御縁

b0037269_23451818.jpg毎年たくさんの人と出会って、たくさんの人に別れを告げる。出会っては別れゆく多くの人たちのなかで、最も印象に残っているのは誰だろうかと考えたくなった。

はじめて担当したゼミの学生たちだろうか‥‥飛び抜けて優秀だったあの学生だろうか‥‥それとも、破天荒な行動でぼくを疲労困憊させたあの学生だろうか。たしかに、そうした学生たちは強い印象を残したけれども、最も強い印象を残した学生は、たぶん彼らではない。

ある年の春、まだ桜の残るころ、見覚えのない学生が個研をたずねてきたことがある。確かめてみれば、前年の推薦入試で面接をした学生なのだった。そのころまだぼくは若かったから、面接の際にも心にずかずか踏み込むような質問を繰り返したらしく、それが印象的で訪ねてきたのだという。「先生はものをはっきりおっしゃるでしょ?だから来たのです」。寺院出身の、他の学科の1年生だった。学生は尋常ならぬ熱意でしきりになにかを伝えようとするが、まったく要を得ない。要を得ないが、しばらく耳を傾けていたら、「すべては御縁(ごえん)によって成り立っている」と言いたいらしいことが、わかりはじめた。

「御縁」という言葉の使い方が独特だったので、「あなたは御縁ということでなにを意味しているのですか?」と問えば、とたんに黙りこくった。じっと答えを待っていたら、運悪くノックの音がして他の学生が入ってきた。答えを言わないまま出て行こうとする学生に、ぼくは言った。「また来てください」。日を置かず来るはずだ、来ないですむはずがない、とぼくは確信した。しかしそれ以降、その学生と会うことはなかった。

by enzian | 2007-11-09 23:48 | ※キャンパスで | Trackback(1) | Comments(39)

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Tracked from 北の夢想科学小説 at 2007-12-03 22:36
タイトル : 主題と副題 (因と縁)
封建時代ならいざ知らず、現代人であるなら、原因と要因との立て分けは 時として非常に困難であることを、誰しもよく知っているだろう。 原因とは古典的な 「因」、要因とは 「縁」 だ。  水素と酸素が反応(一般には燃焼)して、水を生成した。 この場合、結果(出力といってもよい)となるのは水のほうだが、原因(入力)としては水素だろうか酸素だろうか? 空気中では酸素は大量に偏在している 「ありきたりなもの」なので、水素を燃料とみなし、酸素は燃焼を助ける補助的な存在に思える。 そしてこれは、因と...... more
Commented by ピンク at 2007-11-10 00:57 x
その別れもまた「御縁」なのかもしれませんね。
Commented at 2007-11-10 01:04
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-10 01:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-10 17:27
ピンク君

>その別れもまた「御縁」なのかもしれませんね。

それは答えなかった学生の言い分だろうね。
だけど問題は、その先。
Commented by enzian at 2007-11-10 17:43
鍵コメ1、2さま

3年間とはけっこうですね。
そのなかにはやはりいろんな人がいるのでしょう。

大学でも、学生の退学率が年々高くなっていってますけど、
この人は大丈夫だと思っていて、肩すかしをくらうことはあります。
まったくの原因不明というのも多いですね。

ほとんどは連絡しても引き留めることができないですし、
引き留めない方がその人のためになるなぁと思ってあきらめる場合が多いですが、
まれには、連絡してうまくいく場合もあります。

偶像崇拝なんかする人は、
勝手に押しかけてきて、そして、勝手に去っていく人ですから、
そんなの気にする必要なんかないですよ。
きっと、いまは違う偶像を追いかけているんでしょうね。^^
Commented by yuta at 2007-11-10 18:19 x
enzianさん,こんにちわ。
その学生さん,自分を発見できたのですかねー。
自分自身を納得させられる他者から,認められたいとか安心を得たいとか,
きっと思って研究室の扉を叩いたのかな・・・と。
けれど,その他者は,容易に安心させてくれる人でなく・・・,ちょっと寂しく,ちょっと空しく,そして悲しいような,うまく表現できないようなごちゃ混ぜの感情を抱えて出て行ったのかもしれませぬなー、と想像をたくましくしてみました。というより,半分ほどは自分の体験でしょうか・・・ね。
御縁を超えたところに,も一度,御縁を発見できる世界ってあるような気がするのですが(よくわからないまま言ってます),逃げ出さずにそういう世界に踏み込めていればいいのだろうな,とか,いやそれは大変な生き方かもしれないからな,とか複雑ですが。
何かを探しに来る人に応える,というのはそう簡単にはできないもののようであるなといつも思います。場合によっては,命に,人生そのものに関わりますもんね。
勝手な想像から・・・の勝手な感想でした。
 
