待っている文章

b0037269_14242138.jpg待てない。待てないのである。何事も鷹揚(おうよう)に構えておればよいものを、それができない。やるべきこと一覧表のチェックリストに “レ点” を打つのがこの上ない喜びだったりするぐらいだから、よほどのせっかちなのだ。

せっかちだと言うのは、じつは大切なことを隠しているのかもしれない、と思う。せっかちの理由はわかっている。器が小さいのだ。「そんな些細なこと、いいよ」とは言えずに、細かなことの因果関係を、おもちゃにじゃれる子犬のように飽きることなく追っかけ続けようとする物心ついたころからの性(さが)は、いまさらもう、どうしようもない。

待つことにたくさんのよいことがあるのは知っている。なかでも、待つことによって時間を与え、時間を与えることによって相手が考え、何かをする可能性となることが大切だと思う。この意味で、先に述べた器とは、自分の可能性ではなく、“相手の可能性を容れる器” の意味なのだ。ややこしい言い方をすれば、そうした器自体が自分の可能性になる。

以前、「書くということ」という文章で、「書くことによってぼくは自分の思いを明らかにし、書かれた文字は、ぼくがその思いと折り合いをつけるまでの時間を与えてくれる」と書いた。今日はちょっと思い上がった気持ちで、こうも希(ねが)ってみたい。自分だけでなく、たくさんの人をいつまでもいつまでも待っているような文章を書いてみたい、と。

by enzian | 2008-06-08 14:15 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

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