homo viator

院生だったころ、いくつも大学院を渡り歩いてきたという人がいて、入学して間もないというのに、この大学院が他の大学院よりもいかに劣っているかを悪口雑言の限りを尽くして周囲に説明していたことがあった。あぁこの人はこうやってまたこの大学院をすぐやめて、違う大学院に入り、同じことを言うのだろうな、そしてそういうことを生涯くりかえしてゆく人なのだろうなぁなどと思っていたら、3ヶ月も経たないうちに、その人は去っていった。

“homo viator” (旅する人、旅人としての人)という印象深い言葉がある。古いキリスト教の言葉で、人の在り方を、信仰をもたない者から信仰をもつ者への生涯をかけての移行のプロセスとして表現している。信仰心をもたないぼくにはこの言葉は縁のないはずなのだが、なぜか頭のどこかに引っかかって忘れられないのは、もともと旅(旅行ではない)が好きだということもあるが、ぼくの「自分」というものの捉え方にかかわっている。

ぼくは、個人的な人格(自分と言っていいかな)が一瞬一瞬の自覚によって非日常的な体験として与えられるという考え方はとらない。そのような人格は、むしろ、それなりにエネルギーを傾けた日常生活のうちに、やがて向かおうとする彼方からちらりちらりと見えてくる独自の使命(理想像としての自分、と言っていいのか?スティーブ)への生涯をかけた接近のプロセスのうちに “形成されつつあるもの” だと思っている。そしてこのようなプロセスは冒頭のようなものとは違う、と頑なに信じている。どう違うのか知らんけど。

by enzian | 2007-06-09 12:26 | ※その他 | Trackback | Comments(26)

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Commented by anitya_ocean at 2007-06-09 13:11
お久しぶりです

唐突ですが伺ってもいいですか?

例えば 理想の自分が既に他人として存在するならば 自分は自分にとって存在しなくてもいいもの という考えはどう思われますか?
Commented by enzian at 2007-06-09 17:40
anitya_oceanさん

こんにちは。

>例えば 理想の自分が既に他人として存在するならば
自分は自分にとって存在しなくてもいいもの という考えはどう思われますか?

難しい問いかけなので、一生懸命答えます。

少なくともぼくにとっては、その仮定自体が成り立たないように思えるのです。
例えばぼくが自分独自の使命だと考えているものは、
文字通りぼくだけのものです。
これを代わることは誰にもできません。

もちろん、自分があこがれているような方、
あんな風になれればいいなぁと思っている、自分にとって理想的な方
というのはおられます。
Commented by enzian at 2007-06-09 18:01
anitya_oceanさん、続き

しかし、その方々は他人であって自分ではありません。

例えば同じような価値観を体現しようとしているにしても、
その方と自分では、もっている家庭もちがいますし、これまで蓄えてきた
人間としての基礎的能力もちがいます。
顔もちがいますし、体形もちがいます。
声も違いますし、これまで経験したきたものもちがいます。
この経験を誰一人として共有することはできません。

そうしたいろいろな基礎にのっかってなんらかの価値を体現しようとするなら、
たとえ同じ価値であったとしても、
おのずとその実現方法、実現するためのプロセスは違ってくるはずです。
ぼくはぼくだけのやり方、プロセスでしか、
たとえ人と共有できる価値観であっても
その価値を実現しようとすることはできないのではないか、
そのような、目標、方法、プロセスも含めて自分である、
そのように考えているのです。
Commented by 毒きのこ at 2007-06-09 21:32 x
>もともと旅(旅行ではない)が好きだということもあるが、

毒きのこちゃんと言う茸を、旅してみるのはいかが?(^_-)-☆

↑新手の逆ナンパのようだ・・
Commented by enzian at 2007-06-09 22:28
毒きのこさん

>毒きのこちゃんと言う茸を、旅してみるのはいかが?(^_-)-☆

幻覚見たりしませんか?(^^ヾ
Commented by yoko_f211 at 2007-06-09 23:38
スティーブ!d(>_・ )グッジョブ!
Commented by 座敷童 at 2007-06-10 00:00 x
その人は大学事務に就職するといいと思います・・・。
そして数々の大学を渡り歩けばいいと思います・・・。

