縁側

実家には日のよく当たる縁側があって、祖母がそこで針仕事をしていた。たいてい猫がいて、仰向けになってだらしなく伸びていた。祖母は、糸の先を少し舐めて、針穴に通す。細い針穴に通せないときはぼくに頼む。それをぼくは待っていた。

祖母は右手と左手を小刻みに交互に動かしながら、端切れの布と布とを器用に縫い合わせてゆく。差し込む光に、ささくれた布の繊維一本一本が照らし出されていた。暖かかった。祖母が片眼しか見えていないと聞いたのは、ずっとずっと後のことだった。

じっと見つめるぼくを気にするそぶりもなく、祖母は次々と、家族の布団やら服やらを作り上げていった。ぼくは祖母の針仕事を見るのが好きだった。そこでぼくは多くを学んだのだ、といつか言ってみたい。

by enzian | 2007-11-18 09:55 | ※山河追想 | Trackback | Comments(22)

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Commented at 2007-11-18 13:11
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 毒きのこ at 2007-11-18 14:26 x
大袈裟ではなくとも、日々の暮らしの中にある作業って、何もかも引き込むような瞬間があるような気がします。それは単調かもしれないし、何百回と繰り返されることかもしれないけど、省くことができない生きていく上で大切なことなのかも・・。そんな大人を間近で見て育った子は、うまく言葉に出来ないにしても、かけがえのないことを体で覚えているのかも知れませんね。(^^)毎日の暮らしが簡素化や、既製品ばかりであったりすることは、何かが抜け落ちた味気なさにもなるかもしれません。(ーー;)最近、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」などをおさめた、働く女の人の画集をみていて、ちょうどそんなことが共通しているかも・・と。
Commented by enzian at 2007-11-18 17:09
毒きのこさん

>大袈裟ではなくとも、日々の暮らしの中にある作業って、何もかも引き込むような瞬間があるような気がします。それは単調かもしれないし、何百回と繰り返されることかもしれないけど、省くことができない生きていく上で大切なことなのかも・・。そんな大人を間近で見て育った子は、うまく言葉に出来ないにしても、かけがえのないことを体で覚えているのかも知れませんね。

なるほど、と唸りました。
なぜそうなのか、を考えるのには時間がかかりそうですが、
確かに、そうかもしれないと思います。

>毎日の暮らしが簡素化や、既製品ばかりであったりすることは、何かが抜け落ちた味気なさにもなるかもしれません。

ふむふむ。

>フェルメールの「牛乳を注ぐ女」などをおさめた、働く女の人の画集をみていて、ちょうどそんなことが共通しているかも・・と。

かもしれん!かもしれん!
Commented by enzian at 2007-11-18 17:10
鍵コメさん

よい話ですね。
古本屋さんの感じもいいですが、
自分から楽しみを作り出すというおばあちゃんの姿勢に頭が下がります。

コタツやらミカンやらやかんの湯気‥‥
これは日本だけの由緒正しい団らんの光景ですね。
そこに、子どもたちの喜びをつくる創造者が鎮座ましましていた、
わけですね。^^
Commented by tama_ma_ma at 2007-11-18 22:48
年老いたらそんなおばあちゃんになりたいなといつも思っておりました。
背中丸めて眼鏡越しに優しい眼差しで孫を見つめ
あれこれ昔話を聞かせながら縫い物をする・・。

私自身は生まれたとき祖母はもう他界したあとで、そんな思い出はありません。
ですので余計に縁側、陽だまり、猫、おばあちゃんと針仕事
そういうものに強く惹かれるのでしょう・・。

人はいずれ皆同じ場所に帰ってゆくものだと聞きました。
いつか・・おばあさまにそう告げたらきっとお喜びになりますね・・。
素敵なお話をありがとうございました。
Commented by enzian at 2007-11-18 23:29
玉虫さん

>年老いたらそんなおばあちゃんになりたいなといつも思っておりました。

玉虫さんからすれば、
いずれ自分がそういうおばあちゃんになってみたい、
という思いがあったのですね。
ぼくはおばあちゃんにはなれませんが、
縁側から得たものは多いなぁと思っています。

>いつか・・おばあさまにそう告げたらきっとお喜びになりますね・・。

学んだことをちゃんと実践できれば、
そう告げます。^^
Commented by Ry at 2007-11-19 00:14 x
先生、こんばんわ。
針仕事って妙な良さがありますよね。見ている側としては。
するのもそこまで嫌いではないですけど。笑
なんか自分の中では当たり前だったけど、実際他の人もそう思うんだって思いました。
祖母が針仕事をしていた覚えはあまりありません。
どちらかというと祖父の方が。笑 だからおじいちゃん子なのでしょうか。
昔、私の実家は洋服店だったそうです。
私が幼い頃まで針仕事をしていたのは、祖父だった気がします。
足でこぐ、古いミシンを何の迷いもなく進める祖父の姿が好きでした。


