敢然さ

日本の災害救助隊が被災地に到着したという。阪神大震災以降、安全は証明できないと思う自分、なにごとも他人ごととは思えない自分がいる。

流れてくる映像の多くは見事な救出劇だが、瓦礫(がれき)の下で亡くなる被災者はその何百倍、何千倍なのだろう。だとしたら、レスキュー隊員は、1人の救出までにおびただしい数の手遅れと手の施しようのなさを、つまり自らの能力の無効さをくり返し体験しなければならない。レスキュー活動がぼくの胸を打つのは、救出のドラマティックさや、そうした救出に至るまでに積み重ねられてきたであろう努力の痕跡であることは言うまでもないとして、こうした無数の無効さにも屈しようとしない敢然(かんぜん)さなのである。常日頃、小学校や中学校で、いや家庭でなぜもっと早く気づいて手を打ってきてくれなかったのだ、もう遅すぎるではないか、と愚痴をこぼしているどこぞのおやじとはえらい違いなのである。

たとえその多くが無効だとしても、災害救助は、そんな感傷に浸っていられるほど悠長(ゆうちょう)な任務ではないということもあるのだろう。そういう意味で、長期にわたる活動であれば、側面からの支援を行う心理家の同行が必要なのかもしれない。

by enzian | 2008-05-16 23:33 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : http://enzian.exblog.jp/tb/8606687
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 精巧なリズム 虫嫌いな方、ごめんなさい。 >>