『地面の底がぬけたんです』(藤本とし)

b0037269_0225952.jpg著者の藤本としは、若くしてハンセン病に罹患(りかん)し、手足の指、ほぼ全身の身体感覚、視覚を失った女性。穏やかな語り口のなかに、隠しきれない気品を漂わせている。構成は、第1部の随想と第2部の口述筆記。

とりわけ随想38篇は珠玉の佳品。幾重にも積み重なった内省と葛藤の襞(ひだ)からようやく滲み出した一滴一滴を見る思いがする。外向きの感性の喪失がかえって豊かな内向きの感性を生み出したことは事実だとしても、それはやすやすと、時の経過につれて自然に、必然的に、著者のうちに生まれたようなものでは決してない。

「闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねぇ。なにがどんなにつらかろうと、それをきっちりひきうけて、こちらから出かけていかなきゃいけません。‥‥自分が光になろうとすることなんです。それが、闇の中に光を見出すということじゃないでしょうか。」(第2部、322頁)

いつか自分が光になれるという保証など、どこにもない。ましてや、あなた自身が光になりなさい、と人を諭(さと)すことなど、できはしない。それでも、そのような人がかつて確かにいたことは、今を生きる者のかすかな励みになるかもしれない。

by enzian | 2007-05-01 19:31 | ※好きな本 | Trackback(1) | Comments(22)

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Tracked from 北の夢想科学小説 at 2007-05-30 23:30
タイトル : 何もかも失いながら何かを得て何かを与え得る人がいた
こちらの紹介で知ったこの本。 がっちり2週間かけて読み終えました。 (初版初刷のため表紙が現行のものとは異なっています) 決して泣けるような種類の本ではないと聞いていたのですが。。。 自省録以来の勢いで私にハートヒットしてくれました。 ということでばくのひとつ覚えな引用文を記載します。 注:この本は著者は没しておりますが、出版社が出版著作権を保有しております。  もとより引用という いいわけで文を紹介しているのが、私の『引用文』です。  権利当事者より侵害の申し立てがあり次第、即...... more
Commented at 2007-05-01 21:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yuta at 2007-05-01 22:56 x
enzianさん,こんばんわ。内向きの感性という言葉と光という言葉で,

夜に目覚めて、夜に飛ぶ。
森は黒い、森は白い。
月の光の中で、ねずみたちがおどっている。
というランダルジャレルの詩のフレーズが思い出されました。

内向きの感性に目覚めるというのは,ちょっと怖いことでもあるような・・・。内向きの感性の深遠さを自覚しつつ,外とのバランスを保つというのは,かなり大変であるような。でもそうやって生きて行けたら人生,豊かでもあるような・・・なんか難しいですね。感想でした。いったい何をいいたいんでしょう?(笑)
Commented by bucmacoto at 2007-05-01 23:39
思い切り泣きたいときに、ひも解いてみます。
Commented by enzian at 2007-05-02 00:00
鍵コメ1さん

そうですか。
一度、読んでみてもいいかもしれないね。
Commented by enzian at 2007-05-02 00:04
yutaさん

こんばんは。

>夜に目覚めて、夜に飛ぶ。
森は黒い、森は白い。
月の光の中で、ねずみたちがおどっている。

なんて含蓄のある言葉なんでしょうか。
困りものですね、こういう言葉は。(^^ヾ

>内向きの感性に目覚めるというのは,ちょっと怖いことでもあるような・・・。内向きの感性の深遠さを自覚しつつ,外とのバランスを保つというのは,かなり大変であるような。でもそうやって生きて行けたら人生,豊かでもあるような・・・なんか難しいですね。

ぼくもはっきりは説明できないのですが、なにやら同感です。
それで、バランスを保って人生を豊かにする場合と、
保てない場合、この二つの事例を分けるのはなんだと、
yutaさんはお考えになります?
(ほどほどに流してください。^^)
Commented by enzian at 2007-05-02 00:05
bucmacotoさん

>思い切り泣きたいときに、ひも解いてみます。

よかったら読んでみてください。
ただ、思い切り泣けなくなるかもしれませんよ。^^
Commented by aroomwithaview at 2007-05-02 05:04
こんにちは。
うんうんと頷きながら読みました。

>自分が光になろうとすることなんです

最近、ダライラマの講演を聞きにいったのですが、
光のような雰囲気の方でした。こちらを、あたたかく照らすのです。

↑でenzianさんがコメントでふれたように、バランスを保つ場合と
保てない場合をわけるのは何なのでしょうね?
“邪悪、貧欲、苦しみさまよえる人々も、自分の成長のための宝物と心得て生活します”という言葉をききました。(ダライラマの講演で)
そんなぁ・・・と、思うけれど、それを経て輝いている人もいるのですよね。
痛みを感じますが、励みにもなります。