Commented by 毒きのこ at 2007-11-10 23:01 x
ちー哲(*小さな哲学の略)のenzianさんへ


AさんとBさんがCと言う共通の出来事で出会う。それに含みを持たせて、何がしかの他の作用のおかげで、出会ったと言うのを[御縁]とするのかなぁ~。神の見えざる手を信じるような感覚で。(-.-)

一方、それはそれぞれの意思によってであって、他の作用は介在しないとすれば、味気ないかもしれないけど[出会う]と言う、それ以上でも以下でもないただの状態を指すのかなぁ~。(-.-;)
Commented by 毒きのこ at 2007-11-10 23:04 x
(つづき)

・・・こちらへは[キノコ]と検索して訪問したのが始まりでした。きっとそれは、(God of KINOKO)の見えざる作用のおかげなのでしょうか?!ぐはは~。


ところで、忘年会の余興のダンスの練習はかどってますか?もちろん(♪おしりかじり虫)のダンス対決ですよ!!ええ!毒きのこ VS enzian の腐れ縁の野郎同士の因縁対決ですよっっ!!!
Commented by enzian at 2007-11-10 23:13
yutaさん

こんばんは。

>自分自身を納得させられる他者から,認められたいとか安心を得たいとか,
きっと思って研究室の扉を叩いたのかな・・・と。

かもしれませんね。
きっとぼくが学生にとってはあまり会わないようなタイプだったから、
なにか得られるものがあるだろうと思ってきたのでしょうね。

>けれど,その他者は,容易に安心させてくれる人でなく・・・,ちょっと寂しく,
ちょっと空しく,そして悲しいような,うまく表現できないようなごちゃ混ぜの感情を
抱えて出て行ったのかもしれませぬなー

それもかもしれませぬなー。
困惑したのでしょう。混乱したまま出て行ったのだと思います。
こんなことになるとは‥‥‥と。

>というより,半分ほどは自分の体験でしょうか・・・ね。

そういう体験、あったのですか?
まぁぼくも、まったくないではない。(^^ヾ
Commented by enzian at 2007-11-10 23:14
yutaさん、続き

>御縁を超えたところに,も一度,御縁を発見できる世界ってあるような気がする
のですが(よくわからないまま言ってます),
逃げ出さずにそういう世界に踏み込めていればいいのだろうな,
とか,いやそれは大変な生き方かもしれないからな,とか複雑ですが。

yutaさんの意図に合っていないかもしれないけど、
ぼくはこういう風に勝手に想像しています。

学生はたぶん、けっこうな寺院で、
御縁とかいう言葉を普通に聞いて、
シャワーのように浴びて育ってきたのでしょうね。
たぶん、そこでは御縁という言葉の定義云々は問題にならなかったのでしょう。
そういうことを問い直すというか、反省する機会はないままに
育ってきたのかもしれません。

ただ、それをぼくのところに来たということは、
そこになんらかのほろこびが生じてきていたのかもしれません。
それは、学生風に言えば、たぶん新しい御縁を発見できる、
そこに踏み込めるチャンスだったのかもしれません。
Commented by enzian at 2007-11-10 23:21
yutaさん

>何かを探しに来る人に応える,というのはそう簡単にはできないもののようであるな
といつも思います。場合によっては,命に,人生そのものに関わりますもんね。

そうですね。
ぼくのこの事例は、そういう意味で大失敗談です。
18歳や19歳の、大学に入ったばかりの学生に、
しかもそういう環境にいなかっただろう学生に、
いきなりアカデミック、フィロソフィカルモードで対応されても、
そら、困惑するわ、ってなもんです。
ぼくとしては若気の至りと、以後、若干の注意をしております。(^^ヾ

ぼくが気にしているのは、
その後、他の先生の下であろうと、
アカデミックモードにちゃんと入れたかどうかなんです。
大きなお世話なんでしょうけどね。
Commented by enzian at 2007-11-10 23:26
毒きのこさん

