自己同一性

幼いころには暇さえあれば怪しげな宗教(というかオカルト)の本を読んでいたのだけど、そこには、必ずと言ってよいほど、自分たちの立場が少なくとも哲学のようなものではない、ということが縷々(るる)書かれていた。哲学のような、世間知らずの浅薄な屁理屈ではなく、自分たちが言うのは、もっともっと深いことなのだ、というわけである。



最初、ぼくはそういう “深さ” に共感していたのだけど、そのうち、実は、そういう著者たちが自分たちが否定していることの内容を少しも知らないことに気づきはじめた。彼らは判で押したように、現代社会の問題が、物と心を分けて考えたデカルトの二元論を源とする科学技術の進歩によって生じた‥‥などと書いているが、彼らの誰も、自然科学を知らないし、ましてやデカルトの著作など読んではいないのだ。なかにはデカルトとパスカルの区別がつかない者さえいる。デカルトにしたら、さぞや心外なことだろう。ぼくは自然にそういう “深い立場” と少しずつ距離を置くようになっていった。特殊な体験の「深さ」で勝負する人が、多くの場合、言葉の「強さ」で勝負する人でもあることに気づいたのは、ずっと後のことだった。

その後、ぼくはデカルトをかじることになったけど、自然科学についてはなんの知識ももち合わせていない。そんなわけで、知りもしない科学技術云々‥‥を自分の自己同一性(自分が自分であること、自分が他のものではないこと)のために使うような浅薄な、というか傲慢なまねだけはしない、と固く心に誓ってきたのだ。だが、それなりに理由があったにしても、自然科学云々‥‥をとある書類に書いてしまった。ぼくは自分で自分に傷をつけた。

by enzian | 2008-03-08 23:15 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

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