話はかわりますが、写真がいいですねぇ~
お会いしたことはないけれど、enzianさんが滲み出ているというか・・・
一瞬、呼吸がゆっくりになるんですよ。

Commented by enzian at 2007-05-03 11:10
aroomwithaviewさん

>それを経て輝いている人もいるのですよね。

たくさんおられるのでしょうね。
偉人と言われる人のなかにはもちろんおられるでしょうし、
名もない人のなかにもたくさんおられるのでしょうね。

>写真がいいですねぇ~

ありがとう。
こちらでは、いま、藤がとてもきれいなのです。
すごく長い(花の)房があったりして、見事です。

>enzianさんが滲み出ているというか・・・

いやん(/▽\)わかります?
(ぼくの学生が見たら、きっと非難ごーごーだろうなぁ。)
Commented by yuta at 2007-05-03 22:30 x
 『バランスを保って人生を豊かにする場合と、
保てない場合、この二つの事例を分けるのは・・』
 またなんて難しいことを・・・・,と思います。
すごくシンプルに考えると,人は生物学的にも,細胞の一つ一つが外界に開かれていないと生きることができません。呼吸をし,食物を取り入れ・・・・,外のものを取り入れ,形を変えて循環させ,そしてまた外へと排出して一瞬一瞬を生きている。
思考も,精神も,そうなのではないでしょうか。外に啓かれていないと,内面の感性は正常なものとして維持できなくなる,というように思います。内的世界が外に啓かれず,内的世界を外界に広げてしまうと,そこには時間的な秩序のない,エピソードの断片がバラバラに生じては消えてゆくような世界が広がる。豊かに生きるためのアイデアはたくさんあるのでしょうが,ただその中を浮遊しているような状態になってしまうのかもしれません。人が前頭葉を発達させたのは,内的世界と外的世界をつなぐためだったのかもしれないですね。勝手なことを言ってますけど,イメージとしてこんな感じかしらと思いました。
Commented by hiruu at 2007-05-04 00:37
>外向きの感性の喪失がかえって豊かな内向きの感性を生み出したことは・・・
内向きの感性ってどんなだろう。外向きの感性しか持っていない自分には、きっとその豊かさは伺い知るにも及ばず、たぶん勝手なイメージで満足するだけに終わっちゃうのかもしれない、と思うのですが、是非読んでみたい一冊です。
こんど本屋さんで探してみよう(^^)
Commented by enzian at 2007-05-04 08:26
ひるさん

>内向きの感性ってどんなだろう。

感性って、普通、外を向いていて、
動物が最低限の生活をするために情報を取り入れるためにあるものです。
だから、内向きの感性っていう言い方は変ですね。(^^ヾ

ぼくが内向きの感性という言い方で言っているのは、
自覚とか自己反省、自分を見つめる心の働きのことです。

よろしければ、読んでみてくらはい。^^

Commented by enzian at 2007-05-04 08:42
yutaさん

yutaさんの考えはわかりました。
外向きの感性(=感性)と、内向きの感性(=思考、imaginationを含む)の
バランスが大切だということですね。
外が弱められからといって、さらに内に固執するようなら、
想像力がリアリティ薄弱な世界を思い描くだけになるでしょうから。

この本の著者は、
いくつかの感覚が残っています。
味覚と聴覚と舌先の感覚が。
著者は視覚や全身感覚の多くが失われたことによって、
外向きの感覚を断念するようなことはしないのですね。
むしろ、わずかに残った外向きの感覚を鋭く研磨させています。
精神は外に啓いていくのですね。
yutaさんの考えを裏づけています。^^

Commented by coeurdefleur at 2007-05-04 22:50
「情けにしても怨みにしても、受ける方にその気がなきゃア成り立たねエんです。
哀れみを受ける方ってのはね、それが真実は蔑みだったとしても、蔑まれてるたあ思わねえ。
それが世間の約束ごとで。それを破っちゃ始まらねえ。
想いってのはねお岩様、どんな想いでもそのまンま相手に通じることなんかねエんです。
想われる方が勝手に作り出すもので御座いましょうよ。
ですからね、いずれ - 喜ぶも怒るも - お前様次第で」
              京極夏彦  「嗤う伊右衛門」

ご紹介の本まだ読んでいないのですが、なんとなくこんなの↑を思い出しました。
Commented by enzian at 2007-05-05 13:11
柊さん