旅といえばあの言葉、「旅の恥はかきすて」。
これだけは絶対に反面教師だと思うのです。
だって旅先の恥は一生忘れないので、捨てるに捨てられないのです!
そんなわけですので私は、人生は太巻きだと思ってます。
ぐるぐる具が増えていくと複雑な味になるのです。
で、途中でスライスされて他の太巻きと一緒にまたぐるぐる巻かれる、以下くりかえし。
捨てられない材料が、雑多にぐるぐる巻かれる私自身はシャリなのか海苔なのか・・・海苔かな。
Commented by yuta at 2007-06-10 22:32 x
enzianさん,こんばんわ。
その人,他人から見れば,道の選択の仕方を間違えている!・・かもしれないけれど,「安心」を人一倍求めていた人かもしれませんね~。どこにいっても,何をやっても不安だったんだろうな~と思いました。
 人間って,不安をエネルギーに「安心」という自分探しを,生きてる間しているようなものだから。そういう意味では,誰でもがシュシュポスの岩のような人生を送る危険性をはらんでいるのかもしれません。同じ徒労(同じといっていいのかわかりませんが)なら,「ハチドリのひとしずく:辻信一監修」のように,今私にできることを主体的に自分で選択して生きていく人生を送りたいものですが。多分そこには「彼方からちらりりたりとみえてくる独自の使命」が存在しているような気がします。感想でした。
Commented by enzian at 2007-06-12 20:56
yoko_f211さん

スティーブあってのぼく、ですからね!(*^^)
Commented by enzian at 2007-06-12 20:59
座敷童さん

>その人は大学事務に就職するといいと思います・・・。
そして数々の大学を渡り歩けばいいと思います・・・。

そうですね、いい職員になるでしょう。^^

旅の恥はたしかに印象に残りますよね。
人生太巻き理論、とてもおもしろかったなり。(^0^)/
Commented by enzian at 2007-06-12 21:11
yutaさん

こんばんは。
この文章でいちばん思いを込めているのは、
最後の「‥‥頑なに信じている。どう違うのか知らんけど」です。
だから、きっとどこかで、yutaさんのようなつっこみを入れてもらえるのを、
ぼくは待っていたと思います。

ぼくは彼とは違う生き方をしていると信じている、というか
信じたいわけですが、違うと言える大した根拠はないようです。
たぶん、ぼくも彼と同じように不安をのがれ安心を求めたいが
ためにやっているのでしょうね。シュポシュポと。^^
Commented by yuta at 2007-06-13 23:57 x
enzianさん,シュポシュポと,に引っかかってしまいました。もしかして,『・・ちらりりたり・・』に敏感に反応してもらったのかな・・・と。あ!間違ってる,しかもお間抜けな,と思った次の瞬間に,突っ込まれたら,そういう方言なんですよと,うそついちゃおうかな,などとまで思っていた私でありました。
・・・と,そんなふうに思っていたのでenzianさんのシュポシュポに過剰に反応してしまったわけです。そんなふうに他者や他者のことばに自分の思いを投影させるわけだから,美にしても崇高にしても,自分自身の投影でしかない,といわれれば,それも真実の半分なのかなと素直に思えてしまいます。でも,不思議なのですが,対象を対象のままにという見方もできるような,というか,ずっとできると思って生きてきたようなのです。指摘されて,そうか,そうでもあるなと思いました。少し考えてみたいと思います。宿題にさせてください。1つだけ,ふと思ったのですが,投影ともいえますが,もしかしてシンクロニシティーかもしれないと,そうとると違った見え方ができるのかもなと・・,思いつきです。
Commented by manchester at 2007-06-14 23:04 x
「旅人としての人」という視点から「自分」を考えた時、
同じ自分である筈なのに、いろいろな人からの影響や
さまざまな体験によって、昔とは考え方が変わって
いることがたくさんあるのを思い浮かべました。

それって、「思考が(一生かけて)旅をしているのでは?」と思いました。
その思考の旅が、果たして自分のなかでの理想に
向かっているのかどうかまでは、わからないですが。

ちょっと感覚的な話ですが、赦して下さい(-人-)
その上、最近文章がまとまらなくて…(>_<)
Commented by enzian at 2007-06-17 09:06
manchesterさん

>それって、「思考が(一生かけて)旅をしているのでは?」と思いました。

ぼくが記事にした考え方は別のものですが、
そういう考え方もできると思います。
Commented by enzian at 2007-06-17 10:31
yutaさん

対象を対象のまま見ることができるはず――これは、
yutaさんの文章に前提されている思いのような気がしていました。
ぼくは、どちらかというと、むずかしいかな‥‥という方向に傾きがちなのですが、
だからこそ、うかがってみたかった、というのがあります。
楽しみにしています。^^

>シンクロニシティー

シンクロニシティー、よく使われる言葉なのですが、
ぼくにはこの言葉の意味が、また、どのくらいの射程をもった言葉なのか、
実はよくわからないのです。勉強します。(^^ヾ
Commented by e-wwill at 2007-06-18 00:54
はじめまして。自分は、哲学をちびちびとかじっている者です。

とりあえず、ソクラテス・プラトン・アリストテレスからデリダ・ルーマン・ローティ・ディヴィドソンまで一通りかじり(恥ずかしながら深入りはしておりません)、「人間はなぜ賭け事に興じ得るのか」という「謎」等を思慮した上で、拙論を自分のブログに載せております。

他人の意見など所詮参考にしかなり得ないのですが、もしも一通り目を通していただいて、「こういう考え方をする人もいるのか」位に思っていただければ幸いです。(できれば、「矛盾」を見抜き、突いていただければ幸いなのですが。)

