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「相性がいい」の謎

魚と大根を煮たものを食べる。魚から出たダシが大根にしみ込んでおいしい。こういうのを「相性がいい」と言うのだろうと思う。

相性がいいというのは、今ひとつわからない言葉でもある。グルメとか食通と言われる人たちは、「ウニとホタテは海のもの同士だから相性がいいんですよね」なんてことを真顔で言っている。出身地が同じであれば相性がいいらしい。だったら、鴨とネギは永遠に結ばれないだろう(ネギ畑に住んでいた鴨を除外する)。マグロとネギも、鯨と水菜(京菜)も結ばれない星の下に生まれている。そういうものなのか。

魚と野菜との相性さえわからないのに、人間の相性なんて、何のことやらまったく理解できない。それでも、何一つ損害を与えられたわけでもないのに、そばにいることさえ生理的に受け付けない、相性が悪いな、と思える人は確かにいる。やっぱり、出身地が違うからなのか。

by enzian | 2005-01-23 15:49 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(4)

花嫁をヴェールに包む

テレビの一場面。中国の一地方での話。花嫁が赤い布を頭から被せられて、そのまま披露宴の席まで連れてゆかれる。わいわい人々が集まった披露宴の席でも、花嫁は赤い布を被せられたままだった。花嫁ってのは、どこの国でも布だとか、マリアヴェールだとか、角隠しだとか、ああゆう不自由なものを被らされて、顔を隠されるものなのか?

イスラム教では、余計な男たちを発情させないようにヴェールに包まれるそうだけど、同じように、花婿以外の男が発情しないように隠されているのだろうか。それともまったく逆に、シルエットしか見えないようにして花婿の想像心をあおりたてて、エロティックであることを演じさせられているのか‥‥早く子孫ができるように。そうだとしたら、完全に品物扱いだな。“出産マシーン” みたいな。

いずれにしても、被せられる方にとっては、前も見えないし、迷惑な話にはちがいない。

by enzian | 2005-01-04 15:35 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(12)

みんな、叱られたいの?

テレビを見ていると、みんな叱られたいのかなぁと思うときがある。昼はアナウンサーが何やらぞんざいなしゃべり方で電話の相手を叱っている。彼のファンなのだろうか、会場の中高年女性は、顔をしかめるでもなく、フンフンうなずいている。

夜になると決まって特番があって、流行の占い師が、芸能人に何やら、お小言を言っている。日頃は勢いのある芸能人も、そのときばかりは、しおらしくご託宣(おことば)に聞き入っている。

それなりの年齢の大人が、お世辞にも上品とは言えない仕方で公共の場で叱られる。なぜ耐えられるのか、不思議ではある。誰しも少しぐらいはマゾヒストの気がある、と言えばそれまでだけど‥‥。

完璧であると言われるよりは、それなりの欠陥があると言われる方が、あとあと生きてゆくには気が楽なのかな。失敗しても言い訳がきくし。それとも、それなりの年齢になって、もう他人から叱られることもない人にとっては、ちょこっと叱られるがここちよい刺激なのかもしれない。

by enzian | 2004-12-31 12:31 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

占い師の変化形態

熱にうなされて、サキシマハブ(毒ヘビの一種です)の夢を見る。本物など一度も見たことはないのに、得体の知れない物体をなぜだかサキシマハブだと確信して怖がっている。キノコの夢にハブの夢‥‥。トンデモ夢判断に分析させたら、どうせ、ろくでもないことを言われるに決まっている。

それにしても、日本人は占いが好きだよね。オウム真理教の問題以来、オカルトをできるだけ自粛しようという空気がしばらくマスコミにはあったはずなんだけど、この頃はすっかり占いの花盛り。血液型とか、(六星)占星術とか、スピリチュアル(心霊という意味)とか‥‥。IQテストなんかも、似たようなものかもね。おもしろいと思うのは、占い師がだんだん売れてくるにつれて、いろいろと変化してゆくところ。