私も縁側は好きでしたが、何せ古い家でしたので、歩くと必ず足の裏に
とげが刺さるデンジャーゾーンでした。あまり良くは覚えてないですが。。
今はもう、一面、カーペットで覆ってあって安心です。笑

朝から干された布団が縁側に3時や4時に取り込まれて、
安全地帯ができあがります。
母が次の布団を取り込みに庭に出た時を見計らって、
布団にダイブ。んーと伸びをしてお昼寝タイムの始まりです。
当時からねこだったんだにゃ~。
怒られてもすやすやだったんだにゃ~。
Commented by enzian at 2007-11-19 23:15
Ryさん

こんばんは。

>針仕事って妙な良さがありますよね。見ている側としては。

あるね。
どうしてだろうね。
ぼくも考えてる。

>私が幼い頃まで針仕事をしていたのは、祖父だった気がします。
足でこぐ、古いミシンを何の迷いもなく進める祖父の姿が好きでした。

すてきなおじいさんですね。
なかなかいないよ、そんな人。

>朝から干された布団が縁側に3時や4時に取り込まれて、
安全地帯ができあがります。
母が次の布団を取り込みに庭に出た時を見計らって、
布団にダイブ。んーと伸びをしてお昼寝タイムの始まりです。
当時からねこだったんだにゃ~。
怒られてもすやすやだったんだにゃ~。

この文章いいにゃ。
楽しさが伝わってくる。
もちろん、ぼくもふかふかの布団にダイブした口です。^^
Commented by 座敷童 at 2007-11-20 00:08 x
縁側の下は土壁が崩れていて、真っ暗。
でも日が出ると、体温を上げるために虫や蛇がにょろりと出てきます。
ある時、そんな濡れ縁に山盛りの柿が。
お供え物ですか?と思ったら、なんと
齢70の祖母が木にするすると登ってもいだとのこと。
濡れ縁から、屋根、柿の木へと飛びついて行くスパイダーばあちゃん。
垣根すらない田舎の家では、縁側は出入りの激しい玄関のよう。
Commented at 2007-11-21 20:31
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kaori--y at 2007-11-22 18:11
よしはらかおりです^^(いつもと違うID↑なので、一応)

私は小さいころから人をじーっと見ている子だった気がします。
母は昔は冬になると編み物をやっていて、私は一定のペースで編み棒が
糸を運んでいく様子をじーっと見ていました。
あと、ちょっとずれるかもしれませんが、2番目の兄は機械をいじるのが好きで、よくバイクの整備を自分でしていて、私はそれをじーっと見てたりしました。
あとあと~(笑)、1番上の兄がテレビゲームをやっているその画面をじーっと見てたり。
あとあとあと~(しつこい!笑)、父が水族館でアシカショーの司会をしていたのですが、仕事場に行った時(役を演じるためにメイクをするので)メイクの様子をじーっとみていたり。

うまく言葉にできないのですが、同じ空気が流れていたような気がします。

あ、今、岩手は雪降りです。
私が住んでいるところの今朝の最低気温は-4度でした~。
Commented by aroomwithaview at 2007-11-23 07:57
縁側と言ったら、じいちゃんの特等席でした。
外をぼーっと眺めながらニコニコとわたしたちの遊ぶのを見ている。
その姿は今でも鮮明に覚えています。
それから、ばあちゃんと母とわたしが揃ってお正月の準備をする場所。
大量の食材を半日がかりで切るんです。
それから、縁側の床拭きを、みんなで“ヨーイドン”でやりましたよ。
ちょっと立ち寄る近所の人達が座っておしゃべりする場所でもありました。

>細い針穴に通せないときはぼくに頼む。それをぼくは待っていた

あ~わかります。同じ気持ち。嬉しかったな~頼まれるのが。
上手に浴衣やはんてんを縫うのに、糸が通せないそのギャップ。

縁側で何を学んだのかはわかりませんが・・・
縁側はあたたかい生活の場&大きめの玄関。
こちらには縁側はありませんが、ラナイといって、大きめのベランダが
家についています。そこが縁側に似た感じで、外と内の中間みたいな
使われ方をします。開放感があって好きです。
Commented by enzian at 2007-11-24 08:27
座敷童さま