ばんは。
ちー哲のenzianです。

>AさんとBさんがCと言う共通の出来事で出会う。それに含みを持たせて、
何がしかの他の作用のおかげで、出会ったと言うのを[御縁]とするのかなぁ~。
神の見えざる手を信じるような感覚で‥‥

お~、定義を考えてますね。
じつに、よろしいです。
さすが、わがちー哲で長く鍛えた甲斐があった、というものです。

>・・・こちらへは[キノコ]と検索して訪問したのが始まりでした。きっとそれは、
(God of KINOKO)の見えざる作用のおかげなのでしょうか?!ぐはは~。

そうです。
よくわかっておいでです。
わたくしの摂理によるものなのです。

>ところで、忘年会の余興のダンスの練習はかどってますか?
もちろん(♪おしりかじり虫)のダンス対決ですよ!!ええ!

最近のマイブーム(もう死語か?)はおしりかじり虫の歌です。
今日も朝から歌っておりました(アホです)。
Commented by 座敷童 at 2007-11-10 23:28 x
御縁ってどうとでもとれますね。
ただ前後の「すべては-成り立っている。」って言うのが不明です。
「すべて」って、常に見逃している(接し逃している)部分はどうなのかなあ。
続報を聞きたいところですが、
きっと、なんか、自己完結した気配を感じる。残念。
座敷童が居着き始めたのは、ここの管理人さんの写真機材と技術の向上のせい。
あと時折、謎のテンションで事故のようにアップされた一時的な文章のせい。
Commented by enzian at 2007-11-11 00:30
座敷童さん

>御縁ってどうとでもとれますね。

どうとでもとれます。
やっかいなのは、その曖昧さに気づいていない人です。
この学生のような若い人ならそれもかわいらしいですが、
それがいい歳の大人なら、目も当てられません。

>ただ前後の「すべては-成り立っている。」って言うのが不明です。
「すべて」って、常に見逃している(接し逃している)部分はどうなのかなあ。

そうですね。
自分はすべてを知っているわけではないのだから、
こういうことは言えないかもしれない‥‥
ひょっとすると、自分はずいぶんいい加減な言葉を使っているのかもしれない‥‥
と気づければいいですよね。
そういう自己反省から、学問ははじまると思います。

>きっと、なんか、自己完結した気配を感じる。残念。

おっさすが。
言い得て妙ですね。

>あと時折、謎のテンションで事故のようにアップされた一時的な文章のせい。

げっ、なにそれ、なに?
Commented by yuta at 2007-11-11 00:31 x
enzianさん,アカデミックモードにちゃんと入れたのかどうか?に反応しました。
アカデミックモードに入る前に人って,モデルとなる他者に無意識に絆となるようなあたたかな関係を求める,ような気がしませんか?それは私だけかなぁ?
厳しいけれど暖かい,この人ならば師として信じきれる人かどうか?その辺の見極めを間違うと,大変なことになる,ような気がします(すべてとはいいませんが)。
頭はいいのにずっと人探しで終わる人,勝手に突っ走る人,挫折していく人など,大学院ではいろいろな学生の姿をみたように思います。もちろん私自身もまたその中の一人でしたけれど。アカデミックな世界も最初はやはりモデリングから始まるのでしょう。師が尊敬できるか,大好きなひとでないと,なかなかまねっこにも集中できない。
 大学院生でさえそんな気持ちがあるのに(そんな甘えた学生は私だけだったかもですが・・・・),学部生であれば,もっとアカデミックモードへ入り込むのは難しいのだと思います。師となるかもしれない人から与えられる困惑と混乱をどう受け取るか?それよりも安っぽい(言いすぎかも)安心を安定・信頼と取るか?この選択は難しいですね。
Commented by enzian at 2007-11-11 15:35
yutaさん

>大学院生でさえそんな気持ちがあるのに(そんな甘えた学生は私だけだったかもですが・・・・),学部生であれば,もっとアカデミックモードへ入り込むのは難しいのだと思います。

そうですね。
おっしゃる通りだと思うのですけど、どうしてそうなるのでしょうか。

学問の道って孤独なんだろうと思います。
しかも、あまりにも覚束ない道です。
もう、それはいろんな意味で‥‥(yutaさんはご存知でしょう。)

