返答

あなたが寄せてくれたメールについて、
私の考え方を書きたいと思います。

>私は、自分の存在価値とは何か?
なぜ苦しくても生きていかなければいけないのか?を勉強したいのです。

私はブログを書いていますが、
以前、以下のような記事を書いたことがありますので、
できれば、コメントなども含めて読んでみてください。
http://enzian.exblog.jp/2685153

上の記事は少し以前のものですが、
「なぜ苦しくても生きていかなければいけないのか?」と問われれば、今は、
「苦しくてもぜったい死んではいけない、とまでは言えない。
しかし、できれは生きていて欲しい」と答えるでしょう。

「では、なぜ生きていて欲しいと願うのか?」と問われれば、
「あなたの姿形や考え方は私に似ているから」と答えるでしょう。

「では、なぜ私に似ていれば生きていて欲しいのか?」と問われれば、
「私が生きていたいから」と答えるでしょう。

「なぜあなたは生きていたいのか?」と問われれば、
「私は私が大切であることを知っていて、
私を大切に思っている人がいることを知っているから」と答えるでしょう。

「しかし、自分はあなた(enzian)のように生きていたいとは思わない。
私は自分が大切だとは思わないし、
生きていかねばならない理由がわからない」と言われれば、
最初の答えに戻るか、沈黙せざるをえないでしょう。

と、私の答えは現時点でも答えになっていないのですが、
ここで、二つのことが言えると思います。

まず一つは、美しい答えを出すことが哲学ではなくて、
自前の問いについて考え続けることが哲学であるということ。
そういう意味では、すでにあなたは立派に哲学をしています。

もう一つは、自分や他人を大切に思うことは、
人との関係のなかからしか生まれてこない、ということです。
自分の言葉に耳を傾けてくれる人がいるというのは、
そうした関係の一つなのです。

by enzian | 2008-07-06 18:53 | ※その他 | Trackback | Comments(17)

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Commented at 2008-07-07 10:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Ry at 2008-07-07 19:10 x
お久しぶりです。
悩める若者さんからの質問ですか??
先生は子供心を持っているのに最終的には難しいとこにいきますねぇ。。
大人ったら難しいわ。

私なら、周りの為に生きる。
苦しいと思いながら生きることが私の存在している意味。
とか自虐発言をしてしまいますが。笑

あ、でもなんか哲学っぽく考えると駄目かもしれないですね。
だって他人の存在なんて確認できないですもんね。。

自分も他人もよくわからないけど一緒に生きて何かが起きることが
なんか不思議だし楽しいこともあるってとこでしょうか…。
苦しいことがないと楽しいこともどれが楽しいかなんてわからないし。
多分、苦しさは同じだけの幸せを知っていることかな、と最近は思います。
自分は親になったことがないので、身内のために生きるっていう
スタンスは好きではないし同じ立場の人にはあまり説得力がないかもって
思ったりしますけどどうなんでしょう。

先生は律儀だからコメントすぐ返せないと苦しいんですよ。
たくさんの人とコメントで会話をしてた楽しい時期があるから悩んでるんです。
あと、真剣だから。
Commented at 2008-07-07 21:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-07-07 21:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by banri at 2008-07-08 00:42 x
こんばんは。
私ってば以前の記事に大胆なコメント書いてたんですねぇ。
(/ω\)ハズカシーィ

今はと言えば8番目の答えはランキング外になりました。
詳細はまた後ほど。

Commented by gauche3 at 2008-07-08 00:59
enzianさん。こんばんは^^
最近、生きる意味や死なない訳を、若い頃より深く考えなくなりました。
ただ、「もう死んじゃってもいいかなぁ」、と思っていた頃は、
己を全うするためだけに生きていたような気がします。

> 「苦しくてもぜったい死んではいけない、とまでは言えない。
> しかし、できれは生きていて欲しい」と答えるでしょう。
僕もそう思います。「ぜったい」とは言えない・・
祖父や母が自ら生命を絶った瞬間の苦しさは、おそらく僕の想像を、
遥かに超える苦しさで、それほど苦しいのであれば、
「それでも死ぬなよ」とは言えなかっただろうなぁ、と思います。
でも、「できれば生きていて欲しかった」、そうも思います。

誰かが、「できれば生きていて欲しい」と思ってくれるのを感じるとき、
生き続けることで、その他者の思いも全うしているような気がします。
自分にとって生き続ける理由は、そんなところに在るのかなぁ・・・
Commented at 2008-07-09 20:47
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2008-07-13 11:33
鍵コメさま

お返事が遅くなりました。

自分が住んでいるのが田舎であるかどうかは、
地域に住んでいる方の結びつきが強いかどうかによって
決められるのかもしれません。

家と家の結びつきが強ければ、
おのずとリアルな死に出合うことも多くなるのでしょう。

自分の祖母や祖父のような人たちの死を次々越えてゆく
ような生活を送って育った子ども、
自宅にさえも祖母も祖父もおらず、リアルな死に
向き合ったことのない子ども、
両者にちがいがあるとすればなんなのか、
知ってみたいと思います。

>辛いという観念が違ってきます。

この部分がとても興味深いです。
Commented by enzian at 2008-07-13 12:28
鍵コメさん

生まれたことも受動であれば、
死も、とつぜん、逆らいがたく、どこかからやってきます。
そういう意味ではじめとと終わりは選びとれないとは言えるのですが、
中間はおおむね選び放題ですものね。
選びます。^^

Commented by enzian at 2008-07-13 12:39
Ryさん

返事が遅くなりました。
お元気ですか?