①まず、ゴージャスになる。売れればお金が入ってくるんだから、当たり前だよね。今もおられるかどうか知らないけど、京都の河原町四条というところには昔から一人の女性占い師がいて、ぼくが若かりし頃は、まだ垢抜けない格好だったんだけど、売れはじめると、だんだんリッチになっていった。メガネにゴージャスな鎖をつけたりとかね。ぼくはその “成長” がおもしろくて、近くに行ったときはいつも見に行って、キャッキャッ喜んでいた。

②肩書きを変える。最初はそのまま占い師なんだけど、そのうち「運命学研究家」とか「運命カウンセラー」とか、得体の知れない研究者・教育者もどきの肩書きを名乗りはじめる。その大学どこ?という大学の、ありえない名称の博士号をもっていた新興宗教の教祖は、「足裏判断」という独創性あふれる占いを考案したのにもかかわらず、惜しいことに鉄格子の向こうに消えてしまった。きっと今でも “最高” なんだろう。

③「先生」と呼ばれるようになる。②と関係しているのかもしれないけど、なぜだか「先生、先生」と呼ばれはじめて、まんざらでもない様子になって、徐々に上半身が下半身の進行方向とは逆に傾斜してくる。だいたい、「センセー、センセー」と呼ばれて違和感を感じないような人が、世の中で一番あやしいんだって。

④心霊家でない占い師の何割かが、突然、霊能力をもちはじめる。東京の、とある地名の母とか何とか言われた街角の占い師が、売れるにつれて、ついにマスコミに心霊スポットにまで駆り出されていた。マスコミからすれば、占い師も心霊家も同じようなものなのかな。それとも、その “母” の名刺に、「霊視も応相談」って書いてあるのかな。山中のロケで「この辺りに来るとなぜか寒くなってきた、鳥肌が立ってきた」とか何とか言っているのを見たときは、「薄着で山のなかに行くから、そんなことになるんだよ。バカだね」という母の言葉を思い出した。なるほど、そういう意味では肩書きに偽りなしというわけか。

まったく、クリスマスイブに書くネタじゃないね。しかも朝っぱらから。頭が痛くて、寝ていられないのだ。

by enzian | 2004-12-24 09:18 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(6)

タヌキオヤジの正体見たり

テレビ番組の一場面。“人情派”でならしているアナウンサーが、ひなびた漁村の小学校を訪ねる。クラスに行き、一人の子どもに話しかける。にこやかに、やさしく。ずっとポケットに手をねじ込んだまま‥‥。子どもたちは、有名人でもある人情派の一挙手一投足を食い入るように見つめている。おのずと、正体はバレている。

by enzian | 2004-12-11 16:24 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(2)

ハカイダー礼賛

オリンピック以来、相変わらずレスリングの浜口親子が引っ張りだこなようだ。他者にはつねに厳しくあろうと心がけているぼくではあるが、オヤジが娘のことを目を細めて話しているときなんか、実に微笑ましいと思ってしまう。ただ、世間の人たちはウルワシイ親子の愛に微笑むのだろうけど、ぼくの場合はちょっと事情が違っている。オヤジ、つまりアニマル浜口がかつて日本全国を敵に回すぐらいのものすごいヒール(プロレスの悪玉)だったことを思い出して、感涙にむせんでいるのだ(ちなみに、いつもアニマル浜口をやっつけていた善玉は、アントニオ猪木)。

小学生の頃、石ノ森章太郎のコミックをもとにした「キカイダー」という、なんとも安直な名前の人造人間ものの実写アニメ(?)があった。ジローという主人公がいて、そいつは確かギルとかいう極悪科学者に作られた(?)人造人間で、心に相当する部分には「不完全な良心回路」が埋められているということで、基本的には正義の味方なんだけど、ギルに特殊な笛を吹かれたりすると、不完全な良心回路がショートして、極悪人造人間になってしまうという、今思えば手の込んだストーリーになっていた。そういう手の込んだところがぼくの大のお気に入りだったのだけど、なんだかんだ言いつつ、うまくジローはギルの笛の魔の手をのがれて正義の味方になってしまって、いつも悪者をきれいに始末してしまうことに、ぼくは退屈感と違和感を感じはじめていた。しょせん「キカイダー」も、退屈な勧善懲悪もの。おばあちゃんの見ている「水戸黄門」レベルなのか。フッ。

