ブログの趣旨を無視した戯言

忘れ去られてしまうというのはとても耐えられないことだ。私たちは自分が他者のなかにいくばくかの位置を占めていて、その部分が他者の判断や行動に影響を及ぼすことを願っている。だから、私たちはいつまでも変わらずに私を覚えていてくれる永遠の存在を求めるのであろう。石が私たちの考えるもっとも持続的なものであるとすれば、そこに自分の名前を刻もうとすることは、私たちが永遠の存在を求めることのアナロゴンである。

だが一方で、私たちは自分自身が永遠であることに耐えることができない。人魚を食べて不老不死になった男の昔話がそれを教えてくれる。自分の心づもりひとつでいつでも無になりうるという前提において、かえって私たちの心は安定することができる。ただし、いつでも無になれるということと、実際に無になるということとは、まったく別のことだ。

by enzian | 2008-07-21 21:35 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

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Commented by 毒きのこ at 2008-09-20 23:27 x
好きだなぁ~♪この記事☆


>私たちは自分自身が永遠であることに耐えることができない。
>ただし、いつでも無になれるということと、実際に無になるということとは、まったく別のことだ。

永遠不変は疲れそう。
停止力・持続力っていうのも並の忍耐じゃなさそうだし。
地味に消えたり点いたり・・変わるのも自然でいいなぁ。

私はわりとそんな衝動が強いほうなのかも、というかそんな流れに泳ぎたくなります。思い出の品とか、出来事とか、執着とか、ある日とたんに、手放してしまいます。最近は、昔やちょっと前のことでも、忘れてる自分が心地良い半面、大丈夫かぁ!?(^^ゞ という気も・・
Commented by enzian at 2008-09-21 14:15
毒きのこさん

隠していた記事なのですが、
見つかった!^^

>永遠不変は疲れそう。
停止力・持続力っていうのも並の忍耐じゃなさそうだし。
地味に消えたり点いたり・・変わるのも自然でいいなぁ。

疲れるでしょうね。
消えてしまうのは寂しいのですが、
永遠不変の刑に処せられるぐらいなら、
やはりいつか消える方がましな気がします。

>私はわりとそんな衝動が強いほうなのかも、というかそんな流れに泳ぎたくなります。思い出の品とか、出来事とか、執着とか、ある日とたんに、手放してしまいます。


ブログには、
そういう欲求を受け入れてくれるところがありますね。
いずれ、そういう記事を書きますよ。^^

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