そんな孤独な覚束ない道を行こうとすれば、
やはり、けっきょくは自分の足で歩かないといけないにしても、
なにか、手がかりというか、困ったときには参照できる地図のようなものがあって、
自分にとって身近な誰かもまた、かつて同じ道を行ったのだ、
と思わないとやっていけない、ということがあるのでしょうか。
そういう地図であり、誰かである存在を、
「師」と呼ぶのかもしれません。
Commented by tama_ma_ma at 2007-11-11 18:06
はじめまして、玉虫と申します。
ご縁だとか一期一会だとか
わたし自身安易に使いすぎているのではないか?と
こちらを拝見してあらためてそう感じました。
めぐり合いの不思議をご縁というのであれば
その出会いを生かして育ててゆくべきなのでしょう。

リンクフリーとありましたので
ポチッっとさせていただきます~♪
出会いに感謝して・・ありがとう。
Commented by yuta at 2007-11-11 18:48 x
enzianさん,ある時,もう師でさえも応えられない,人に聞いてもどうしようもない自分の世界をもっていることを自覚したときから,孤独で覚束無い道が見え始める。それを行くのか止めるのかを決断するときが人生の大きな分かれ道かもしれません。
 同じ道ではないけれど,孤独な覚束無い道をあるき続けている先人がいるといういう事実は,勇気に励みになるんだと思います。
孤独の世界の扉を開く前に,一緒に伴走してくれる人,開いてからは,あの人もまた別の扉の別の道を歩き続けている,と何の疑いもなく思える人,そして,本当にひとりきりになった時でさえも,きっとあの人だったらこういうだろう,と思えるひと。そういう人が師と呼べる人のイメージでしょうか,私の場合。
 ということは,学問的な指導はあまり重要ではないといっているような??これは,問題かも知れませぬが・・。
 
Commented by yuta at 2007-11-11 18:50 x
enzianさん続きです。
若いころは,そういう人に出会っていたはずなのにチャンスの神様の前髪をつかみ損ねるように,すれ違い,あくまの後ろ髪をつかんで神様と思うことって多くあるんだろうなと思います。それもまた御縁,あくまと出会ったらあくまと遊んでみるのも悪くはないかもしれないから(笑)。遊べるぐらいの好奇心がない学生さんが一番心配かも知れません。的外れな応答かもしれませんけれど・・。
Commented by enzian at 2007-11-11 18:52
玉虫さん

はじめまして、enzianと申します。

>めぐり合いの不思議をご縁というのであれば
その出会いを生かして育ててゆくべきなのでしょう。

そうですね。
そう思います。

不都合があれば、
おっしゃってください。
Commented by enzian at 2007-11-11 20:58
yutaさん

ありがとうございます。

>あくまと出会ったらあくまと遊んでみるのも悪くはないかもしれないから(笑)。
遊べるぐらいの好奇心がない学生さんが一番心配かも知れません。

好奇心とバイタリティですね。
必須要素かと。^^
Commented by テルマキ at 2007-11-13 23:48 x
初書き込みです。ヒマがあれば記事を読ませて頂いてます。
御縁と言う学生に、意味を求めるやり口が、最近の言葉で言う『若さが出た』という感じがした文章だと思いました。
↑(分かりにくい感想ですみません)
あと、話変わりますが、お墓参りや老人が出てくる記事が好きです(笑)
Commented by enzian at 2007-11-14 22:03
テルマキさん

はじめまして。
記事をお読みいただき、ありがとうございます。

>御縁と言う学生に、意味を求めるやり口が、
最近の言葉で言う『若さが出た』という感じがした文章だと思いました。

そうですね。(^^ヾ

>あと、話変わりますが、お墓参りや老人が出てくる記事が好きです(笑)

じつはぼくも、自分の記事のなかでそういう記事が好きなんです。^^
Commented by mintogreen at 2007-11-16 01:09
enzianさん、こんばんは。
学生さん、enzianさんの問いかけに、いろんな事を学ぶきっかけになったと思いますよ。
きっと、自分の経験と、自分の言葉で語れる日が来ると思います。

人間、年をとるととるほど何でも分かって来ると思っていましたが、分からない事が増えてくるものですね。
まいっちゃいます。^^

でも、こうして言葉を投げかけた時、帰って来ることがあるという事がとても嬉しいことですね。
ありがたや。ありがたや。

お茶でも飲みながら、日向ぼっこが嬉しい季節になりましたね。^^
Commented by enzian at 2007-11-18 09:11
mintogreenさん

