カテゴリ:※テレビ・新聞より( 70 )

変化球は卑怯なのか?

日本の野球を見ていると、不思議に感じるときがある。ピッチャー何某とバッター何某の名勝負とやらがあって、そういうときには、なぜかピッチャーがストレートだけで勝負するのだ。名勝負が終わって、試合後のインタビューなんかを聞くと、ピッチャー曰く「全部ストレートでした。打たれましたが、いい気分です」。バッター曰く「試合前から、ストレートとフルスイングで勝負しようって言ってたんです。その通り、全部ストレートで勝負してくれたので打てました」。そんな調子。

投げるボールが全部ストレートだとわかってたら、たいていバッターは打てるんじゃないの?だとしたら、オールスターゲームならまだしも、公式戦なら、これってかる~い談合じゃないのだろうか?どういうわけか、日本の “野球道” のなかには変化球というのが卑怯系のボールで、正統派はストレートで勝負すべし、なんて了解があるようで、なぜそうなるのか理解に苦しむ。アメリカのMLBでは、こんな正統派のボールを投げるピッチャーなんて、ほとんどいないだろう。

ともかく真正面から、まっすぐ進んで、ぶつかっていく。その一辺倒。そこには配慮もなければ、根回しもない。常日頃、裏と表を使い分ける習慣の裏返しなのかもしれないが、「いつも直球勝負!」をモットーとしているぼくでさえ、野球に限らず、どうもこの辺りの “直線的な精神” には少しばかり違和感を覚えてしまうのだ。

by enzian | 2005-08-09 21:32 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

60年という溝

昨日の新聞を読む。被爆者と原爆の開発に携わった科学者との対面を放送する番組があったらしい。被爆者の語りかけに対して、科学者は“謝罪”を拒んだという。戦後60年という時間を経ても埋まらない両者の溝に、もどかしい思いをする人は多いかもしれない。だが、たぶん事実は逆なのだ。

死者の代弁という責任があったからこそ生き続けることができた――被爆者にはそのような面もあったのだろう。一方、死者への罪責の気持ち――そのようなものをもたないで済んだからこそ、科学者は戦後60年を生き延びることができたのだ。生きるために(あるいは、安んじて死ぬために)認めさせようとする者と、生き続けるために認めることを拒絶する者、時の経過とともにその溝は深くなるのだろうか。

by enzian | 2005-08-06 13:04 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(2)

アメリカンジョークとしてのスペースシャトル

スペースシャトルの乗組員が船外活動をしてるとかしてないとかで大騒ぎになっている。なにをそんなに騒ぐことがあるのかと不思議に思うが、NHKまでもがこの話題にニュースの時間を割いている。船外活動をするための宇宙服、一着11億円也、たしかに、その金額だけはセンセーショナルではある。

しかしまぁ、こんなことをしてなんの意味があるのか、となんの意味もないことを生業としている者は考えてしまう。いずれ人間が(産業開発にともなう温暖化やらなんやらで地球では生きられなくなって)地球以外の宇宙空間で生きるときのことをキマジメに考えているアメリカ人がいるのだろうか‥‥。スペースシャトル自体がものすごい矛盾をあえてやるっていうアメリカンジョークなら、それはそれでおもしろいけどね。

by enzian | 2005-08-04 23:51 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

遺灰からダイヤ

b0037269_1658547.jpg遺灰(遺骨)から作った人造のダイヤが話題になっている。朝日新聞(6月25日夕刊、写真撮影、岩崎央)にも「故人への思い 永遠に」という題で記事が載っていた。コップ一杯程度の遺灰か遺骨でそこそこのものが作れるらしい。値段は40万円から、製造には5ヶ月かかる。作っているのはアメリカのメーカーだが、日本からも150件を超える注文があったという。