>先生は子供心を持っているのに最終的には難しいとこにいきますねぇ。。

子ども心を持つことと、こういう問いを抱くことは別のことはでありません。
むしろ、とても近い性質のことなのかもしれませんよ。

>自分も他人もよくわからないけど一緒に生きて何かが起きることが
なんか不思議だし楽しいこともあるってとこでしょうか…。
苦しいことがないと楽しいこともどれが楽しいかなんてわからないし。
多分、苦しさは同じだけの幸せを知っていることかな、と最近は思います。

それがRyさんの考えなのですね。

>先生は律儀だからコメントすぐ返せないと苦しいんですよ。

律儀か、、、たしかにそうですね。
実際その通りでありたいと願っています。
Commented by enzian at 2008-07-13 12:41
Ryさん、続き

>たくさんの人とコメントで会話をしてた楽しい時期があるから悩んでるんです。

昔、コメントをいただいていた方と、
いまコメントをいただく方はちょっとタイプの違う方が多いかもしれませんね。
以前は、ものすごいレスポンスの速さでたくさんのコメントを書いて
くれる人が多かったですし、いまはじっくり考えて書いてくださる
方が多いと思います。

それは、ぼくの記事の性質が変わってきたことにもよるのかもしれません。

>あと、真剣だから。

いつでも真剣に決まってんじゃん!
(それがウソだって?)
Commented by enzian at 2008-07-13 13:00
鍵コメ2、3さま

むずかしいでしょ。
しかも、比較を絶して切実。
なおいえば、ぼくの仕事場の周りでは
ごろごろ転がっている問いなのです。

ぼくも、鍵コメさんの言うとおりだと思いますよ。
その二つの職種(?)で、価値があるとかないとかいうことは言えないのです。

また価値があるから生きていてよくて、
価値がなかったら生きていてはいけないというものでもないと思います。

「これまでは失敗ばっかりだったし、
これからも失敗するかもしれない、
でも、まぁいいや、ぼくはぼくなりにこれからもしっかりやっていこう」、
そういう納得ができたとき、
「存在価値」というのが自覚できるのかもしれませんね。

>そもそも価値ってなんなのかな・・?

人生に意味があるのか?と問われる場合、
それは自分の人生に価値があるのか?の意味でもあるのですが、
その場合の「価値」とか「意味」 の意味がとてもやっかいなのです。
それに気づくのは、やはり鍵コメさんですね。◎
Commented by enzian at 2008-07-13 13:06
banriさん

こんちには。

>私ってば以前の記事に大胆なコメント書いてたんですねぇ。
(/ω\)ハズカシーィ

そうだってば。
(/ω\)キャー

>今はと言えば8番目の答えはランキング外になりました。
詳細はまた後ほど。

では、後ほど。
ねほりはほり聞かれてしまいますよ。
(/ω\)キャータスケテ
Commented by enzian at 2008-07-13 13:17
猿夫さん

こんにちは。
お返事が遅くなりました。

とても考えさせられるコメントをいただいたなぁと思います。
ありがとうございます。

うまく表現することができないのですが、
若いころは己をまっとうするためだけに生きていたという猿夫さんの言葉、
それと、次の言葉の対比。

>誰かが、「できれば生きていて欲しい」と思ってくれるのを感じるとき、
生き続けることで、その他者の思いも全うしているような気がします。
自分にとって生き続ける理由は、そんなところに在るのかなぁ・・・

この問いと長いあいだ取り組んで来た方しか言えない
言葉なのだろうなぁと思います。
願うということ、願われるということ、願われていることを感じるということは、
ぼくらが健康に生きていくために必要なことなのかもしれません。

そう思えば、七夕っていい風習ですよね。^^
Commented by enzian at 2008-07-13 13:25
鍵コメ4さま

いえいえ、
まったくそういうことはなく、
私こそ感銘を受けました。

こういう問いの最後のしめは、
やはり自分自身でやらないといけないなのだと思います。
独りにならないといけない。
ただし、独りになるには、独りになるのを
助けてくれる人への信頼が必要なのでしょうね。
Commented at 2008-07-24 03:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enzian at 2008-07-25 21:23
鍵コメ5さん

はじめまして。
苦しみも、生も、死は、私にとってもよくわからないことです。
だから、ここに書く余地があるのだと思います。
よろしくお願いします。

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