ところが、ある日、「キカイダー」を見ていて、ぼくは全身が総毛立つような感動を覚えた。忘れもしない。ハカイダーという、これまた安直な名称の悪者が登場したときだ。また今週の悪者も、ジローにパンチ一発でのされちまうフヌケ野郎かと思って見ていたのだが、どうもこいつは悪者としては次元の違う強さらしい。それが証拠に、ハカイダーの登場場面には、なんと悪者にもかかわらず、ハカイダーの歌が流れるのだ。それがまたカッコイイ曲だった。今でも口ずさむことができるが、それはやめておこう。カッコよさは歌だけではない。見た目もまた卓越した、ほれぼれするフォルムだった。上下ピタッと決まった黒のつなぎで、特殊なピストルをフォルダに挿し込んでいる。おどろくべし、シュールなことに、頭はスケルトンで脳みそが見えているのだ。そしてカッコイイバイクに乗ってさっそうと現れ、去ってゆく。この大人のフェロモンをまとったハカイダーの圧倒的な存在感の前には、ギターを抱えたジローなんて、オコチャマに思えたものだ。

ハカイダーが登場して、ひょっとすると今日はキカイダーがやられるかもしれない、ついに、悪者の完全勝利という、オコチャマ向けアニメ史上、未だかつて見たことのない光景が繰り広げられるやもしれないと思ったとき、少年の心は天にも昇らんばかりに高揚した。小学校の授業などそっちのけでそのことばかり考えて、帰りは走って家まで帰ったのだった。――結局、期待は破れ、テレビっ子の少年はまた当たり前の日常を繰り返すことになった。でも、少年は思っていたのだ。いつもいつも正義が勝って、いつもいつも悪が負けるなんてこと、あるはずのないまやかしなのだ。それに、つねに純粋な正義などないし、つねに不純な悪もまたない。

by enzian | 2004-12-08 21:31 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(4)

どうにかならんか、あのNHKの関西弁

基本的にはドラマは見ないようにしている。見たら見たでおもしろいことは知っているが、根が熱中する性質なので、癖にならないよう、なるべく見ないようにしている。ただ、同じドラマでも、NHKのドラマを見ない理由はちょっと違う。聞くに堪えないから見ないのだ。

先日も「わかば」の一場面をちょっとだけ見てしまって、案の定、すかさず胸が悪くなった。「わかば」の舞台は関西らしい。そうなのである。あの関西弁が耳障りなのだ(ここでは「関西弁」なんていうものはない、とかいう議論はしない)。あのナチュラルな関西弁からは隔絶した、異様なデフォルメの効いたイントネーション(もし、このへんてこりんなイントネーションが知りたかったら、とあるNHKのアナウンサーで、なぜか関西弁を売りにしている珍しい人がいるから、その人のイントネーションを聞けばよいと思う。この人は関西ローカルしか出ないかな。調べたわけではないが、この人はきっと関西人ではない)。それに加えて、関西人のキャラクターに対するステレオタイプ。関西人と言えば、おしとやかなようでいて芯の通っている舞妓のような人(柔らかい物言いで他人の心を門前払いにする。一見さんお断り、ですな)か、それとも逆に他人の心に土足で上がりこんでくるような下品な人間かのどちらかだという発想の貧困さ(京都人と大阪人のイメージなんだろうな)。これって、一昔前のヨーロッパ映画に出てくるような、富士山芸者かメガネをかけた出っ歯のサラリーマンかのどちらかという日本人のキャラクター描写と、発想の貧困さという意味では大して変わらないんじゃない?

