カテゴリ:※好きな絵本(コミック)( 18 )

『雨ふり小僧』(手塚治虫)

b0037269_21264264.jpgいつからか、個研に一本の傘が置かれたままになっている。心当たりのある人たちに問い合わせてみても返事はない。青い女性物で、全体に色が褪せ、先の部分が欠けている。愛着をもって使われていたのだろう、無碍に捨てることもできない。あれから何度か雨の日を過ごし、思い出してもらえるチャンスを逸した傘は、もう忘れられてしまったのかもしれないが、じっと持ち主を待っている。『雨ふり小僧』(手塚治虫)のセリフを思い出した。

よく 物置なんかに ふるいカサが すてられてあるどに ああいうのから おいらたち 生まれるどに

山奥の分校に通うモウ太は、本校の子どもたちから田舎者とバカにされる日々。そんなある日、モウ太は橋の下で古傘の妖怪、雨ふり小僧と出会う。モウ太の長靴を欲しがる小僧に、モウ太は三つの願いを叶えてくれたら長靴をやると約束する。三つ目の願いは分校の火事を消して欲しいというもの。火に近づいたら(自分が)消えてしまうと尻込む雨ふり小僧に、モウ太は言う。「火を消してくれたらきっと長靴をやる。あの橋の下で待ってるから」。その言葉を信じて小僧は必死で火を消す。だがその直後、モウ太は都会へ引越すことになった。長靴をわたすこともないままに。約束はすっかり忘れ去られ、40年の歳月が流れて、モウ太は幸せな父親になった。ある日、娘にせがまれ長靴を買おうとしたとき、モウ太は雨ふり小僧との約束を思い出す‥‥

雨はまた降る。傘といっしょに、個研の住人も、もう少し持ち主を待つことにしよう。

by enzian | 2006-02-07 11:33 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(42)

『ずーっと ずっと だいすきだよ』(ハンス・ウィルヘルム)

b0037269_2395100.jpg学生にすすめられた絵本、ハンス・ウィルヘルム『ずーっと ずっと だいすきだよ』を読む。よい絵本だ。少年と犬(エルフィー)、そして少年の家族の話。最初は子犬だったエルフィーも、少年が大きくなるに連れて年老いてゆき、ついにある朝、死んでしまう。エルフィーを庭先に埋めながら、家族たちは悲しむが、少年はこうも思う。

にいさんやいもうとも、エルフィーがすきだった。でも、すきっていってやらなかった。ぼくだって、かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。だってまいばんエルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」(I'll always love you)っていってやっていたからね。

この本最高の盛り上がりの場面にもかかわらず、すかさず、つっこみを入れてしまう。「思っていても『ずーっと大好き』だなんて、そんな無責任なこと言えるかってんだ!そんなヤワなことだから、思っていなくても『好き』を連発するようなヤツにひっかかるんだよ」。おじさん、いったい、誰に向ってつっこみを入れてるんだい?

by enzian | 2005-10-15 23:22 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback(1) | Comments(39)

『ぼくは くまのままで いたかったのに……』(イエルク・シュタイナー)

b0037269_20105248.jpg『ぼくはくまのままでいたかったのに』 「枕中洞」さんの記事へのTBです。

冬が来て、森のほら穴で冬眠したクマ。クマが目覚めたのは、なぜか工場の敷地のなか、しかも、工場の人間たちは、誰もクマをクマとして認めてくれません。クマは、ひげも剃らないような薄汚い怠け者の “人間” として、工場で働かされるのでした‥‥

カフカの『変身』を思わせるようなシュール(不条理と言った方がいいかな)な絵本です。読めばやりきれない思いが残って、読んだ方がよかったのか、読まない方がよかったのかと考え込むことでしょう。そういう意味で、子ども向きではありませんし(「5歳から」となっていますが‥‥)、よほどの酔狂な方以外は大人向きでもない。だったら、なにがよいのかって?読んだ者を考え込ませるというのは、その本のもっている力でしょうから‥‥それだけではダメ?もうひとつは、人間には自然を自然として見る目がない、もっと言えば、人間があるものをあるもののままで見ていないことをうまく風刺していることでしょう。

工場で働かされる前、クマは人事課長やら副工場長やら工場長やら社長の “面接” を受けますが、誰も彼をクマとは認めず、お前は人間だ、と言います。社長にいたっては、クマを動物園やサーカスのクマのところへ連れて行って、これこそが本物のクマでお前はクマではない、と言い出す始末。一方で、工場長やら社長らの部屋には自然を写した絵画や写真のようなものが貼られており、社長の部屋には窓ガラス越しに美しい自然の大パノラマが拡がっている。彼らは自然を楽しんでいるつもりなのかもしれませんが、檻やら額縁やら窓枠といった彼らのものの見方のなかに入った自然を見ているにすぎないんですよね。

もちろん、人間にはせいぜいのところそういう限定された自然の見方しかできないのかもしれないけど、それが自然そのままではないのかもしれない、という疑問は露ほども抱いていない。檻に入ったクマや額縁に入った森の絵や美しい島の写真、窓枠越しに見える風景だけが自然の姿であると思っている。そしてそういう見方をこのクマにも強要するわけです。お前は俺から見てクマではない、ゆえにお前はクマではない、と。クマと一緒に働く労働者たちも、クマがクマであるなんて、少しも思っていない。

