書くということ

b0037269_11432448.jpg書きたいと思うことはあるが、忙しさにかまけているうちに、強い思いもいつのまにか色あせてしまう。記事にしたいと思うことはあるが、はたしていまこんなことを書いてよいのだろうかと迷っているうちに、いつのまにか、なにごともなかったかのようにすっかり忘れてしまう。そういうとき、つくづく自分は忘れる生きものなのだなと思うし、それでよかった、と胸をなで下ろす。

書くとはどういうことなのだろうか。自分以外の人に自分の思いを伝えるというのはまずあるだろうけど、自分自身にとってはどういう意味があるのだろうか。ぼくは中程度のナルシストだから、自分が書いた文章(論文を除く)を読み返すのが好きだ。書いた文字はぼくが消そうとしないかぎり、書いたときそのままのかたちで残り続け、ぼくが訪れるのを待っている。

本は自分が読むのをじっと待っていてくれる、と書いたブロガーさんに共感したことがある。待っているのは書かれた文字であり、文章に包み込まれた自分の感情なのだと思う。書くことによってぼくは自分の思いを明らかにし、書かれた文字は、ぼくがその思いと折り合いをつけるまでの時間を与えてくれる。そうやって、ぼくは自分の感情を制御しようとする。

by enzian | 2007-11-03 11:48 | ※その他 | Trackback | Comments(32)

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Commented by 毒きのこ at 2007-11-03 19:21 x
私にとって、書くということは[話す]ということに近いかなぁ・・

極端に内気だった、小学生時代は、学校の先生に国語関係の提出物を出して見られる(読まれる)ことに、異常なまでの恥ずかしさと怯えがありました。書いたものは、自分の身体の一部であった感覚は、大人になった今とは比べられないほどの強さと一体感がありました。(-.-;)・・・いつも提出物を出すのは、クラスの中でおしまいの方でした。堂々と作文を公表したり書ける子を見ては羨むよりも、強い子なのかなぁ~とひそかに感心していたものです。

・・・う~む。なんだかんだいっても、今もそれは根本的に変わってないかも(ーー;)
Commented by enzian at 2007-11-03 22:39
毒きのこさん

>極端に内気だった、小学生時代は、学校の先生に国語関係の提出物を出して見られる(読まれる)ことに、異常なまでの恥ずかしさと怯えがありました。

いやぁ似たことがありましたよ。
ぼくも自分の作文が先生に読み上げられたときなんかは、
わぁわぁと妨害音声?を出して、
みんなに聞かれるのを阻止したもんです。(^^ヾ

書いたものは明確で、消さない限りは残ってしまいますから、
書くことはやはり怖いことでもあると思います。
Commented by 毒きのこ at 2007-11-03 23:44 x
ちょっと響くところがありました。テレビでベトナム戦争時のことを、現地のお婆さんにリポーターが尋ねるのですが、皆一様に首を振って何も語りませんでした。そう簡単に話す軽いことではないでしょうし、自分で話した言葉が残ることが(語り継ぐことさえも)恐怖を延長させることを本能でわかっているのかも知れません。話さなければ書き記せないし、出来事をなかったことにして葬り去れる、これ以上こんなことが起きてほしくない・・・とか。
Commented by 毒きのこ at 2007-11-03 23:47 x
(つづき)
日本にも戦争体験を、ずっと話したり書き記すことを拒んできた方が大勢おられます。が、死期もせまり意を決して語り・書き記す方もおられます。書くということの重みを、思い知らされます。・・以前は、何で書かないの?書けばいいのに?って、軽く疑問に思ってましたが、浅はかでした。書くこと残ること伝わること思い出すのが辛いこと・・いろいろ考えが及びませんでした。仕事上でもこのことで、東京大空襲にあったお婆さんを、怒らせ傷つけてしまったことがあります。もう1年以上、口聞いてもらえません。当たり前ですけどね、私がデリカシーがなかったのですから。(*_*)
Commented by 毒きのこ at 2007-11-03 23:49 x
(おやくそく)

