聖域としてのラーメン

b0037269_22493970.jpgラーメンがあまり好きではない。以前はそれなりに食べていたのだが、いつごろからかラーメンがブームになって “国民的な食” と言われはじめ、街のそこここにラーメン店ができ、しばしばそこに長蛇の列を見るようになってきてからは、めっきり食べなくなってしまった。

同じような理由で、ぼくは高校野球や高校球児が好きではない。ややこしいことを言うようだが、高校野球も高校球児も嫌いなわけではないのに、高校野球も高校球児も好きではないのだ。同じように、ぼくは赤ちゃんが好きではない。赤ちゃんが嫌いなわけではないのに、赤ちゃんが好きではないのだ。

それはこういうことだ。例えば、ぼくが、試合に負けて泣いている高校生を見て「あの光景のどこが美しいのですか?」とか、赤ちゃんを見て「どこがかわいいのですか?」と真顔で聞いたとする。すると、聞いた人の何割かは答え(どの部分が美しいとか、どの部分がかわいいとか)を考える前にぼくに恐怖し、警戒することだろう。ぼくは美しくないとも、かわいくないとも言ってないのに。このとき、高校野球や赤ちゃんは、それにかかわる者に議論の余地を与えない聖域となっている。問うべくもないものとして、答えはあらかじめ決定しているのだ。ぼくは、こういう批判を許さぬ聖域となったとき、とたんにある意味でそれが好きではなくなる。

墓参りに行ったとき、以前から気になっていた小さな食堂に入ってみた。昔ながらの黒い札のメニューが壁に掛かっている。「中華そば」を頼んでみた。出てきた素朴なラーメンは、やっぱりとても美味しかった。

by enzian | 2008-04-17 23:12 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : http://enzian.exblog.jp/tb/8416256
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 『釣れなくてもよかったのに日記... サンドイッチ >>