宵山

b0037269_23511573.jpg地下鉄の駅に降りると、浴衣の花が咲いている。肌触りのよさそうな浴衣は、蒸し暑い京都の夏にふさわしい。男の浴衣姿もちらほら。

学校では事務がcool biz をうたっていて、見るからに涼しげでよい。このクソ暑いのに毎日ネクタイをしているなんて、アホだっせ。

教員も浴衣姿で授業ができれば、さぞや涼しくてよいだろう。“教員浴衣デー” とか作ってくれないかな。強制でもされんことには、こっぱずかしくて着られんのだ。

by enzian | 2008-07-16 23:52 | ※街を歩く | Trackback | Comments(9)

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Commented at 2008-07-20 12:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-07-20 13:00
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-07-20 13:04
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by どんぐりコロコロ at 2008-07-20 13:09 x
お茶屋さんの軒先に簾が下がれば祇園祭を連想します。
簾の向こう側は未知の世界・・・。
一見さんお断りの商いをする
お茶屋さんのすだれの向こう側も
最近は観光コースとなってしまったようですが・・・。

星空を見るとやさしくなれる・・・・理由
そうだなって思いもします。
理由なのですよねぇ・・。
正しい、正しくはない、のみならず
ひかれる理由が人・ひとりぶんづつに
あるんだろうなぁ・・って・・。
川上弘美の小説に「星の光は昔の光」という
タイトルの短編があります。
小さい・せつない・さびしい・あたたかい
むかし・ふるい・終わったこと・・・なつかしい
そういう言葉が散りばめられています。
「それがすきな理由」には
折りたたまれた襞があるのでしょう。
ゆえに星ぞらのもとでふと・・・・佇んでしまうのかと・・。

断末魔の声~はものすごく惹かれる記事です。
でもいまのところ、言葉が並びません。
このカテゴリの綴りが好きです。
Commented by enzian at 2008-07-20 21:07
どんぐりコロコロさん

>簾の向こう側は未知の世界・・・。
一見さんお断りの商いをする
お茶屋さんのすだれの向こう側も
最近は観光コースとなってしまったようですが・・・。

ぼくは長く、一見さんお断りという京都の人のやり方が
あまり好きではなかったのですが、
コロコロさんに言われてみれば、
すべてが観光コースになってしまっていくことも、
同時にまたなにか寂しいような気がしてきました。
なにか未知のものをどこかに残しておいて欲しいですね。

>正しい、正しくはない、のみならず
ひかれる理由が人・ひとりぶんづつに
あるんだろうなぁ・・って・・。

あるでしょうね。
星であればあるのだと思います。
Commented by enzian at 2008-07-20 21:13
コロコロさん、続き

>小さい・せつない・さびしい・あたたかい
むかし・ふるい・終わったこと・・・なつかしい
そういう言葉が散りばめられています。
「それがすきな理由」には
折りたたまれた襞があるのでしょう。
ゆえに星ぞらのもとでふと・・・・佇んでしまうのかと・・。

うん、そうですね。
そんな風に思います。
そういう重層した襞が、
さまざまな、無限の解釈を受け入れるのだと思います。
“空の名著” ですね。^^

>断末魔の声~はものすごく惹かれる記事です。
でもいまのところ、言葉が並びません。

どなたも興味をもたれなかったのかなぁと思っていたのです。
こんな記事も書いてよいのですね。

>このカテゴリの綴りが好きです。

ありがとうございます。^^
Commented by enzian at 2008-07-20 21:38
鍵コメ1、2、3さん

いつもうれしいコメントをありがとうです。

おかめいんこでしたか。
とてもかわいらしかったですよ。

あの記事を覚えてくださったのですね。
あの記事は、記事よりも、
いただいたコメントが力作ぞろいだったと思います。

むずかしい、心の奥深くに差し込んでくるコメントをいただいたので、
じっと考え込んだことを覚えています。
あのとき書いたこと、それは今も自分のなかで
変わらない考え方として残っています。

少女と父親の話は、
潮文社の『心に残るとっておきの話』の(手もとにないので、
第何集かは忘れました)から借りてきたものです。
このシリーズはとてもよい話、切ない話がたくさん載っていて、
心がすさんだときにひもとく、ぼくのバイブルの一つになっています。^^

年老いた人のその言葉を目の前にしては、
きっと、なにも言えないような気がします。

自分のエゴイスティックな心にだけ寄り添って、
自分の納得だけ優先できれば話は早いのですが、
相手の思いにも寄り添ってしまうでしょうから。。。
Commented by enzian at 2008-07-20 22:07
鍵コメ1、2、3さん、続き

子どもの傾向、そうでしたか。

以前であれば、家庭や学校や地域が全体として
子どもたちを包み込んでいたのでしょうね。
そういう多側面的な人間どうしのかかわりがあったことが、
子どもがなにかを抱えることも容易にしていたのかもしれません。

誰も彼も忙しくなってきていて、
人のことに時間を割くこともできなくなってきています。
それは教師もそうなのだと思います。
現場についた元学生たちの話を聞けば、
みな、不条理な人間関係の対応に追われ続けて、
自分の身を守ることだけに汲々として、
生徒に時間を割けない、という本末転倒になっているといいます。

「返答」のような問いは、
少なからぬ多くの人が一度や二度は考えたことのある問い
であるように思います。

ただ、なかには、物心ついたときからそのような問いに取り憑かれた
ようになっている人もいますし、
特定の事件からそのようなことを問わずにはいれなくなった人もいます。
Commented by enzian at 2008-07-20 22:21
鍵コメ1、2、3さん、さらに続き

それぞれ主体的に生きていくために必要な問いなのだと思いますが、
その主体性へと追い込まれる契機はさまざまなのでしょうね‥‥
しゃべりすぎました。この辺りは鍵コメさんの守備範囲ということで。^^

>それだけ問う‥‥

答えない、
答えることができずにいる、
というかたちでの応答を擁護してくださったのですね。
ありがとうございます。
答えられずにいるという場をもつことも、
responsibilitiyなのだと思って
ほどほどに分をわきまえつつ精進します。^^

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