>わぁわぁと妨害音声?を出して、 みんなに聞かれるのを阻止したもんです。(^^ヾ
きゃ~ きゃわゆぃ~☆
そんな坊ちゃん一人飼いたぃ~)^o^(
Commented by enzian at 2007-11-04 00:18
毒きのこさん

>ベトナム戦争時のこと

なるほどなぁと思いましたよ。
書くことはおろか、口にすることさえできないほどのことがあったのでしょうね。

>日本にも戦争体験を、ずっと話したり書き記すことを拒んできた方が大勢おられます。が、死期もせまり意を決して語り・書き記す方もおられます。書くということの重みを、思い知らされます。

うんうん。
そういう方がおられますよね。
後に残るぼくらからすればなにかを残して欲しい、
ということになるのですが、簡単ではないのでしょう。
書き記そうと決心するまで、どれほどの逡巡があったことか。

>もう1年以上、口聞いてもらえません。

ごめんなさい、しましょうね。^^

>(おやくそく)

 ↑ この見出しに笑いました。^^
Commented at 2007-11-04 21:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-04 21:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-04 23:46
鍵コメ1、2さん

おわびいただく理由はないと思います。

ともあれ、そう言っていただけると、
こちらの胸のつかえも降ります。
ありがとうございます。

コメントのやりとりは楽しかったですね。
そのような意味で、ほんとうにブログとは有意義なものだと思います。

またお立ち寄りください。
コメントいただけることを楽しみにしております。
Commented at 2007-11-05 20:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-05 20:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-05 23:03
鍵コメ3さん

こんばんは。
相当お考えになったコメントですね。
ありがとうございます。

ぼくは、よく思うのです。
ブログを考案した人(一人が完成させたわけでないでしょうが)の功績は、
ノーベル賞どころの騒ぎではない、と。

こうやっていろいろな思いを表現する可能性を
たくさんの人にひらいてくれたブログ。
ブログによっていったいどれほどたくさんの方が
いやされていることだろうか、と思います。
(もちろん、人を傷つけるために使う人もいますが。)

ただ、鍵コメさんもおっしゃるように、
いかに隠そうとしても文章にはその人が出てしまいますから、
ブログは多くの人に「表現することの怖さ」
を感じさせることにもなったのでしょう。
Commented by enzian at 2007-11-05 23:17
鍵コメ3さん、続き

>下から7行目~

コメントでもおうかがいしていましたので、
きっとそうなのだろうなぁと思っていました。

詳しい事情はわからないのですが、
せめて書かないでおくことによってウソをつかないですます、
ということさえ事情が許してくれない場合、
というのはあるものだと思います。

ご自身に厳しいのは鍵コメさんの高徳なのかもしれませんが、
ご自愛も大切なことでして‥‥
と中程度のナルシストは思うのです。^^

読者のみなさんも、お待ちのことだと思います。
Commented by enzian at 2007-11-05 23:26
鍵コメ4さん

愛おしいですね、まったく。
ぼくなんか、何度も読み直して、しまいには、
あまりの力作に目頭が熱くなることがありますもん。 \(-_- ビシッ

おほめにあずかり、ありがとうございます。

でも、鍵コメさんのコメントはすごいと思いますよ。
ふつう、自分に書けない文章が書ける人がいることに気づけば、
多くの人はジェラシーを抱くはずです。
そうではなく、それが嬉しいというのは、
そうそう書けることではないと思うのです。
人間愛のある方でなければ。

ちなみに、鍵コメさんのコメントの最後の3行は、
ぼくには書けない文章です。^^
Commented at 2007-11-06 22:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-06 22:31
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-06 22:32
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-06 22:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by aroomwithaview at 2007-11-07 04:33
おはようございます。
この写真、どこかでみたことがある気がして何度もみに来たけれど
思い出せない。enzianさんがとった写真ですよね???
そんなことが気になって、肝心の記事はそっちのけでした。
そして、記事にはコメントせずに退散します。
なんて言うのは冗談ですが、また、あとでコメント残します。
Commented at 2007-11-08 22:50
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-09 09:49
aroomwithaviewさん

おはようございます。
この写真は、学校で撮った写真です。
この記事用に撮った写真ではありませんが、
どこか記事の内容とつながるところがあるように
思えたので、貼りましたのです。
Commented by enzian at 2007-11-09 11:22
鍵コメ5、6、7、8、9さん

