだった氷砂糖にも似ていますから。
子どもの頃はあれをなめては指でつまんで眺める
こんな水晶ほしいなぁと眺めてはまたなめる・・・・><。
水晶もなめましたねぇ。ああ・・・水晶だぁ~~って実感しましたぁ・・。
これ見事な水晶ですねぇ・・・。^^

>ときどき、はっとなにかを思い出し、無性に会いたくなって

まさに、無性に・・・ですよね。
Commented by enzian at 2007-04-08 11:04
スピカさん

>シャーレー

その言葉になぜかどきどき。

>氷砂糖

その言葉になぜかどきどき、どきどき。

>水晶もなめましたねぇ。

なめました。
水晶をなめる少年少女‥‥はた目から見ると、
ちょっとコワイかもしれんが‥‥(。-_-。)ウウッ
Commented by yuta at 2007-04-08 21:19 x
 enzianさん,こんばんわ。スズキコージさんの絵に「すいしょうだま」というのがあるのです。その絵が,ちょっと気になっていて・・・。その絵が,内山節先生の書かれた「哲学の冒険」という単行本の表紙になっていたんです。本の副題には生きることの意味とつけられていたのですが,生きるって,透明に澄み渡る自分の「すいしょうだま」を探しだすような過程なのかもしれないかなと,enzianさんの記事と,スズキコージさんの絵と,内山先生の本と,なんとなく重なったので書いて見ました。偶然に同時期だったので・・・。
Commented by enzian at 2007-04-08 22:07
yutaさん

あの絵の玉は水晶玉だったのですか‥‥気づいてなかった。

>生きるって,透明に澄み渡る自分の「すいしょうだま」を探しだすような過程なのかもしれないかなと

かもしれませんね。
そしてメーテルリンクの青い鳥ではありませんが、
その水晶玉はどこか遠くにあるわけではないのでしょうね。

yutaさんの新着記事のカタクリの花がきれいでした。
ショウジョウバカマも、ぼくの好きな花なのです。^^

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