立ち位置

b0037269_13317100.jpg極度に集中すると、自分がどこにいるかわからなくなる、というか、いまでも実家の部屋にいるような錯覚におちいることがある。

正面にはまったく風通しには役立たない小さな窓があり、いつもカーテンは閉じられたままになっている。小さな卓には分厚いノートパソコンが置いてあり、電灯が消された部屋に、モニターの光だけがぼぅっと浮かび上がっている。うず高く積み上げられた書物の山に囲まれた陰湿な青年が、テキストの誤りを探しながら、ときどきなにごとかカチカチと打ち込む‥‥10年間、夜に昼を継いで研究に没頭した実家の部屋で、暗い青年の視点といまの自分の視点が重なる。

人にはそれぞれ、一生涯その人にまとわりつく原風景とまではゆかなくても、心と体に深く刻み込まれた、その人なりの “立ち位置” があるのかもしれない。もちろん、そうした立ち位置は少しずつ変化していくが、心と体のどこかにはしつこく澱(おり)のように残り続け、すっかり新しい位置に移動するにはそれなりに時間がかかるのだろう。ここで暮らしはじめて数年、人にそういう位置があるなら、ぼくはまだ、あの圧倒的に濃密な時間を過ごした部屋でひとり立ち尽くしているのかもしれない。いつ、この明るい部屋に移ってくることができるだろうか。

by enzian | 2007-08-10 19:20 | ※その他 | Trackback | Comments(15)

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Commented by kaori_yoshihara at 2007-08-10 22:45
>ほわぁ~ん。

お疲れ様で~す^^


私の立ち位置はどこなのでしょう…
…具体的な場所ではなくて、感情(心?)の中にあるような気がします。
(あ、enzianさんがおっしゃろうとしてるのもそういうことかな…)

よく戻ってしまう心境(?)があって、それは暗くて複雑でいじけた所なので
今はちょっと違う場所をつくろうとしている感じです。
(時期で言ったら、物心ついた頃から小学校4年生くらいまでの時かなぁ。)

人の心についたクセって、お札のシワみたいになかなか消えないものじゃないかなと思うのです。アイロンをかけてパリッとしても、それまでに付いたシワを完全に消すことは出来なくて、それが消えてしまうとしたらむしろ「今目の前にいるその人」ではなくなるというか。

あ~、え~っと、う~むう~む……ポカ~ン( ̄○ ̄)…どうも煮詰まりません…
眠いです…。(笑)

そうそう、だいぶ事後報告になってしまいましたが、「みかん」使わせていただきました。
好評です。会場の雰囲気が和みます。
ありがとうございました。
明日で終わりで~す。ZZZ(--)
Commented by enzian at 2007-08-10 23:15
かおりさん

>よく戻ってしまう心境(?)があって、それは暗くて複雑でいじけた所なので
今はちょっと違う場所をつくろうとしている感じです。

おぉだとしたら、かおりさんの位置は、そのいじけたところから
変わりつつあるのかもしれんね。

>人の心についたクセって、お札のシワみたいになかなか消えないものじゃないかなと思うのです。アイロンをかけてパリッとしても、それまでに付いたシワを完全に消すことは出来なくて、それが消えてしまうとしたらむしろ「今目の前にいるその人」ではなくなるというか。

あぁそうかもしれないですね。
ぼくは、ある位置からある位置へといずれ移動するかのように書いているけど、
そういう風にきれいに移動するといけないのかもしれないね。
勉強になります。^^