たくさんコメントいただき、
ありがとうございます。^^

思考するということ、そして、書くということを
独自の言葉で表現なさいましたね。
不思議な印象のある言葉です。
日常的であり、極めて慎重であり、
粘り強く分析的であり、かつ、どこか詩的でもあり‥‥

書くということの場合、
おっしゃる通り、どれだけの目がそそがれるか、
が重要になってきますね。

記事には、
まず、そそがれる目がもっとも少ない場合でも言えること、
を書こうとしました。
つまり、誰も見ていない場合でも言えることです。
例えば、極秘の日記のようなものですね。
Commented by enzian at 2007-11-09 11:23
鍵コメ5、6、7、8、9さん、続き

ぼくの場合は素性が割れているわけですから、
ブログを極秘の日記化するわけにはいきませんが、
日常での発言よりは匿名化していますので、
わずかなりと自分の心を明らかにすることはできます。

でも、匿名でブログを書いておられる多くの方にとっては、
ほぼ極秘の日記的な使い方ができるのではないかと思います。
(ちょっとうらやましくもある。^^)

でもだからこそ、web上では「わたし」という表現をそのまま筆者であると
思いこんでしまうこともあるのでしょうね。
もちろん、意図的に虚実皮膜の間を書くこともできるわけですが、
それは忘れられがちです。
Commented by enzian at 2007-11-09 11:32
鍵コメ5、6、7、8、9さん、さらに続き

鍵コメさんの言う、
「暮らしの術」という言葉を興味深く思います。

ぼくは大江健三郎は読まないのですが、
そういうことを言っているのですね。

関係ないけど、
「葉っぱ」(木とか草の葉っぱね)って
特別な思い入れを許すものだと思いませんか?
どうしてでしょうね。^^

そうそう。
ぼくは、1年生が入学時に書いた感想文の一字一句を
4年生になっても覚えていて、
それを使って、いじって遊ぶような人なので、
ご注意あれ!!^▽^)ケラケラ
Commented at 2007-11-09 16:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-09 18:53
鍵コメ10さん

>プレゼント

そうでしたか。
なるほどそう言われてみれば、
なるほどそうだなと思えます^^。

鍵コメさんのそのとき、そのときの素直な気持ちが
綴られているような気がしますから、
よいプレゼントになりそうですね。
それと、ママの成長の跡も見られるでしょうしね。^^

>‥‥のためになる書き方

ぼくも自己満足という意味では同じなんですよ。
ぼくの場合は、そういう書き方ができて、
なにかしら役立てることがあれば、
他ならぬ自分自身が満足できる、ということなのです。
最後は自己満足なり。
だから中程度のナルシストなのです。^^
Commented by ピンク at 2007-11-09 21:39 x
>ぼくは、1年生が入学時に書いた感想文の一字一句を~

あの原稿は保存してあるものなのでしょうか?
あるのであればぜひ見返してみたいです。
Commented by enzian at 2007-11-10 00:05
ピンク君

あるよ。
ただし、ぼくの海馬の中にね。
Commented by ピンク at 2007-11-10 00:52 x
はぅん。
enzianさんの脳と僕の脳をUSBで直結できれば良いのですが。
僕はあいにくケーブルを持ち合わせていないので、これは紙に
書き出していただかないといけないですね。

3年半前の自分に、もう一度会いたいのです。
会って、言わなければいけないことがあるのです。
Commented at 2007-11-10 01:50
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-10 17:25
ピンク君

>3年半前の自分

それは今の君のなかにいるんじゃないかな。
Commented by enzian at 2007-11-10 17:57
鍵コメ11さん

折り合いがついたとき、書かれた感情は、
違う意味をもって書いた人の前に立ち現れるのでしょう。

いったんコメントを書いてしまえばもう後戻りはできないのですから、
それは、ある意味、腹をくくるということなのでしょうね。

その決断が、自分のなかにも “自分の思いとの対峙”
という決意を生み出すのかもしれません。

送信なさらなかった部分は下書きさえ残っていないということなら、
まだ書き残されるべき思いではなかったのでしょう。

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