カテゴリ:※通勤途中( 48 )

知らない人から叱られる

電車のなか。昔使った講義用の原稿を読んでいる。キリスト教のイエスをある観点から(宗教的でなく、合理的に=理詰めに)理解したものだった。読んでいるあいだ、となりの男性からずっと強い視線が向けられていることに気づいていたが、隠すわけでもなく読み続けていた。

駅に着いて、その人が腰を上げた。これでゆっくり読める‥‥ホッとしたその瞬間、その人は鼻息も荒く、言った。「私はそうは思わない!」。座ったぼくを見下ろすその人の眼には、憎しみがありありと浮かんでいた。「これはぼくの解釈ですから、他の人がどう考えようと、ご自由です」。その言葉を聞き終わらないうちに、その人は背を向けて去っていった。何だったのだろうか、あの人は。

by enzian | 2005-02-09 21:41 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(20)

べたつく視線

通勤電車。外国人の家族が乗り込んでくる。ベビーカーの赤ちゃんまでいる。こんな時期に旅行だろうか? 車両にいたほとんどの人は、乗り込んできた一行が日本人でないことに気づいている。みんな意識しているのだ。

家族の向かいに座っている二人連れのおばさんは、穴が開くほどジロジロ見つめている。物珍しそうに。となりの青年は、見てないふりをしながら、チラチラ視線をやっている。さりげなく。少し離れたところにいるぼくは、「外国人が珍しいのかよ」などと思いながら、頭のなかではターゲットとして照準を定めながらも、そちらに視線をやらないように気をつけている。

駅につき、家族が降りる。今がチャンスとばかりに、みなの視線はいっせいにその後姿にそそがれる。青年も見ている。ぼくも見る。みなの視線を背中に集めながら、家族は去ってゆく。

これから先、この家族はどこに行っても、こうした視線を投げかけられるのだろう。正面から、横から、後ろから。彼らにはいつも日本人の視線がベッタリはりついているのだ。旅行を楽しめるのだろうか?――そういうおせっかい、特別扱いが諸悪の根源なのだけど。

by enzian | 2005-02-07 20:44 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(8)

メガネへの憧れ

風邪の予防のためにマスクをする。息をするたびにメガネが曇って見えにくい。メガネをしていない人のなかには、「メガネって憧れるんです」なんてことを言う人がときどきいるが、いいことなんかあるものか。視界は狭いし、ずれるし、すぐ曇る。

メガネに憧れる心理というのは、ちょっと不健康な人、ちょっと危険な人に憧れる心理と似ているのかもしれない。自分にはこの手の考えはないと思っていたが、両眼が1.5だった健康優良児の頃、ちょっと目を細めて遠くの物を見ようとする近眼の人に憧れて、真似をしたことがあったのを思い出した。「近眼=勉強ができる」という心理も、あったのかもしれない。

by enzian | 2005-01-27 21:12 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(14)

人にやさしくするのも大変

朝の電車。試問する予定の卒論を読んでいる。杖をついたおばあさんが乗り込んでくる。よい子は迷わず立ち上がる。「ありがとうございます」。ていねいなおばあさんだ。「どういたしまして」。

座ったおばあさんは、自分(おばあさん)の膝に手提げかばん(卒論が入っている)を乗せるようにと、膝をポンポンたたいている。丁重にお断わりするが、強引にカバンを取り上げられ、隣の人との隙間に置かれてしまう。おばあさん、それは困ります。そういうことをすると、鈍なぼくは十中八九、置き忘れてしまうのです(記事参照)。しかも、そこには置き忘れるとしゃれにならないものが入っているのです。カバンは隣の人によりかかっている。すでに、あばあさんは熟睡。気が気でなく、それからは、カバンに全神経を集中。

いくつか後の駅。カバンによっかかられたかわいそうな人が降りる。意外とメリハリのあるおばあさんも目を覚まし、空いたシートをすかさずポンポンたたく。ともかくポンポンたたくのが好きな人らしい。周囲は派手なポンポンを遠巻きで見守る。誰も座ろうとしない。ひょっとすると‥‥そっとおばあさんの顔を見る。やっぱり、満面の笑みでこちらを見て、大きくうなずいている。「恩人以外の誰も座らせない!」という強力なオーラが出ている。どのみち、座らざるをえないのだ。エイッと座る。満足したように、おばあさん、ふたたび眠りの世界へ。おばあさんと並んでこちらも眠り込む。熟睡。

たぶん、次の次ぐらいの駅。おばあさんにやっぱりポンポンと膝(ぼくの)をたたかれて、飛び起きる。「本当にありがとうございました。おかげで助かりました」。それだけを告げて、おばあさんは降りる。

感想。人にやさしくするときは、それなりのアフターケアも覚悟しなければならない。やっぱり今日も含蓄がある。

by enzian | 2005-01-26 20:29 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(8)

電車が眠い理由

夕べは寝床に入ってもしばらく寝つけなかった。緑茶もコーヒーも飲んだ覚えはないし、はて何をしたのだろうかとあれこれ考えて、電車で熟睡したことを思い出した。電車(車もかな)ってのは、なぜあんなにぐっすり眠れるのだろうか。いつものように考え散らかして、放置しておこう。

1.通勤とか通学のときは、朝早くて睡眠時間が足りないから。ぼくのように、一時間半もかけて学校へ通っているような人は、どうしても、一時間目の授業に行くときなんかは寝不足になる。

2.適度に揺れるから。赤ちゃんも、揺りかごでスヤスヤ寝てるしね。お母さんのお腹のなかというのは、ウォーターベッドみたいなものなのか。

3.(窓の外の)景色が流れるから。映画を見て眠くなるのは、これと同じか?