おはようございます。

この件は、いろんなことを学び、考えるきっかけとなりました。
それで、学んだかどうかはその後の行動でわかるわけですが、
最近、また、ちょっと似たような失敗をしたのです。
そういう思いもあって、この件を思い出したのかもしれません。

コメントのおかげで、
新しい記事が書けそうです。^^

Commented at 2007-11-23 16:23
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-24 08:21
鍵コメ3さん

お疲れ気味ですか。
ぼくは風邪ぎみ。(^^ヾ
よい天気の土日になりそうですが、出られそうにありません。
おさしん、おほめにあずかり、照れ照れにて候。
ほめられると調子に乗るもん。(^0^)/
このごろ、縦の写真ってどうやって撮るのかなぁなどと考えています。
Commented at 2007-11-25 00:20
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-25 00:20
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-25 00:21
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-25 12:48
鍵コメ4、5、6さん

風邪っぴきのじいにございます。
ゲホゲホ。

さて。

なにかわかったことがあったのですね。
点が線となって、物語となりますことを。
過去が現在となって、未来への力となりますことを。

鍵コメさんはぼくからの影響をおっしゃいますけど、
ぼくも鍵コメさんの文章から影響を受けていると思いますよ。
影響を受けたくない文章なら、きっと読まないはずですから。^^
読むとは影響を受けたいということであり、
読まないとは影響を受けたくない、ということだと思います。

あの本をお読みになったのですね。
編集がなされて、
原著とは趣旨の異なった部分も付加されたように思いますが、
オリジナルな部分がそのままに再録されていますので、
とてもよかったと思っています。

あそこに書かれていることは
どんな「道」にも通じることだと思います。

!!の記事、楽しみにしております、
とプレッシャーをかける。^^
Commented by enzian at 2007-11-25 14:14
鍵コメ4、5、6さん、追記

(※!!) 拝読しました。^^
「沢庵」「めざし」の全体を読めて、よかったですね。

あの本はいま私の自宅にはなく、
学校に置いてありますので、正確にはわかりませんが、
だいたいの流れを覚えています。

あの本を学生に読ませようとさせるとは、
きっとよい先生だったのでしょう。
(間接的に自分もよい先生だと言いたいらしい。^^)

先生の意図が実を結びましたね。
Commented at 2007-11-25 14:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-25 14:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-11-25 23:12
鍵コメ7、8さん

(`_´)ゞ了解!
そっか~カンチガイしたのだ。
あわてさせてしまって、申し訳なく候。
風呂敷なんだろ~な~と思ってたんですよ。^^
Commented at 2007-12-03 22:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-12-08 21:04
鍵コメ9さん

返信が遅くなってすいません。
ありがとうございます。

力作のようですね。
少し時間ができたら、
ゆっくり拝見にまいります。

ぼくも縁ってのは、よくわからないですね。^^;
Commented by 白石 at 2008-01-09 03:15 x
夜分に失礼します、以前ブログに書き込みをした者です。

”御縁”という言葉には以前から何か引っかかるものがあったので、コメントを書いています。

僕の経験ですと”これもなにかの縁ですから”とだいたい何がしかの営業をしてる方がよくいってますね(笑)
「こうして会ったのは何かの”縁”なんですよ、こんな良い話あなたとワタシが出会わなければ聞けないんですよ!!私たちだけが知ってるこの方法でガッポリ!!これもなにかの・・・」
そういうことじゃないでしょ!?と思うので、軽々しくその言葉を使う方には注意しています。

去年個人的に人生観が変わるようなイヤな出来事があったのですが、とても勉強になったので”アレも何かの縁だったのかもね~”と考えるときに使っています。

enzianさんがそれから考え出したように、その時ではなくあとからわかるような事(言葉)かもしれませんね。
Commented by enzian at 2008-01-09 23:56
白石さん

>こんな良い話あなたとワタシが出会わなければ聞けないんですよ!!

その方にとっては、「御縁」は、
自分の懐を肥やすために
都合のよい言葉なのでしょうね。^^

>enzianさんがそれから考え出したように、
その時ではなくあとからわかるような事(言葉)かもしれませんね。

かもしれませんね。

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