さて、「理想の自分が既に他人として存在するならば自分は自分にとって存在しなくてもいいもの」という考えについて、僭越ながら拙論を述べさせていただきます。
Commented by e-wwill at 2007-06-18 00:54
基本的に言って、デューイ風のプラグマティストである僕にすれば、「自分」も「他人」も「理想」も、「現存在で在る上での、『みなし』という戦略の元(げん)」にすぎません。(「元」とは、数学の用法です)
「猿の延長」である我々としては、あくまでも「概念」とは、人類の為の道具に過ぎない、と考えます。(これについては、反論の余地、大いにあります。)
Commented by e-wwill at 2007-06-18 01:01
他者とは「自己の投影」であるか否か。
これについては、自己(と戦略的に看做すもの)において未来に突き進む上での、「戦術」、いわば「兵法」ではないかと考えます。

「存在」とは「『存在している』と看做されるもの」。
いかに看做すか、いかに看做さざるか、その選択こそが肝要。

焼酎を呑みながら書いているので、いささか支離滅裂になってしまいましたが。
「哲学」は、あくまで「前を見て前に進む」ために在る、というのが僕の持論です。

ぜひとも、今後とも頑張ってくださいませ。
「哲学」は、人類の未来を切り開くために、先人の代から磨き続けている、素晴らしき道具であると思っております。
Commented by anitya_ocean at 2007-06-19 14:38
先生

御意見を本当にありがとうございました

思う所ありまして お礼が大変遅れました事をお詫び致します

私の問いかけの考えは1986年に出会った とある物語の主人公の心の台詞で これを読んだ時まず 悲しい と思いました そして今迄 主人公のこの思いはまさに一生懸命なもので嘲笑出来るものでは無く見方を変える事が出来ないものかと物語と共に悩みました 私は絵を描きますが全く私の思想と同じ絵があればまずやられたと正直に思います 同じものが世に二つある意味は無いなと感じてしまうかもしれませんがあってむしろ喜びだとも見えます
Commented by anitya_ocean at 2007-06-19 14:51
続き

プライドも大事ですが同じ表現者が居たということを知るのは孤独を遠ざけもし 何かのチャンスだとも思います その人と徒党を組もうとは思いませんが私は私にしか表現出来ないものがまだあるとぼんやりですが確信します 私は先生の意見にほぼ同感ですが 仮説が成り立たないという点で違うと考えていました 何事にも可能性があると思うのでその辺りをどうお伝え出来るかなと日々想っていました ごめんなさい ですからまた改めてこちらへ何かがまとまったら書いても宜しいでしょうか 先生と渡り合うとかではなくまた教えて頂きたいのです
Commented by anitya_ocean at 2007-06-19 15:03
続き 2

先生が私に分かりやすくといてくれた魂には感動しました

百人いればその百人それぞれに伝わる才は やはり先生だからだなとしみじみ感じ先生のサイトに出会えた事を心から感謝します

追伸・私は最初の質問時にも今現在もアルコールは入っておりませんのでお察し下さい
只 猫が足元で丸くなって眠ってはいますが
それでは又改めて御伺いします

多大なる無礼どうかお許し下さい
Commented by enzian at 2007-06-19 21:06
e-wwillさん

御持論を披瀝してきただき、ありがとうございました。
参考にさせていただきます。
Commented by enzian at 2007-06-19 21:30
anitya_oceanさん

anitya_oceanさんの事情を教えていただき、ありがとうございます。

同じ思想の絵があったとき、やられた、と思ってしまうこと、
であるにしても、それは同時に、同じ表現者がいることの喜びでもあって、
自らを孤独から遠ざけることでもあること、
これは、anitya_oceanさんの素直な気持ちなのだなぁと思い、
ぼく自身も共感をもって読ませてもらいました。


Commented by enzian at 2007-06-19 21:37
anitya_oceanさん、続き

仮説が成り立たないという点については、
ぼくの意見とanitya_oceanさんの意見の内容が一致しないことは
なんの問題でもないのですが、
意見を決定する際の“姿勢”として、
ちょっと痛いところをつかれた、という気がしました。

というのも、ぼくはなんの根拠もなく可能性がない、
と言う人は好きではないのですが、
自分自身、それをやってしまうことがあるのです。
ときに根拠もなく強く否定してまうことがあります。
これは、ぼくの弱点の一つで、
以前の記事「言葉のキレに酔う」でも書いたことです。
よろしければ、読んでみてください。(^^ヾ

>アルコール‥‥

もちろん、承知です。
でも、猫には酔ってらっしゃるんでしょ?^^
Commented at 2007-06-21 18:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-06-21 22:30
鍵コメさん

了解しました。
お休みして、またむずむずしたら戻ってきてください。
そのときにまたお会いしましょう。

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