>お前様次第

この辺りなんでしょうね。

それにしても、伊右衛門、ずるいですね。(^^ヾ
Commented by yuta at 2007-05-06 17:51 x
enzianさん,こんにちわ。
『想像力がリアリティ薄弱な世界を思い描くだけになるでしょうから。』
なぁーんだ,こう言えばよかったのか!と思いました。誰かに話してみるというのはよいですね。モヤモヤとしているものにすっきりとしたことばが発見できたりして,楽しいことだな,と思います。
『内向きの感性は、自覚とか自己反省、自分を見つめる心の働き・・』
なるほどーと思い,そうか,それなら,内向きの感性をもっとも単純に見ることができるのは,排泄コントロールの仕組みプラスそれをめぐる社会的学習かもなと勝手にひらめき,ここ2,3日密かに楽しんでしまいました。でも,やはり考え出すとうまくいきませんが・・・。そうでした,藤の花がきれいですねーとずっと書こうとしていたのですが,書いているうちにお伝えするのを忘れてしまっていました。私が訪ねた藤の花のお寺は,カラオケ大会の真っ最中で,あらぁー,がっかり。お線香の煙りと香りから昔の人々と今の私を結ぶ想いなど,巡らす雰囲気はぜんぜんありませんでした~ハハ。
Commented by enzian at 2007-05-06 22:33
yutaさん、こんばんは。

>誰かに話してみるというのはよいですね。モヤモヤとしているものにすっきりとしたことばが発見できたりして,楽しいことだな,と思います。

そうですね。学生としゃべっていても、よくそう思います。
やっぱり、外に啓かないとね。^^

>排泄コントロールの仕組み‥‥

記事を拝見しましたけど、
これって、わかっているようでいて、わかっていないことですよね。
おもしろいテーマだなぁと思いました。

>そうでした,藤の花がきれいですねーとずっと書こうとしていたのですが,書いているうちにお伝えするのを忘れてしまっていました。

ありがとうございます。
yutaさんの蓮華も、すごくきれいでした。
藤にしても、蓮華にしても、まず被写体そのものがきれいなんですよね。

>私が訪ねた藤の花のお寺は,カラオケ大会の真っ最中で,あらぁー,がっかり。お線香の煙りと香りから昔の人々と今の私を結ぶ想いなど,巡らす雰囲気はぜんぜんありませんでした~ハハ。

人気のお寺は、閉門ぎりぎりに行くのが、おすすめにございます。^^
Commented by rakubin at 2007-05-07 23:14
本に興味を持ちましたが、それより本を語紹介された文章に感動してしまいました。
Commented by enzian at 2007-05-12 08:44
rakubinさん

ありがとうございます。(^^ヾ
Commented by yuta at 2007-05-14 19:19 x
 enzianさん,こんばんわ。藤本としさんのこの本,とてもすばらしい本でした。地面の底がぬけた感覚,読んでみて,ほんの少しだけわかるような気がしました。この病気は,(少なくとも)2度死を体験する・・・,病気にかかったとわかったときと失明したとき,というような表現がされていました。短い人生のなかで,少なくとも2度,生まれ変わって育ちなおさなければならない。それは赤ちゃんから単純に大人へと向かっていく過程を2回繰り返すのではない。そのことがどれだけつらいのか・・・。内面の強さと深さ,そして人間としての感性の襞の繊細さ,すごいなと思いました。若い世代の学生さんたちに読んでもらいたいなーと思いました。
Commented by enzian at 2007-05-19 08:05
yutaさん

おはようございます。
お読みになったのですね。

>この病気は,(少なくとも)2度死を体験する・・・,病気にかかったとわかったときと失明したとき,というような表現がされていました。

ありました。
ぼくは1度の死さえ想像できないのですから、
想像だにできないつらさなのでしょうね。

それにしても、この2度死を体験するという言葉にしても、
地面の底が抜けたんですという表現にしても、
ちょっと使えない表現だと思います。
この方の表現力の豊かさにけっこう酔ってしまいました。

>若い世代の学生さんたちに読んでもらいたいなーと思いました。

ぼくも、そう思います。
Commented by fo-rey at 2007-06-04 21:47
身体感覚というキーワードをたどってここにつきました。あけたとたん,『地面の底がぬけたんです』が紹介されていてびっくり。わたしもこの本を大切にしています。リンクをはらせていただいてもいいでしょうか。わたしのブログにもどうぞお越しください。http://forey.exblog.jp/
Commented by enzian at 2007-06-04 23:35
fo-reyさん

はじめまして。
リンクの件、ありがとうございます。
『地面の底がぬけたんです』は、大好きな本なのです。

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