4.電車ってのは眠るところだ、と習慣づけられているから。習慣というのは、怖いものです。

5.他にやることがないから。長い移動時間を長く感じたくなければ、寝るしかないしね。

6.その他

さて、どれが正しいのでしょうね?

by enzian | 2005-01-25 21:19 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(2)

クリスマスカップルの考察

クリスマス。イブでなくても、やっぱり街はカップルだらけだ。あまりにヒマなので、禁を破って、上から下までじろじろ見る。気づいた点。

1.ふだん目にするカップルより、密着している。なぜ?

2.ふだん目にするカップルより、おしゃれをしている。当たり前か?

3.ファッションセンスが似通っている。ニットの帽子をかぶった彼氏には、ニットの帽子をかぶった彼女。衿に毛皮がついた彼氏には、衿に毛皮がついた彼女。あらぬところにピアスがついた彼氏には、あらぬところにピアスがついた彼女。「ハ~イ、これからシャッフルしますから、正しいカップルを当ててください」と言われても、当てられそうだ。

似ている二人だからカップルになったのか、カップルになったから似通ったのか。それは、永遠の謎。

by enzian | 2004-12-25 22:25 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(4)

電車でパソコンはカッコイイのか?

やけにおおげさにキーボードを打つ若いサラリーマン。周囲の視線ばかり気にしている。高く組まれた足が何やら自己主帳をしている様子。電車でパソコンを打つことが誇らしいのかな? 会社では、むやみにエクセルでグラフを作ったり、パワーポイントを使いたがるタイプか。

心やさしい哲学者は「その複雑な文明の利器を、あまつさえコンセントのない電車のなかで使いこなすあなたは、一体、何物なのです?ウルウル」という目でチラチラ見てあげる。一瞬、視線が合って、サラリーマンはさも気づかなかったふりをする。ああ、今日もよいことをした、と日記には書いておこう。

by enzian | 2004-12-21 21:57 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(2)

クマのプーさんの恐怖

女子高生がヌイグルミだらけのカバンをもっている。クマのプーさんやらウサギのなんとかさんやらドラゴンクエストのスライムやら、その他、得体の知れぬ者たちが「これでもかっ」というくらいにひしめき合っている。“1平方メートル辺りのヌイグルミ密度選手権大会” なるものがあるなら、このカバンは世界大会でもシードされるだろう。

教育現場の荒廃が叫ばれて久しい。小学生じゃあるまいし、高校生にもなってヌイグルミなどという偶像崇拝にうつつをぬかすとは、なんたるテイタラクか。だいたい、「プーさん」もへったくれもあったものか。山でクマを見つけて「わぁ~本物のプーさんだ!」なんて近づこうものなら、「ガオー、ガブ」で一巻の終わりである。クマがどれほど危険な猛獣かを知らないから、そんなことが言えるのだ。

偶像崇拝など、所詮は現実世界の隠蔽でしかない。即刻、そのような実益なき行いは各教育現場が厳しく禁止すべきである。ただし、大学教員が喜んでウシのヌイグルミの写真をあちこち貼っつけることは、青少年の学習活動に裨益するところはなはだ大であり、大いに奨励すべきである。

by enzian | 2004-12-17 19:19 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(2)

座りたくない老人の憂鬱

ドアが開き、初老の男性が乗り込んでくる。座席には目もくれず、ドア際で窓の外を見ている。女性が立ち上がり、老人の肩を叩く。老人は一瞬困惑した表情を浮かべるが、好意に甘えて、席につく。次の駅で老人は降りる。――電車で座りたくない老人は一体どうしたらいいのかと考えるときがある。体を鍛えるためでも、人の情けにすがりたくないからでも、理由は何でもいい。ともかく立ったままでいたい。そのような場合、それなりの年齢に達した人は、電車のなかでどのように振舞えばよいのだろうか?

まず、優先席付近は避けなければならない。危険すぎる。下手に目でも合ったら最後、すかさず席を譲られてしまう。そこはそういう場所なのだ。しかも譲った人は思っているかもしれない。「ちっ、譲らないと、こっちが悪人になってしまうだろうが!」。普通席の近くはどうだろうか。ここでも席を譲られてしまう可能性は高い。譲った人はこう思うかもしれない。「座りたかったら優先席へ行けよな!」。連結器付近へ逃げ込もうとするのも得策ではない。連結器の手前には恐怖の優先席ゾーンが待ち構えているからだ。残るは、ドア際でひたすら窓の外を見るしか手がないが、これも絶対とは言えない。冒頭のような親切な人がいないとも限らないだ。しかもその場合、強力な親切心があだになって、むげに断ることはできない。

そこにさえいれば安心な空間は電車にはない。だとすれば、あとは自分の体に工夫をこらすしかない。乗り込んだとたんに倒れこむか。これなら座席には座らなくていいが、担架に載せられる恐れがある。ヘッドフォンステレオを大音量で聞きながらビートのリズムに乗って乗り込む。座らなくていいが、白い目で見られ続けること必至。「私を老人扱いしないでくださいシール」を見えやすいところに貼る。ちょっと恥ずかしいが、これしかないのかもしれない。気丈な老人にとっては、“やさしさ” (おせっかい?)に満ちた電車の中は不自由きわまりない世界なのかもしれない。

by enzian | 2004-12-15 20:56 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(5)

金属の環で心を縛る

隣に座った中年の女性。サイズが合わなくなったのか、薬指に指輪が食い込んでいる。見ていて痛々しい。大きなお世話か‥‥。金属の環で心を縛りたいとは思わない。

by enzian | 2004-12-13 23:35 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(2)