うわさには聞いていたけど、じっさいの写真は初めて見た。けっこうキレイなものだ。でも、ぼくなら注文しない。タダでも注文しない。でも、なぜしないのか?と聞かれれば、答えるのはむずかしい。理由はたくさんありそうだけど、まず致命的なことに、ぼくはダイヤモンドがキライなのだ。あんな、人に削ってもらわなければ光らないような手垢にまみれた石、興味がないのだ。まったくもって、“石” としての本分に悖る。それでいて、宝石の王さま気取りなのだ。

自分の大切な人が遺していったものをこねくりまわす産業なんぞに金儲けさせてたまるかっ!という気もある。器量の狭い人間なのだ、ぼくは。

by enzian | 2005-06-26 17:05 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(46)

なぜ、つばをはく

メジャーリーグ中継を見ていて、ハッとしました。松井がバッターボックスでグラウンドにつば(唾)をはいたのです。松井もつばをはくようになったのです。松井だから驚いたものの、日本人以外のメジャーリーガーたちはさかんにつばをはいています。グラウンドで、ベンチで、ところかまわず、ペッペぺっぺと。噛みタバコをやっているひとも多いのでしょうけど(タバコのことはよく知らない)、どうもそればかりではなさそうです。野球だけでなく、ペッペペッペはサッカーの試合でもよく見ますね(ときには “手ばな” までしている)。

日本男児たるもの神聖なるグラウンドに‥‥などと言うつもりはさらさらありませんが、グラウンドでなくても、つばをはくという習慣はないと思います。その昔、ぼくが若かりしころにも “不良” と呼ばれる一群のひとたちがいて、学校のそこここでつばをはいていたものですが、ヘンテコな行動に見えました。当時は、外国人のマネなのか、さもなければ、だらしなさで(モラルに屈しない)自己主張をしているのだろうと思ってました。いま考えてみれば、自分の体内で作り出した自分の分身のようなものを撒き散らして、自分の権勢を誇示しているのかなぁという気もします。犬のおしっこみたいなもんですね。もし、自分のなかにあるものに違和感を感じて、どうしても吐き出さざるをえないような強迫観念(どうしてもそれをしないといけない、しないと怖い、というような思い)に感じているのなら、それはそれで問題なのでしょう。

でも、つばをはくぐらいのことでどうしてそんなに目くじらを立てないといけないのかという気も、われながらします。たかが、わずかばかりの自家製水分を土や芝生に吸い込ませているだけなのにね。ふだんは人目につかないで自分のなかにあるものを他人の視線にさらすことが怖いのかしらん。

by enzian | 2005-06-24 21:07 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(30)

あなどりがたし、「さわやか3組」

小学校3・4年生向けの番組、「さわやか3組」を見た。次のような内容。

写生大会。先生の目の届く範囲にいるように、という約束を破った3人の男の子が叱られる。

同じ日。子どもだけで渡ることを禁止されている橋の近くでたくさんの荷物をかかえて座り込む老人がいた。息子の好物の魚をたくさん買いすぎたらしい。(叱られた3人の男の子を含む)6人の子どもたちは老人の荷物をもつことにした。3人の女の子は橋のたもとまで荷物を運んで、帰る。男の子の1人は橋の途中まで荷物を運んで、やはり帰る。残った男の子2人が橋を渡ったところにある老人の家まで荷物を運ぶ。老人の家からは息子が出てきて、小学生に荷物を運ばせるという “非常識” な老人を叱る。

男の子2人の(?)家では、(写生大会のことは知らない)親が心配して、橋の途中で引き返した男の子の家に連絡し、2人が老人といっしょに橋を渡ったことを知る。老人はいつも魚をたくさん買い込むことで有名な人だった。夕方、2人が帰った家。怒った父親は机をたたいて2人を叱りつける。2人は謝る、「ごめんなさい」。

