2006年 03月 25日 ( 1 )

痛いにもほどがある

二三日、熱で頭がガンガンしてました。痛いのなんかヤなこった、なのですが、生きていると、イヤだと言っても、頭痛に限らず次から次へとあちこち痛みます。紙で手を切ったときの痛みなんか、思い出しただけでぞっとします。切った後は、なんでこんなヘラヘラしたものに傷つけられないかんのだ?と “犯人” の紙を恨めしく見つめます。

これまでで最悪だったのは結石の発作の痛みでした。腎臓結石とか尿管結石というものです(石がトラブルを起こす身体の部位によって名称がつく)。ぼくの母方は結石の家系で、どうしてもこうしても結石ができてしまうのです。経験のある方ならご存知だと思いますが、この痛み(石が体内を移動するときに起こる)は強烈です。お腹を木槌でどーんどーんと叩かれているような感じです。ひどいときにはこの痛みが半日続き、ほとんど失神寸前になりました。

それでも、結石の痛みなどは高が知れているかもしれません。大動脈瘤破裂を起こしたある人は、悲鳴を上げながら、「結石どころではない」と叫びました。出産の痛みを「腹痛の10倍の痛み」と表現した人がありましたが、もしそうなら、恐るべき痛さです。ほかの痛みにいたっては、想像することさえイヤです。

危険を知らせ生きながらえさせるために、神さまは生き物に痛みという機能を埋め込んだのでしょうが、そこにはミスがあったと思います。結石の痛みはあれほどまでに過酷でなくても、危険を知らせることができたからです。神さまは痛みに調整バルブ(リミッター?)を付けておくのを忘れたのです。痛み自体が、人が自ら死を選択する理由になるとは、きっと神さまの考えにはなかったことなのでしょう。

by enzian | 2006-03-25 21:04 | ※その他 | Trackback | Comments(45)