そして不思議なことは、NHKのドラマには純粋な関西人も出演しているわけだが、どういうわけか、そういう人たちも決まって普段とは違った奇妙な関西弁を話す。これはどうも、NHKには関西弁の指導者というのがいて、関西圏以外の人間のみならず純粋な関西人にも “NHK風関西弁” を指導しているとしか思えないのだ。「君、君、そういう関西人風の関西弁で話してもらっちゃ困るよ!もっと、全国の人にそれっぽく聞こえる関西弁で話してくれなくっちゃ!」なんて指導を関西人にしてるに違いないのだ。舞台芸術というのは多かれ少なかれデフォルメが入るものだろうけど、度が過ぎると聞くに堪えない。だから、見ない。

by enzian | 2004-11-06 21:28 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(3)

「未来を殺すな」

ロシアで起こった学校テロ事件について、朝日新聞が「未来を殺すな」という社説を掲げている。このテロの卑劣さは、最も無力の、しかも最も未来のある子どもを対象としていることにあるそうな。そうだろうか? そもそも銃や爆弾の前では子どもに限らず誰しも無力なはずだし、このテロが学校ではなく(こういうことを言うと不謹慎だけど、ひょっとすると未来のあまりないかもしれない高齢者の)老人ホームで起こっていたとしても卑劣さに変わりはないだろう。

プーチンは「前例のない非人間的なテロリストの犯罪」と事件を糾弾したらしい。子どもが殺されたことを(チェチェン独立)戦争の不正の口実にするプーチンも、(独立)戦争を正当化するために子どもを殺したテロリストも、子どもを自らの正当化(プロパガンダ)の道具としていることに変わりない。両者とも、子どもを特別視しているのだ。子どもだけが特別なのではなく、誰にだってそれなりに未来はあるし、それなりに弱い。

by enzian | 2004-09-07 23:59 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

己が首を絞める

サッカーのアジアカップで中国人観衆の行動が物議をかもしている。過激な行動の理由については、領地問題によるもの、某国政治家の軽率な行為への反感によるもの、経済格差のフラストレーション解消によるもの、近年中国の反日教育によるもの‥‥いろいろな推測がされている。最後の理由はあながち外れてはいないようで、30代以上の中国人の冷静な意見に対し、10代20代の若者の過度にナショナリスティックな言動には、末恐ろしい気がした。

ただ、こういう国外での動きを見ていつも危惧するのは、これに対する国内の過敏な反応だ。テロが起これば決まってテロをテロ防止のための過剰なシステムが組織され、ミサイル実験が起これば決まって財政を無視したミサイル防御システムが導入される。同じように、ナショナル・アイデンティティの象徴的行為を愚弄する動きには、決まってナショナル・アイデンティティの象徴を過剰に保護するシステムが反動する。特定の国家を愚弄する人間を取り締まるシステムが作動し、そうした人間と同国籍人へのいやがらせも頻発する。

スタジアムを埋め尽くす中国人がすべてナショナリズム的傾向をもっているとは思えない。多くは、どの社会でもありがちなフラストレーション解消の道具としてナショナリズムを利用しているにすぎない。要は、欲求さえ解消できれば相手は何でもよいのだ。人間はいつも自らのアンフェアな欲望を正当化する口実を探し求めている。これに、共通の敵(的)を叩いてアイデンティティの保存をはかる傾向が加われば、次にくるのは決まって集団による暴力。国家を超えた人間共通の傾向に気づき、自らの軽率な行為が結局のところ己が首を絞めることに気づく賢明さをわれわれはもつべきなのだろう。

by enzian | 2004-08-03 23:59 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

アンバランス

MLB放送を見る。7回の裏、観客は “God Bless America” に続いて “Take Me Out to the Ball Game” を口ずさむ。自国中心主義と娯楽――アンバランスな取り合わせだ。

by enzian | 2004-07-30 23:59 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)