>縁側の下は土壁が崩れていて、真っ暗。
でも日が出ると、体温を上げるために虫や蛇がにょろりと出てきます。

お~そういう景色には見覚えがある。
ぼくんとこも土壁が崩れておった。
昔は、家にオアダイショウとかが居着いていたりしたんだよね。
そういうのと、共存できていた。

>お供え物ですか?と思ったら、なんと
齢70の祖母が木にするすると登ってもいだとのこと。
濡れ縁から、屋根、柿の木へと飛びついて行くスパイダーばあちゃん。

庭に柿の木があったの?
70にして柿の木に登るとは‥‥かなりのつわものと見た。

>垣根すらない田舎の家では、縁側は出入りの激しい玄関のよう。

この文章での締めがいい感じだね。
Commented by enzian at 2007-11-24 08:57
鍵コメ2さん

その風景はいいです。

地域の子どもたちを財産(というか宝)として、
地域のみんなが守って、育てようとしていたのですね。
そして、その最前線にお年寄りがいたのでしょうね。
それがお年寄りの役割のひとつだったのでしょう。

>「我が殿~、我が姫~」

これははじめて聞きました。
すごい、すごい、ちょっと感動。

>幸せな子供時代

自分は人に大切にされているのだ、と思えたでしょうね。
そのような子ども時代をすごせれば、
きっと人間を信頼する、
ということも自然と覚えるのだと思います。

>確かなつながりの安心感

これはぼくのなかにあると思います。
そして、これが危機のときには必ず顔を出して、
すんでのところでぼくを守ってきたのだと思います。

ありがとうございます。^^;
Commented by enzian at 2007-11-24 09:54
かおりさん

ふむふむ。
子どもがものをじーっと見てるとき、
子どものなかではなにが起きているのでしょうね。
なにかすごく大切なことをこころに焼き付けている
のかもしれませんね。

>同じ空気が流れていたような気がします。

同じ空気が流れているというのは
どういうことなのかなぁと思いました。
それは、互いに自分の考えを言葉によって明確にしないでも、
互いの考えていることがわかっていて、
互いに理解できているような状態のことを言うのかなぁ
などと考えていました。

>あ、今、岩手は雪降りです。
私が住んでいるところの今朝の最低気温は-4度でした~。

ヒィー><
今年の冬は寒そうですね。。。
Commented by enzian at 2007-11-24 10:02
aroomwithaviewさん

>縁側と言ったら、じいちゃんの特等席でした。
外をぼーっと眺めながらニコニコとわたしたちの遊ぶのを見ている。
その姿は今でも鮮明に覚えています。

それに近い意味内容のことを書いておられる鍵コメさんがおられました。
見守られていたのですよね。

>それから、ばあちゃんと母とわたしが揃ってお正月の準備をする場所。
大量の食材を半日がかりで切るんです。

半日がかりとは大家族だったんですね。
aroomwithaviewさんのこの言葉で、
ぼくの郷里でも、縁側でお正月用のお餅を丸めていた
(関西なので丸餅です)ことを思いだしました。

>それから、縁側の床拭きを、みんなで“ヨーイドン”でやりましたよ。
ちょっと立ち寄る近所の人達が座っておしゃべりする場所でもありました。

そうでしたね。
思い起こせば、
近所の人と、玄関をくぐらないでもお話をできる、
とても便利なところだったですね。
Commented by enzian at 2007-11-24 10:21
aroomwithaviewさん、続き

>縁側はあたたかい生活の場&大きめの玄関。
こちらには縁側はありませんが、ラナイといって、大きめのベランダが
家についています。そこが縁側に似た感じで、外と内の中間みたいな
使われ方をします。開放感があって好きです。

ラナイはハワイの言葉なんですね。
「外と内の中間」!!うん、なるほど、ぴったりな言葉だ。
たしかに、縁側とはそういうところなのだと思います。
Commented at 2007-11-29 00:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-11-29 00:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2007-12-01 13:27
鍵コメ3、4さん

こんにちは。
風邪はすっかりよくなっています。
ありがとうございます。

情報もありがとうございます!
とても興味深い展示会なのです。
学生にも知らせてやろうと思います。
Commented by 通行人 at 2007-12-30 22:53 x
>そこでぼくは多くを学んだのだ、といつか言ってみたい。

今仰っているのでしょうか?それとも何時か記事にしてくださるのでしょうか?記事にしてくださるのを、お待ちしています。(*^_^*)
先日は、唐突に失礼いたしました。(++) 来年も記事を読ませて頂きます。あまり待たせないでくださいね、ってウソです。enzianさんのペースで、末長く続けてください。何時も楽しみにしています。
では、良いお年をお迎えください。‘08は時々コメント入れるかも知れませんが、その時は宜しくお願いします。私は今晩から既に年越し蕎麦です (^_-)-☆。
Commented by enzian at 2007-12-30 23:48
通行人さん

>今仰っているのでしょうか?それとも何時か記事にしてくださるのでしょうか?

祖母は人に与えるだけ与えて、自分は望まなかった人です。
そういう人になれればいいと思っているのですが、
ちょっと無理そうなもので‥‥(^^ヾ
でも、がんばって記事にしますよ。(^0^)/

今年もお読みいただき、ありがとうございました。
来年も、コメント、お待ちしています。
通行人さんも、良いお年をお迎えください。

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