モリゾーとキッコロは惜しまれつつ森へ帰りましたが、人間として工場労働者となったクマは、やがてその仕事ぶりの至らなさから解雇されます。季節はもう冬。工場を出て、とぼとぼと歩き続けてたどり着いた森のほら穴を前にし、クマは考えます。「なにかだいじなことをわすれてしまったらしいな、とくまは思った。はてなんだろう?」クマが忘れた大事なこととはなんであったのでしょう?それは、しばらくのあいだ “人間” となったことで、失ってしまっていた、クマ本来の、自然の、ものの見方だったのでしょうか?読者は考えることを強いられるでしょう。

by enzian | 2005-09-25 20:14 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback(1) | Comments(35)

『ともだちがほしかったこいぬ』(奈良美智)

b0037269_2015070.jpg怖がられてしまいそうなので、まだシュールなものは紹介しません。カワイラシ系です。奈良美智の絵本です。奈良美智については、ぼくより読者の皆さんの方が詳しいでしょう。登場人物(?)は「おんなのこ」と大きな「こいぬ」。一人と一匹の友情のお話です。『ぼくの ともだち おつきさま』も、友だちとの出会いのお話でしたね。

この絵本からぼくがおもしろく読み取ったのは、次のようなことです。一つ目。すぐそばにあるのに、大きすぎて見えないものがある、ということ。小さすぎて見えないというのはよくある話ですが、大きすぎて見えないものもあるんですね。

二つ目。見えないものを見るためには、偏見のない心と勇気が必要だということ(『星の王子さま』みたいになってきたぞ)。こいぬは幸いでした。まっすぐな心と勇気をもったおんなのこが自分を見つけてくれたのですから。

by enzian | 2005-09-09 20:05 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(10)

『ぼくの ともだち おつきさま』(アンドレ・ダーハン)

b0037269_19514768.jpgフランスのイラストレーター、アンドレ・ダーハンの絵本です。学生に教えてもらって、一目で好きになりました。

温かい絵柄のなかに、人が出会いのときに感じる “うきうき” や “どきどき” や “はらはら” が詰まっています。読めばたちまち温かい気持ちになって、誰かと会って話したくなるでしょう。

参考: アンドレ・ダーハンHP

by enzian | 2005-08-30 19:55 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback(1) | Comments(27)

『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)

b0037269_20213858.jpgこうの史代『夕凪の街 桜の国』を読む。原爆が人々にどのような影響を与えるかを描いたコミックとして、長く残るすぐれた作品であると感じた。

構成は「夕凪の街」と「桜の国」(一)(二)から成る。「夕凪の街」は原爆投下10年後、「桜の国」はさらに後の設定となっており、この時期設定が『夕凪の街 桜の国』を特徴づけている。『はだしのゲン』が、原爆投下直後の状況、原爆が瞬間的・短期的にどのような影響を人々に与えるかに目を配った作品であったとすれば、本書は、原爆が長期的に、いかに生き残った人の心(いや、「魂」と言った方がよいかもしれない)と体を徐々に蝕んでゆくかを描き出そうとした作品なのだ。

原爆投下直後の目を背けたくなるような描写はほとんどなく、むしろ、こうの史代の描く町並みや人々は、どこまでも柔らかく、やさしい。だが、それがそのままこの書の印象となることを読者は望めない。やさしく柔らかなものが長い年月のなかで一枚一枚薄皮を剥ぎ取られるように消耗し、やがて消え去ってゆくさまを読者は目の当たりにしなければならない。そして、そのような経過が今も進行しつつあることを知らねばならない。

by enzian | 2005-08-15 20:32 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(19)

『花さき山』

b0037269_217517.jpg今日は絵本を紹介しましょう。斉藤隆介・作、滝平二郎・絵『花さき山』です。ライフログにも載せている、ぼくの大好きな絵本です。わずかな言葉になるストーリーを伝えしてしまうのは無粋というものですから、どういう点が好ましいのか、ぼんやりと書いておきましょう。

まず、この滝平二郎の版画。有名な『もちもちの木』『八郎』『三コ』『ベロ出しチョンマ』といった作品も手がけた方です。素朴な味わいの版画には、素朴さだけにはとどまらず、民の喜びや悲しみや苦しみが複雑に刻み込まれています。髪を振り乱した山姥、山姥に脅える少女、慈しみに満ちて赤子を抱く母‥‥描かれている女性を見るだけでも楽しい。祭りの版画からは、今にも、笛や太鼓の調べに乗って人々の喜びの声が聞こえてくるかのようです。

滝平の版画にぴたりと合ったストーリー(普通、ストーリーに合った版画って言いますよね)は斉藤隆介によるもの。上にあげた作品はすべて斉藤のものでもあります。斉藤の物語には、道徳的な教訓を伝えるかのようなものが多いのですが、この作品もまたその種のもの。一言で言えば、“おもいやりの裏面にあるストイックさ” がモチーフになっているのでしょう。ただ、『八郎』や『三コ』や『ベロ出しチョンマ』ほどは重くなく、もう少しささやかなものです。

残念ながら、ささやかなおもいやりとかストイックさが嘲笑の的となる時代になってしまいましたが、ぼくは斉藤や滝平の伝えようとするものが好きですね。きっと、ないものねだりなのでしょうって?あいあい、さようにござい。

by enzian | 2005-07-14 22:14 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(32)

切ないエロティシズム

b0037269_1056781.jpg近藤ようこ『水鏡綺譚』を読む。コミックとしては久々の当たりだった。全体にエロティックな雰囲気が漂うが、「タブーの侵害」といったケバケバしい意味でではない。ワタルのストイシズム、心を失った鏡子の虚ろな目と天真爛漫さ――これが、えも言われぬエロスを醸し出す。 “切ないエロティシズム” とでも言うべきか。

by enzian | 2004-07-28 23:59 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(0)