>好評です。会場の雰囲気が和みます。
ありがとうございました。

どういたしまして。
和んでもらえれば、おやじも喜びます。^^
最後の日ですね、有終の美をかざって、
またお腹をぽこりとしてください。^^

それと、かおりさんのこのところの文章、
いつにも増しておもしろく読んでおりまする♪
報告なり。
Commented by yuta at 2007-08-11 03:50 x
現実の世界に不意に立ち現れる,もうひとつの現実は,「孤独」と呼ばれるものなんだろう。それは,ある時には「記憶」と呼ばれるかもしれないし,またある時には「過去」とも呼ばれるようなものかもしれない。と,思いました。過去の自分と今の自分の視点が出会ったときに,未来が姿を現わすんでしょうかね?はっきりしたビジョンでなくとも。
 と,書きながら人が光(希望)を求めたりしながらも「孤独」なのは,胎児の記憶からなんだろうなと思ったりしました。突然ですが・・・。母の暗い狭いお腹の中で,騒音を聞き(心臓の鼓動や流れる血液の音),ひとり浮遊していた(それほど広くないかも知れませんが)わけだから・・・。なんて。きっと生まれる以前の立ち位置からして人間そんなに明るくないんだなぁ~なんて。写真と文章がお互いに引き立てあっている感じがステキでした。ちょっとヴァン・デン・ベルクふうな雰囲気があってよいなぁ~と思いました。感想でした。
 
Commented at 2007-08-11 05:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-08-11 13:37
yutaさん

>過去の自分と今の自分の視点が出会ったときに,未来が姿を現わすんでしょうかね?はっきりしたビジョンでなくとも。

そうかもしれません。
過去の自分と現在の自分が
それぞれ単なる点として孤立している限り方向性は出ませんが、
両者が出会ったとき、過去から現在へのひとつの矢印ができあがる。
その矢印が現在を突き抜け、未来を指し示すのかもしれませんね。

>現実の世界に不意に立ち現れる,もうひとつの現実は,「孤独」と呼ばれるものなんだろう。それは,ある時には「記憶」と呼ばれるかもしれないし,またある時には「過去」とも呼ばれるようなものかもしれない。と,思いました。

それもまた、そうかもしれません。
私たちはたくさんの人と出会うわけですけど、
記憶のなかで過去に出会った人たちの何割かは故人です。
故人は、私たちをこの世界に放置して、
どこかへ行ってしまった。
そういう意味で、過去と記憶には、孤独の影がつきまとうのではないか、
考えました。
Commented by enzian at 2007-08-11 13:51
yutaさん、続きです。

>人が光(希望)を求めたりしながらも「孤独」なのは,胎児の記憶からなんだろうなと思ったりしました。突然ですが・・・。母の暗い狭いお腹の中で,騒音を聞き(心臓の鼓動や流れる血液の音),ひとり浮遊していた(それほど広くないかも知れませんが)わけだから・・・なんて。きっと生まれる以前の立ち位置からして人間そんなに明るくないんだなぁ~なんて。

そうですね、それはあるだろうと思います。

でも、ある意味、逆のことも言えるのではないか、とぼくは思っています。
母親のお腹のなかにいるということは、暗いながらも、
包み込まれた、体温を栄養と母親からの愛情に満たされた状態であるとも言えますね。
だから、子どもはときに暗くて狭いところへ入りたがったりしますが、
そういう満ち足りた状態から胎児は突然、
光の世界へと押し出されるわけです。
それは、ある意味、不安の世界であり、
孤独の世界と言えるのではないか、
人がなにものかのなかに包まれていることを求めるのは、
そういう出生児の根源的な孤独からはじまっているのではないか、
なんてことも、なんちゃって的に考えたりするのです。
Commented by enzian at 2007-08-11 13:53
yutaさん、さらに続いたのだ。

ちなみに、上のようなことは、次の記事にしようと思っていたことでもあります。
うまく書けるかどうか、怪しいけど。(^^ヾ

>写真と文章がお互いに引き立てあっている感じが‥

ありがとうございます。
いまも、この窓を見ながら、パソコンを打っておるのであります。
Commented by enzian at 2007-08-11 14:05
鍵コメさん

しばらくは仕事を放置してほわぁ~んなのです、わはは。
ありがとうございます。

記事、拝見しました。
鍵コメさんが感謝しておられる通り、
お母さんと弟さんたちの愛情があったから、
鍵コメさんがそこで幸せに生活できるのだろうなぁ、
などと思ったりしましたよ。

それと、そういう記事を書いてもいいのだな、
ということに気づきました。
ぼくも、いずれ、そういう記事を書くことがあるかもしれません。

原風景の形はそのままであったとしても、
その色合いは、その後の心のもちようによって変えてゆくことができますね。
自分からその色を変えていこうという、鍵コメさんの姿勢、
とても素敵ですね。全面的に賛成!(^0^)/