次の日、渡ってはならなかった橋を見つめる男の子たち。「ぼくたちがやったことは、いいことだけど悪いことなんだ」。さわやかな笑顔で少年たちは走り出す――

番組を通じて、誰も、老人と子どもたちをほめようとする人はいなかった。国や社会全体が抱える問題を考えるとき、「悪いことだけどいいことなんだ」と言わせるような番組作りがむずかしいのはわかるけど、「ぼくたちがやったことは、いいことだけど悪いことなんだ」と言って「さわやか」に笑える子どもたちには違和感をもった。ふつう、一人ぐらいふくれっつらになるだろうし、それはそれでよいのだと思う。

by enzian | 2005-05-19 20:11 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(20)

「新日本紀行ふたたび」

NHKの番組「新日本紀行ふたたび」が放送されている。一時代を画した紀行ドキュメント「新日本紀行」のリメイク版と言えるだろうか。かつて「新日本紀行」で取材された地域が再び取上げられている。ぼくはこの「新日本紀行」のテーマ曲が大好きなのだ。作曲は冨田勲。冨田によれば、この曲のルーツは「君が代」らしい。そういえば、どことなく曲の感じが似ている。

ぼくにとって、この曲は郷愁そのものだという感じがする。音楽とともにその当時の思い出が否応なく浮かび上がってくるからだ。今はもうない物がたしかにその瞬間には存在し、今はもういない人がたしかにその瞬間には生きていたということ。そして、そのような瞬間には決して戻れないということ。

“むかし” や “そこ” に感じる良さが郷愁だと書いたことがある。少し訂正したい。戻れない “むかし” や “そこ” に感じる良さが郷愁である、と。

by enzian | 2005-05-05 16:39 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(22)

下品なインタビュー

電車事故があった。マスコミは遺族の玄関先までなだれ込み、インターホン越しにインタビューを試みる。「心痛お察し致します。ところで‥‥」。遺族の玄関先へ、悲しみに暮れる心の奥底へ‥‥“足を運ぶ取材” の意味を履きちがえているのではないか?

by enzian | 2005-04-27 22:30 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(23)

テレビ場面の小窓に映るタレントの一考察

テレビを観ている。やっぱり録画したもの。スタジオでロケVTRを観るだけのタレントたちは無視無視。早送り~ピュー♪沖縄の自然のロケだけがみたいのだ。ロケVTRの出来はいいのだけど、画面に “小窓” をつけてタレントの顔を映し出すのはやめてもらえないものか。なんとかシスターと沖縄の自然につながりはないだろう。

ぼくみたいにスタジオ場面を早送りする録画野郎がいるのを見込んで、ロケVTRにまで小窓をつけているのだろうか。タレントとのあいだに、“画面露出最低限度○分” とかいう契約が交わされているのかもしれない。あっ!ひょっとすると、ゴージャスな人工(造)美(?)と並べることで、自然美を際立たせようとしているのかもしれない。

by enzian | 2005-04-21 19:42 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(23)

ヒーローショー(【R】)

朝から新聞チラシを読む。どこぞの百貨店でヒーローショーがあるらしい。「魔法戦隊マジレンジャーショー」。写真も載っている。仮面をかぶった(5色の)5人チームの正義のヒーロー。昔、ゴレンジャーというのがあったけど、それが紆余曲折を経て進化したかたちなのだろう。グループ活動をする正義の味方‥‥あぁ大の苦手。でも、フーンと思った点、二点。

1.女性が2人含まれている。いわゆる紅一点パターンではない。なかなか新鮮。できれば次回作の○○レンジャーは、女性4人、男性1人の戦隊にしていただきたい。世の中の悪をほったらかしにして、4人が1人を取り合いしてる‥‥なんていう人間臭いものなら、なお、ポイントが高い。

2.女性の1人が “青” のキャラであること。“赤” キャラは男性が演じているらしく、戦隊の真ん中でエラソウにしている。青=男性色、赤=女性色というありがちなパターンでなくてよろしい。“ピンク” はもう1人の女性。おしい、詰めを欠いたか。次回作の “ピンク” キャラは、ぜひとも “青一点” の男性が演じて欲しい。

by enzian | 2005-04-15 20:48 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(28)