>独特の闇

ありがとうごじゃいます。
会ったら、びっくりなさると思いますよ(どういう意味でだ?^^)
Commented by enzian at 2007-08-12 15:10
yutaさん

新しい記事は、↑で「上のようなことは、
次の記事にしようと思っていたことでもあります」とコメントしたこととは
関係のないものです。いつ書くか、わかりません。(^^ヾ
Commented by yuta at 2007-08-12 22:07 x
enzianさん,たくさんのお返事をありがとうございました。羊水で満たされ,臍帯で結ばれた胎児の世界がどんな感じなのか?改めて想像してしまいましたが,よくわかりませんね~。胎児であった時代でも情緒脳は成長しているわけだから,浮遊する満ち足りた母のお腹の中の環境でも微妙に心地よさと心地悪さを感じていたのではありましょう。例えばです。あんまり真剣にならずに聞いてほしいのですが,母が切迫流産の危機にあり生命の危険にさらされているとは知らないがさらされている胎児の場合と,安定した妊娠期間を過ごした胎児の場合,出生の経験はどうなんでしょうか?というか,それ以前の経験というか・・・。お腹の中から酸素不足で息苦しいかもしれない胎児と,そんなことは感じなかった胎児・・・生まれた瞬間の肺呼吸,臍帯を切られひとり世界に放り出された瞬間に感じるものは????と考えたら頭のなかこんごらがってきそうな,でありました。
Commented by yuta at 2007-08-12 22:10 x
続きです。もしかして,切迫で命の危機に曝された子は,息苦しさからの開放を感じていたりして,自ら呼吸する方が楽かもしれないなんて,おら一人で自由な方がええ,なんて・・感覚として感じていたりして。要するになにが言いたいのか自分でも微妙ですが・・・,生まれ出る体験は一緒でも,状況によってもうすでに人の立ち位置は違っているのかもしれません。そして,傍からみたら気の毒な境遇は,ある面,そうともいえないのかもとか・・・。いずれにしろ,自ら呼吸したその瞬間から,チョキンとはさみが入ったその瞬間から,人は孤独であり,自らアクションしなければならない状況に置かれる宿命にあるんでしょう。不安ってなんでしょうねぇ~。なんか,いろいろ妄想しちゃいましたが,付き合わされる方は大変ですから,ほどほどに聞いてください(笑)。
Commented by enzian at 2007-08-12 22:30
yutaさん

こんばんは。
yutaさんこそ、たくさんお返事いただき、感謝感激です。
考えるよい機会になって、とても刺激的です♪

yutaさんの考えはよくわかりました。
お腹のなかにいるから肯定的で、生まれたから否定的、逆に、
お腹のなかにいるから否定的で、生まれたから肯定的、
という固定的な言い方は簡単にはできなくて、
人一人一人の生まれ方がそれぞれ違うなら、そうした関係もそれぞれである。
そして、それは、いわばそれぞれの人の立ち位置の差異になる、ということですね。

おっしゃる通りですね。
そう思います。
Commented by enzian at 2007-08-12 22:36
yutaさん、続き。

出生前記憶というのがありますよね。
ややオカルトがかっていますので、
これこそあまり真剣にならずに聞いて欲しいのですけど、
ぼくは以前、そういうあやしい証言集を集めていたのですね。(^^ヾ
そこでは、母胎の身体的な状況や精神的な状況に
出生に比較的近い胎児が影響を与えられていた
ような証言がけっこうありました。

まぁそういう怪しいことを言わなくても、
yutaさんの考えの通り、ということですね。^^

>不安

おもしろいですね。
好きなテーマです。
話はじめるときりがないので、今日はこの辺で。^^

Commented by 600W at 2007-08-14 21:55 x
帰りたい、場所がある・・

戻りたい、時がある・・

出合いたい何かがある・・


そんな時、(立ち位置)を意識します
Commented by enzian at 2007-08-14 23:57
600Wさん

立ち位置を意識するときはどんなときか、
次ぎにはそれを考えたいと思います。

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